平安時代の食事はどうだった?内容や回数は?貴族と庶民の食事の違いは?和食の原型になってる?
平安時代(794(延暦13)〜12世紀末)は、桓武天皇が平安京に都を移してから、鎌倉幕府が成立するまでの約390年間のことです。
古代の末期とも、中世の萌芽期とも言われており、古代から中世の過渡期になる大事な時代に当たります。
そんな平安時代の食事はどのようなものだったのでしょうか?
現代の食事とは違うのでしょうか?
この記事では、平安時代の食事について簡単に解説していきます。
目次
平安時代の食事はどうだった?
平安時代の食事では、どのようなものを食べていたのでしょうか?
現代の食事とは、食事の中身や、回数など違うのでしょうか?
ここでは、平安時代の食事について簡単に解説していきます。
平安時代の食事の特徴は?
平安時代の食事の特徴としては、素材をそのまま調理するだけで、味付けはほとんどしないという点が挙げられます。
料理と一緒に、塩、酒、酢、醤(ひしお)などの調味料が並べられており、それにつけて食べるスタイルが主流でした。
調理法は、シンプルに焼く、煮る、蒸すという簡単な方法で、これは現代の調理法と変わりません。
また、炒める、揚げるといった油を使用する調理法は、油が非常に貴重なものだったために、あまり用いられていませんでした。
平安時代の食事の回数は?
現代の食事の回数は、基本的に朝昼晩の3回という人が多いでしょう。
しかし、平安時代の食事の回数は、基本的にどの階級の人も一日に2回でした。
朝10時頃と夕方4時頃の2回だったのですが、肉体労働している庶民などは、間食や軽食を合間に取っていたようです。
ちなみに、現代と同じように3回の食事回数になったのは、貴族は鎌倉時代以降、庶民は江戸時代以降であったと言われています。
平安時代の食事が和食の原型となった?
現在の和食の基本は、ご飯、味噌汁、おかずと漬物の4つとなっています。
そして、平安時代の絵巻物には、ご飯とお汁とお菜が3つ乗った「一汁三菜」が並んでいる食事風景が描かれています。
このことから、和食の原型とも言える「一汁三菜」は、平安時代から始まったと言われています。
平安時代の貴族の食事は?
平安時代の食事は素材そのもののを活かしたものがほとんどでした。
しかし、身分によって、食べるものの種類は違っていたのです。
ここでは、平安時代の貴族の食事について簡単に解説していきます。
平安時代の貴族の食生活はどうだった?
貴族の食事は、米を主食とし、主菜や副菜、デザートまで付いた豪華な食事でした。
ただし、米といっても、現代のようにふっくらとした白米を食べていたわけではなく、うるち米を甑で蒸した「強飯(こわいい)」と呼ばれる少し硬めの米を食べていました。
主菜は、魚、鶏肉、くまやイノシシの肉などが食べられていました。
しかし、貴族が暮らしていた京都は、海が遠かったこともあり、魚などの海産物は新鮮な生のまま食べるということが困難な状況でした。
そのため、食卓に並ぶ魚は、川で獲れる魚がメインであり、腐らないように干物や塩漬けにしていたようです。
デザートも種類が豊富で、平安時代中期にまとめられた『延喜式』などによると、
- 梨、麹、なつめなどの果実類の「木菓子」
- もち米の粉を練って焼いた「ひちら」という煎餅のようなもの
- 肉桂皮の粉末をつけた「てんせい」という名のもち
- 「酪」という牛乳を濃縮して粥にしたもの
- 「蘇」という酪をさらに濃縮してチーズにしたもの
以上のようなものが食べられていました。
中には、かき氷を食べていた人もいたようで、デザートに関しては現代のものとあまり変わらなかったといっても過言ではないかもしれません。
平安時代の貴族は生活習慣病に苦しんでいた?
平安時代の食事は素材をそのまま調理し、塩、酒、酢、醤の中から、自分の好きな調味料をつけて食べるのが一般的でした。
また、ほとんどの食材は長持ちさせるために、干物にされたり塩漬けにされたりしていました。
このことから、貴族の食生活は非常に栄養が偏ってしまっていたのです。
さらに、当時の貴族は日頃からあまり体を動かすという習慣がありませんでした。
そのため、平安貴族のほとんどは生活習慣病に苦しんでいたと言います。
慢性胃炎や糖尿病になる人が非常に多く、死因の上位には「栄養失調」や「脚気」が来るほどでした。
このように、貴族は贅沢な食生活を送る一方で、深刻な健康問題に悩まされていたのです。
平安時代の庶民の食事は?
平安時代の貴族は、食生活によって生活習慣病に苦しむということもありました。
それでは、庶民はどうだったのでしょうか?
ここでは、平安時代の庶民の食事について簡単に解説していきます。
平安時代の庶民の食生活はどうだった?
平安時代の庶民も、基本的には「一汁三菜」の食事でした。
しかし、貴族のそれと比べると、非常に質素なものだったと言われています。
農作物は天候に大きく左右され、生産量も限られていたことから、庶民が白米を食べれることはなく、その代わりに、主食は麦類やアワ・キビなどの雑穀が中心となっており、腹持ちを良くするために粥状にして、かさ増ししながら食べていたようです。
副食としては、瓜やネギ、ごぼう、フキ、ナス、せりなといった野菜が多く、粕漬や酢漬けにして食べていました。
質素なものであったため、貴族のようにデザートまで食べていたということはなかったようです。
平安時代の武士は庶民とほとんど同じ食生活だった?
平安時代の中期以降になると、武士という戦いを主に行う人たちが現れてきます。
この武士たちの食事は、基本的には庶民とほとんど変わらず、白米ではなく雑穀が中心の主食でした。
それでは、何が庶民と違ったのかというと、回数です。
やはり体を動かすことが主な仕事でしたから、庶民よりも回数を多く取っていました。
特に戦時中は、一日に4回といったように、普段よりも回数が多くなっていたようです。
まとめ:平安時代の食事は素材そのものの味が活かされた料理であり、和食の原型となっている
平安時代の食事は、素材をそのまま調理し、自分の好きな調味料をあとからつけて食べていました。そして、身分に関わらず、基本的には「一汁三菜」であり、現在の和食の原型となったと言われています。
今回の内容をまとめると、
- 平安時代の食事は素材をそのまま調理し、好きな調味料をつけて食べる形式だった
- 平安時代の食事は、「一汁三菜」の形をとっており、和食の原型となった
- 平安時代の食事の回数は一日2回だった
- 平安時代の貴族は、その食事の内容から栄養が偏ってしまい、生活習慣病に悩まされていた
平安貴族は食事によって生活習慣病に悩まされていたとお伝えしました。
その結果、当時の貴族の平均寿命は、33〜35歳だったと言われています。
このことを考えると、現代の食生活においても、バランスよく栄養を摂るということは、気をつけなくてはならないなと感じますね。