奈良時代の服装はどうだた?貴族と庶民で違った?特徴など簡単に解説!
奈良時代(710年(和銅3年)〜794年(延暦13年))は、元明天皇によって平城京に遷都されてから、桓武天皇によって平安京に遷都されるまでの84年間のことを指します。
「平城時代」とも呼ばれたこの時代では、天皇中心の中央集権国家が目指されていました。
そんな奈良時代では、どのような服装があったのでしょうか?
この記事では、奈良時代の服装について簡単に解説していきます。
目次
奈良時代の服装の特徴は?
奈良時代は、遣唐使などが大陸の文化を日本に持ち帰ってきた時代です。
それによる影響は服装にもあったのでしょうか?
ここでは、奈良時代の服装の特徴を簡単に解説していきます。
奈良時代の服装は唐の影響を受けている?
奈良時代では、遣唐使などの影響で大陸との交流が盛んになっていました。
その結果、奈良時代の服装は唐の服装の影響をとても大きく受けています。
しかし、それはあくまで貴族でのことで、庶民については、ほぼ奈良時代以前と大差はなく、麻の服を着ていたと考えられています。
奈良時代から初めて服制が導入された
律令制が確立された奈良時代では、身分制度が生まれ始めます。
それに伴い、律令に基づく明確な法律「衣服令」が定められました。
衣服令は、ほとんど唐の制度を真似たものでした。
これを受けて「養老令」では、朝廷に関わる人たちの服装について「礼服」「朝服」「制服」が定められました。
・礼服
礼服は重要な儀式のときのみに着用される服装です。江戸時代末期の孝明天皇が即位するまで、即位の儀式に用いられた格式ある衣装となりました。唐の官人の正装を参考に作られ、上着から靴まで厳しく様式が守られました。
・朝服
朝服は官人が朝廷に出仕する際に着用した服装です。飛鳥時代から平安時代まで着用されていました。これも唐風の衣装で、平安時代中期になると国風文化の影響を受けて、束帯へと変化していきました。
・制服
制服は朝服に似ているのですが、こちらは無位無冠の庶民が公事に従事する際に着用した服装となります。色は黄色に統一されており、明治時代までそれは続きました。
奈良時代の服装は現在の服装に影響を与えている
現代では、着物を着るとき右前で着るようになっています。
実は、これが定められたのは奈良時代なのです。
奈良時代の衣服令で、唐の風習に倣って、
「すべての人は右前で衣服を着なさい」
と定められました。
これ以来、日本では右前で着ることが定着したのです。
ちなみに、奈良時代以前は右前・左前両方あったと言われています。
法律によってきちんと定められたのが、奈良時代ということですね。
奈良時代の服装はどんなものだった?
奈良時代の服装は、唐の影響を受けていたり、服制の導入により階級によって変わったりしていました。
それでは、実際はどのような服を着ていたのでしょうか?
ここでは、奈良時代の服装について簡単に解説していきます。
奈良時代の服装|貴族編
貴族は男性と女性で、服装が異なっていました。男女別に解説していきます。
【奈良時代の貴族の男性の服装】
貴族の男性は、当時高級であった絹を使った服を着用していました。
また、刀をつけ、靴を履き、笏(しゃく)を持っていたという特徴も挙げられます。
また、位の高い人の笏は、象牙でできていました。
【奈良時代の貴族の女性の服装】
貴族の女性は、上半身は薄い藍色の服を羽織り、その上に背子(はいし)と呼ばれるベストのようなものを重ねて着ていました。
そして、さらにその上からスカートのような裳をつけ、帯で留め、肩から領巾(ひれ)と呼ばれるショールをつけていました。
髪型も唐風のものとなり、高い位置で頭の中央にまとめられ、飾りがつけられていました。
また、手には扇を持っていたという特徴も挙げられます。
奈良時代の服装|庶民編
庶民の服装は、奈良時代以前と大差はなく、麻の素材の服を着用していたと考えられており、中には自分の家で糸から作った衣服もあったようです。
また、使用できる色が黄色と決められており、賤民などさらに身分の低いものは黒色と限定されていました。
【奈良時代の庶民の男性の服装】
庶民の男性は、脇の下が縫われていない上着を帯で結んで、下はふんどしの上に袴をつけていました。
【奈良時代の庶民の女性の服装】
庶民の女性は、脇の下が縫われている上着を着用し、スカートのようなものを履いていました。
奈良時代の服装に使用されていた素材は?
奈良時代の服装は、身分によって大分見た目に差がありました。
それでは、その素材にも違いがあるのでしょうか?
ここでは、奈良時代の服装の素材について簡単に解説していきます。
奈良時代の服装の素材|貴族編
貴族の服には、当時高級であった絹などが使用されていました。
奈良時代では、美しく染色され、高度な織り方がされた、高品質な絹織物が生産されるようになったのです。
しかし、絹織物の素材となる養蚕は、天皇家で行われているほど高級なものであったため、美しい絹織物を着用することができたのは、支配者階級にあたる上流階級であったと考えられています。
奈良時代の服装の素材|庶民編
貴族が絹織物を使用して豪華で華やかな服を着ていたのに対し、庶民の服には麻を中心とした天然素材が使用されていました。
先程もお伝えしたように、絹織物などの高級素材は上流階級の人しか着用することができなかったのです。
麻の他には、楮や芭蕉、葛、イ草、菅などの植物の繊維が使用されていました。
まとめ:奈良時代の服装は唐の影響を受けており、服制も導入された
奈良時代の服装は、遣唐使などのおかげで大陸との交流が盛んになった結果、唐の影響を受けたものとなっていました。さらには、服制も導入され、服で身分差がはっきりとわかるようになりました。
今回の内容をまとめると、
- 奈良時代の服装は唐の影響を強く受けていた
- 唐の服制を倣った衣服令なども制定された
- 貴族と庶民で大きく見た目の異なる服装だった
- 使用している素材も異なっていた
現在から1000年以上も前の時代の決まりが、今現在も採用され続けているという事実はすごいことですよね。ある意味で、日本の和服の原点と言っても過言ではないのかもしれません。