西郷隆盛の子孫は現在も続いてる?芸能人もいる?家系図から見る、末裔たち。

西郷隆盛の子孫は現在も続いてる?芸能人もいる?家系図から見る、末裔たち。

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西郷隆盛:1827(文政10)~1877(明治10)は、倒幕を行ったり、明治政府の基盤を築き上げたりと、幕末から明治初期にかけて活躍した薩摩出身の武士です。そんな西郷隆盛には子供がいたのでしょうか?また、子孫は現在も続いているのでしょうか?この記事では、西郷隆盛の子孫は現在にも続いているのか?子孫に芸能人もいるのか?についてを家系図を見ながら解説していきます。

西郷隆盛の家系図から見る子孫たち

西郷隆盛は薩摩藩の下級武士の家に生まれました。その生涯において、3度結婚しています。妻が3人いたのです。それでは、西郷隆盛の子供はどうだったのでしょうか?
西郷隆盛の家系図を見ながらその関係をみていきましょう。

西郷隆盛の家系図

西郷隆盛には、須賀、愛加那、糸子(イト)という3人の妻との間に5人の子供をもうけています。

西郷隆盛の家系図

西郷隆盛に子供は何人いた?

西郷隆盛に子供は全部で5人いました。島妻の愛加那との間に2人。後妻の糸子との間に3人です。先妻の須賀とは2年間の結婚生活で子供はできなかったようです。5人の子供についてもう少し詳しくみていきましょう。
【西郷隆盛の子供】

  • 西郷菊次郎(西郷隆盛と愛加那との間の子供)
  • 西郷菊草(西郷隆盛と愛加那との間の子供)
  • 西郷寅太郎(西郷隆盛と糸子(イト)との間の子供)
  • 西郷午次郎(西郷隆盛と糸子(イト)との間の子供)
  • 西郷酉三(西郷隆盛と糸子(イト)との間の子供)

西郷隆盛と愛加那との子供

愛加那との子供は、長男の菊次郎と、長女の菊草の2人です。愛加那とは奄美大島に潜伏している際に結婚し、そこから3年間で2人の子供が生まれました。
しかし、島妻は島から鹿児島へと連れて帰れない決まりがあったので、西郷と愛加那は離婚。その後、愛加那は2度ほど西郷隆盛と再会しますが、愛加那は結局島を出ることなく書状などのやり取りをするだけの関係になります。

長男の菊次郎は1869年(明治2年)の9歳のときに鹿児島の西郷家に引き取られました。長女の菊草は愛加那の元に残りますが、12歳のときに鹿児島の武村西郷家に引き取られることになり、14歳のときに西郷隆盛の従弟にあたる大山誠之助と婚約します。

明治維新により藩法の制約がなくなり、愛加那も鹿児島へと来れるようになりましたが、愛加那と西郷隆盛との再開は実現しないまま西南戦争が勃発し、西郷隆盛は自害してしまいました。西郷隆盛と愛加那は、家族全員でちゃんと揃って過ごした時間はとても短かったのです。

西郷隆盛と糸子との子供

糸子との子供は、寅太郎、午次郎、酉三の3人です。生まれ自体は菊次郎たちよりも遅かったのですが、菊次郎が糸子の元へ庶子としてやってきたので、寅太郎が西郷隆盛の長男として育てられることになりました。
西南戦争で西郷隆盛が亡くなった時は、長男の寅太郎がまだ11歳。幼いときに父親である西郷隆盛を亡くしてしまったのです。

末っ子の酉三は結核のため、30歳の若さで亡くなってしまいました。
寅太郎と午次郎、は軍人や実業家となって活躍しました。

西郷隆盛の子供たちは、西南戦争の後どうなった?

維新の三傑と称され、幕末から明治にかけて大活躍した西郷隆盛は、西南戦争を指揮したことにより逆賊としてその生涯を終えました。
西郷隆盛の死は、西郷隆盛の子どもたちどんな影響を与えたのか?西南戦争の後、どうなったかを解説していきます。

西郷隆盛の長男:西郷菊次郎

西郷隆盛の長男 菊次郎は西南戦争に西郷とともに参戦し、右足を負傷してしまいます。その怪我が原因で右足を失い、義足になりました。永田熊吉に担がれて政府軍に投降し、その後は傷の治療をしながら隠れるように生活していました。

1887年(明治20年)にはアメリカへ留学し、帰国後はその経験を活かして外務省やアメリカ大使館にて活躍します。さらに、日清戦争で割譲された台湾に宜蘭支庁長として赴きます。
そこで4年半の間、台湾のインフラ整備に尽力しました。その中でも特に宜蘭川堤防を作った功績は高く評価されており、今でも台湾の方々から愛されているようです。

その後、第二代京都市長として京都に赴任。晩年は「島津家・山ヶ野金山鉱業」の館長として活躍しました。しかし、足の怪我による後遺症のため、8年間勤めた後に辞職。1928年(昭和3年)に自宅にて心臓麻痺のため死去しました。(享年67歳)

西郷隆盛の三男:西郷寅太郎

西南戦争が勃発した時、寅太郎はまだ11歳でした。鹿児島でひっそりと暮らしていましたが、1884年(明治17年)に西郷隆盛の盟友である吉井友実と勝海舟らの働きかけが功を奏し、明治天皇の思し召しにより13年間ドイツへと留学することになります。父である西郷隆盛が逆賊であるにも関わらず、明治天皇に大切にされていたからこそです。いかに明治天皇が西郷隆盛のことを信頼していたのかが伺えるエピソードです。

ドイツから帰国した寅太郎は陸軍少尉となり、1902年(明治35年)には父 西郷隆盛の維新の功により侯爵を授かり、貴族院議員に就任します。
ちなみに、西郷隆盛は大日本帝国憲法発布の大赦で赦され、正三位が贈られています。これは、西郷隆盛の名誉が回復したことを象徴する出来事であったと言えるでしょう。

その後寅太郎は、「東京捕虜収容所」「習志野捕虜収容所」の所長を歴任。その際に、寅太郎は捕虜のドイツ兵たちを人道的に扱いました。過去のドイツへの留学経験がそうさせたのかもしれません。
当時世界的に流行していたスペイン風邪が収容所でも猛威を奮い、寅太郎も罹患してしまいます。それが原因で肺炎を拗らせ、1919年(大正8年)に死去しました。(享年52歳)

西郷隆盛の子供:西郷午次郎

西郷午次郎に関しては、詳細にわかっていることが少ないです。
しかし、兄たちとは異なり実業家として活躍していたことがわかっています。日本郵船(三菱)の社長秘書として勤め、実業家としての一歩目を踏み出します。また、午次郎の妻の父が堀藤十郎という銅山経営で成功した実業家であったため、非常に裕福な生活をしていたようです。
そのためか、母・糸子を引き取り、糸子が亡くなるまでの3年間一緒に暮らしています。日本郵船を退職後も、叔父・西郷従道から土地を譲られ、裕福な暮らしを続けていたようです。

西郷隆盛の子孫の現在は?

西郷隆盛の子どもたちはそれぞれ各方面にて活躍していたことがわかりました。それでは、その後の子孫にはどのような方がいるのでしょうか?現在まで続いているのでしょうか?ここからは、西郷隆盛の子孫についてをご紹介していきます。
【現在も活躍している西郷隆盛の子孫】

  • 西郷隆文さん
  • 西郷隆夫さん
  • 武豊さん
  • 友利新さんの夫

西郷隆盛の子孫:陶芸家の西郷隆文さん

まず挙げられるのは、陶芸家の西郷隆文さんです。隆文さんは菊次郎の四男・西郷隆泰の息子にあたります。つまり、西郷隆盛のひ孫にあたります。鹿児島県日置市にて、「日置南洲窯」を開き陶芸活動を行っておられます。40歳を過ぎた頃から作品が認められ始め、2011年(平成23年)には現代の名工に選ばれ、翌年には黄綬褒章を受章しています。

西郷隆盛の子孫が経営するカフェ

次に挙げられるのは、西郷隆夫さん。この方は、寅太郎の孫にあたります。隆夫さんは、百貨店勤務を経て食品事業を経験した後に、(株)開墾舎を設立します。そして、「西郷隆盛銅像展望ホールK10カフェ」をオープンし、西郷隆盛に関する歴史を語り、広める活動をされてらっしゃいます。西郷隆夫さんが運営するカフェでは、西郷隆文さんの器でいただく松花堂御膳が人気だそうです。

武豊さんも西郷隆盛の子孫?

競馬ジョッキーとして有名な武豊さんも、実は西郷隆盛と関わりがあります。西郷隆盛の息子である寅太郎の妻・ノブは、実業家・園田実徳の娘でした。園田実徳は北海道開拓の功労者となるのですが、実徳の弟・武彦七も函館に移り住み馬術を学び、多くの弟子を残しました。そして、この武彦七のひ孫こそが、武豊・幸四郎の兄弟騎手となるのです。つまり、直接血がつながっているわけではありませんが、西郷隆盛と武豊さんは遠い親戚ということになります。

タレントの友利新さんの夫も西郷隆盛の子孫?

女医でありながら、女性タレントでもある友利新さん。この方も西郷隆盛と関わりがあります。
友利新さんのご主人は会社経営者なのですが、実は西郷隆盛の弟・西郷従道の玄孫(やしゃご)なのです。これは友利新さん自身がブログに書かれていることで、西郷隆盛の命日には「西郷家二十四日会」という親戚一同が集まる会にも参加されているそうです。

まとめ:西郷隆盛の子孫は現在も続いている!元法務大臣や騎手、芸能人の夫もいた

他にも寅太郎の三男・吉之助が佐藤内閣で法務大臣を勤めていたなど、西郷隆盛の子孫たちは様々な方面で活躍しています。西郷隆盛の子孫たちは、逆賊として最後を迎えた西郷隆盛の名誉を回復しようと努めたり、良さを広めようと活動をしていたりと、先祖である西郷隆盛を大事にしていることがわかります。
今回の内容をまとめると、

  • 西郷隆盛はその生涯において3人の妻と結婚した
  • 西郷隆盛の子供は全部で5人いた
  • 西郷隆盛の子どもたちは、軍人や政治家、実業家として活躍し、父の名誉回復に努めた
  • 西郷隆盛の子孫は現在も続いていて、陶芸家や芸能人の夫なども存在する

現在でも、西郷家の親戚一同が集まる「西郷家二十四日会」には約150人もの人が集まるそうです。もう西郷隆盛が死去してから何年も経っているというのに、それだけの人が集まるというのは、西郷隆盛がそれほどまでに偉大な人物であり、大事にされているということが伺えますね。

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