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奈良時代の天皇一覧!どんな政治をしていた?エピソードと合わせて簡単に解説!

奈良時代(710年(和銅3年)〜794年(延暦13年))は、元明天皇によって平城京に遷都されてから、桓武天皇によって平安京に遷都されるまでの84年間のことを指します。

「平城時代」とも呼ばれたこの時代では、天皇中心の中央集権国家が目指されていました。

そんな奈良時代は、どのような天皇がいたのでしょうか?

また、どのようなことをしていたのでしょうか?

この記事では、奈良時代の天皇について簡単に解説していきます。

奈良時代の天皇には誰がいた?

奈良時代は、平城京への遷都から始まりました。

その84年の間に、8代の天皇が存在しています。

それでは、奈良時代の天皇には誰がいたのでしょうか?

ここでは、奈良時代の天皇について簡単に解説していきます。

奈良時代の天皇一覧
奈良時代の天皇は全部で7人(1人重祚)いました。

それぞれの名前と在任期間は以下の通りです。

【奈良時代の天皇一覧】

  • 第43代天皇:元明天皇(707年(慶雲4年)〜715年(和銅8年))
  • 第44代天皇:元正天皇(715年(和銅8年)〜724年(養老8年))
  • 第45代天皇:聖武天皇(724年(神亀元年)〜749年(天平感宝元年))
  • 第46代天皇:孝謙天皇(749年(天平勝宝元年)〜758年(天平宝字2年))
  • 第47代天皇:淳仁天皇(758年(天平宝字2年)〜764年(天平宝字8年))
  • 第48代天皇:称徳天皇(764年(天平宝字8年)〜770年(神護景雲4年))(孝謙天皇重祚)
  • 第49代天皇:光仁天皇(770年(宝亀元年)〜781年(天応元年))
  • 第50代天皇:桓武天皇(781年(天応元年)〜806年(大同元年))

奈良時代の天皇系図

奈良時代の天皇の系図

奈良時代の天皇で特に活躍した人は?

奈良時代の天皇は7人(1人重祚)でした。

その中でも、遷都したり、国に仏教を広めたりと、特に活躍した人がいます。

ここでは、奈良時代の天皇で、特に活躍した人を簡単に解説していきます。

元明天皇

元明天皇(661年(斉明天皇7年)〜721年(養老5年))は、天智天皇の第四皇女として生まれた、第43代天皇です。

元明天皇が行った大きな事業は主に2つです。

  • 平城京に遷都
  • 和同開珎の発行

・平城京に遷都

710年に藤原京から平城京に遷都する大事業を行いました。

この平城京の造営は、当時世界一の規模を誇っていた唐の長安の都を模倣して作らせることにより、日本の力を国内外に誇示する狙いがありました。

・和同開珎の発行

708年に武蔵国秩父郡から精錬を必要としない自然銅の和銅が献上されます。
元明天皇はこれを喜んで、唐の硬貨である開元通宝を模倣した「和同開珎」という貨幣を発行しました。

これが日本における最初の流通貨幣だと考えられています。

また、古代日本の公式鋳造貨幣「皇朝十二銭」の1番目として、その後52年間鋳造され続けました。

聖武天皇

聖武天皇(701年(大宝元年)〜756年(天平勝宝8年))は、文武天皇の第一皇子として生まれた、第45代天皇です。

聖武天皇の頃になると、ようやく律令に基づいた天皇中心の政治が定着します。

在位中は、日本各地で自然災害や天然痘が流行するなど、非常に国内が不安定だったため、聖武天皇は仏教を手厚く保護することにします。

この時期は、ちょうど遣唐使で留学した僧が多く帰国して、仏教が日本全国で定着した時期でもあったのでちょうどよかったのでしょう。

鎮護国家を作るために、「国分寺建立の詔」と「大仏造立の詔」を発布し、日本各地に国分寺や国分尼寺を建てさせました。

そして、その中心として平城京に東大寺を建立し、そこに現在でも見られる「奈良の大仏」を造らせたのです。

奈良時代に仏教が栄えたのはこの天皇のおかげといっても過言ではないでしょう。

孝謙天皇(称徳天皇)

孝謙天皇(718年(養老2年)〜770年(神護景雲4年))は、聖武天皇と光明子の間に生まれた、第46代天皇(重祚して第48代天皇)です。

孝謙天皇は、史上6人目の女性天皇で、これ以降は江戸時代初期の天皇・明正天皇に至るまでの850年余り、女性天皇が立てられることはありませんでした。

また、天武天皇の血を引く最後の天皇であり、この後からは、天智天皇系の天皇へと移り変わっていきます。

そんな孝謙天皇自身は、父親の聖武天皇同様、仏教を深く信仰していました。東大寺盧舎那仏の開眼供養を行ったり、東大寺で鑑真から受戒したり、百万塔陀羅尼を作るなど、奈良時代の仏教興隆に貢献しました。

しかし、僧侶の道鏡を寵愛するあまり、専制的な政治権力を持つことを許してしまい、皇位を狙われる事態に発展してしまうという事件も起きました。

桓武天皇

桓武天皇(737年(天平9年)〜806年(延暦25年))は、光仁天皇の長男として生まれた、第50代天皇です。

奈良時代の仏教政治の腐敗を取り除くことを目的として、平城京から長岡京を経て、794年に平安京に遷都しました。

そして、僧侶の不法を取り締まり、最澄や空海の説く新仏教を厚く保護したのです。

これら全ては、律令政治再建のためでした。

また、坂上田村麻呂を起用して、3回にわたって奥羽の蝦夷平定を行いました。

これにより、東北地方までも中央政府の支配下に置くことに成功したのです。

奈良時代最後の天皇にして、平安時代の始まりと言っても過言ではない人物ですね。

奈良時代の天皇はどのような政治を目指していた?

奈良時代は、律令制が始まったり、遣唐使の影響で唐の文化や制度が入ってきたりしていました。

そんな中、奈良時代の天皇はどのような政治を目指していたのでしょうか?

ここでは、奈良時代の天皇が目指していた政治について簡単に解説していきます。

奈良時代の天皇は天皇中心の中央集権国家を目指していた

奈良時代から一つ前の時代・飛鳥時代では、地方分権的な政治体制から、天皇を君主に統制された中央集権型の政治体制へと変革が行われました。

奈良時代では、そのことを受けて、天皇たちが唐の制度を参考にしながら、天皇中心の中央集権国家を目指すこととなるのです。

中でも、第45代天皇・聖武天皇は、仏教の力を利用して国を安定させようとしました。

朝廷内での激しい権力争いの中、藤原氏が権力を強めていった?

奈良時代の天皇は、天皇中心の政治を作っていこうとしていましたが、実際の権力は、藤原氏とその他が交互に担っていくこととなります。

簡単に流れを見ていくと、

藤原不比等→長屋王→藤原四子→橘諸兄→藤原仲麻呂(恵美押勝)→道鏡→藤原百川

以上のような流れで、激しい権力争いが繰り広げられていました。

この中でも、特に注目したいのが藤原不比等です。

奈良時代初期の元明・元正天皇は女帝で、自然と太政大臣の発言力が強まっていきました。そしてこの際、実質的に最上位の地位にあったのが、右大臣・藤原不比等でした。

奈良時代の基本路線は、この藤原不比等によって作られたと言っても過言ではありません。

さらに、藤原不比等は自身の娘を文武天皇と結婚させるなどして、天皇との結び付きを深めていきました。

このことが、後に絶大な権力を握ることとなる藤原家の基盤となっていくのです。

奈良時代は、平安時代に全盛期を誇る藤原氏の、基礎が出来上がった時代と言い換えることもできるでしょう。

まとめ:奈良時代の天皇は天皇中心の国家を目指していたが、権力は奪われていた

奈良時代の天皇は、全部で7人(1人重祚)いました。天皇は、天皇中心の中央集権国家を作ることを目指していましたが、実際は様々な人物に権力を奪われ続けてしまっていました。

今回の内容をまとめると、

  • 奈良時代の天皇は全部で7人(1人重祚)
  • 奈良時代は、元明天皇が平城京に遷都したことから始まった
  • 奈良時代は、聖武天皇を中心に仏教によって鎮護国家を作ろうとしていた
  • 奈良時代は、天皇中心の中央集権国家を目指すも、実際は様々な人物に権力を奪われていた

仏教の力を利用して国を守ろうとした結果、最終的に僧である道鏡に国を乗っ取られるかもしれない事態にまで発展してしまいました。

天皇中心の国家を作るというのは、非常に難しいことだったのかもしれませんね。

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