菅原道真の子孫の現在は?家系図から辿る末裔たち。現在の苗字は何?

菅原道真の子孫の現在は?家系図から辿る末裔たち。現在の苗字は何?

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菅原道真:845年(承和12)~903年(延喜3)は、平安時代に活躍した貴族です。全国各地にある天満宮に祀られていて、学問の神様としても有名です。一度は、天満宮にお参りに行ったことあるのではないでしょうか?
菅原道真は非常に優秀で、宇多天皇に重用され醍醐天皇の時代には右大臣にまで上り詰めるなど、異例の出世をした人物です。しかし、その優秀さを妬み恨んだ人たちの手によって、太宰府に左遷され、その地で最後を迎えています。
それほどまでに忠臣として名高い菅原道真の子孫たちは現在まで続いているのでしょうか?この記事では、菅原道真の家系図を見ながら子孫は現在も続いているのか?現在の苗字はなんなのか?について解説していきます。

菅原道真の子孫は現在もいる?

菅原道真は、正妻である島田宣来子しまだののぶきこの他にも妾がおり、全部で15人の子宝に恵まれたといわれています。

その菅原道真の子供たちは、菅原道真が太宰府へと左遷された際に都から追い出され、地方へと飛ばされてしまいました。しかし、菅原道真の死後に相次いだ天変地異や、左遷へと追い込んだ藤原時平の子孫たちが次々と急死していきます。

さらには、930年(延長8年)には清涼殿落雷事件が起き、その惨状を目の当たりにした醍醐天皇が崩御してしまいます。

あまりにも不吉なことが続き、このことは菅原道真の怨霊によるものなのではないか?と朝廷は恐れ、菅原道真がこれ以上怒らないようにと、朝廷は急いで道真の子孫たちを京に呼び戻したのでした。

その後、菅原道真の子孫たちは中央貴族となったりして、現在までも続いているのです。

菅原道真の家系図を簡単に解説!

菅原道真の家系図

菅原道真に子供は何人いた?

菅原道真には、正室である島田宣来子との間に2人、その他妾との間に13人子供がいました。

【菅原道真と島田宣来子との間の子供】

  • 菅原高視
  • 菅原衍子

【菅原道真と妾との間の子供】

  • 寧茂
  • 景行
  • 旧風
  • 弘茂
  • 兼茂
  • 宣茂
  • 淑茂
  • 滋殖
  • 寧子

菅原道真の子孫の家は、代々学者の家として長く続いたところが多いですが、中でも長男である菅原高視の子孫は中央貴族として残り、六家の堂上家を排出しました。

そのうち5つの堂上家は、明治時代になると華族に列し、当主はいずれも子爵に叙せられています。

そのうちの1家から分かれた西高辻家が、太宰府天満宮の社家として現代に至っています。

菅原道真の先祖は神様?

菅原道真の家系である菅原氏の祖先は、さかのぼっていくと天穂日命あめのほひのみことという日本神話に出てくる男神になると言われています。

また、14代目の子孫となる人物に、野見宿禰のみのすくねという『日本書紀』に登場する人物がいます。

野見宿禰は、出雲国の勇士で初代の横綱だと言われています。
垂仁天皇の命で奈良の力自慢・当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲勝負をして勝ったことから横綱になりました。そして、その後奈良一帯の土地を治めて、垂仁天皇に仕えたのです。

このように、菅原道真の先祖には神様や初代横綱がいたということになります。

菅原道真の子供たちは、左遷後にどうなった?

菅原道真はあまりにも優秀すぎたが故に、その才能に嫉妬した藤原時平ふじわらのときひららの手によって都から太宰府へと左遷されてしまいます。

菅原道真の左遷と同時期に、その子供たちも一緒に都から地方へと送られてしまいます。

その後、その子供たちは菅原道真の怨霊を危惧した朝廷によってまた都に戻ることができますが、その後どうなったのでしょうか?ここでは、子どもたちのその後を簡単に解説していきます。

菅原道真の長男から派生した六家

平安時代中後期は、都に戻っても大江氏が優勢で、菅原氏は公卿になることは少なかったのです。

しかし、鎌倉時代初期に菅原為長すがわらのためながが正二位・参議・大蔵卿に昇進して以降、菅原道真の子孫は歴代公卿となり、朝廷における紀伝道の要職を独占しました。

中でも、菅原道真の長男であった菅原高視の子孫は中央貴族として残ります。

  • 高辻家
  • 唐橋家
  • 五条家
  • 東坊城家
  • 清岡家
  • 桑原家

そして、菅原高視の子孫から六家が派生しました。

この六家は、堂上家と呼ばれる、いわゆる上級貴族です。
その後、明治時代にはいずれも華族になり、当主は子爵に叙されています。また、高辻家から西高辻家へ分かれて、太宰府天満宮の社家として現在まで至っています。

菅原道真の子孫には、歴史上の有名人も多数いる?

道真の子孫には、歴史上で有名な人物も多数います。

  • 菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめ
    菅原道真の長男 菅原高視の曾孫である孝標の娘で、菅原道真から数えると六世の孫です。『更級日記』の原作者。
  • 前田利家
    戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した戦国大名で、加賀藩前田氏の祖です。豊臣政権の五大老の一人でした。
  • 松平定勝
    江戸時代前期の大名です。徳川家康の異兄弟にあたります。
  • 大隈重信
    第8・17代の内閣総理大臣になった政治家であり、教育者でもあります。早稲田大学を創設したことでも有名です。

菅原道真の子孫が、元号の改正にも関わっている?

日本は天皇が変わると、元号が変わることになっています。

元号が改正される際には、専門の学者たちが漢学、歴史学、東洋思想など様々な観点から、新しい元号の原案を考えることになっています。

元号の改正に誰が関わっているのかは極秘事項で明かされることはないのですが、実はここに菅原道真の子孫も関わっているという話があるのです。

これには、菅原道真の祖先が土師氏という天皇の葬儀を司る家系であったことも関係しているのかもしれません。

菅原道真の子孫は、東北や九州など全国にいる?

菅原道真の左遷の際に子どもたちも地方に飛ばされたことにより、その際に全国のあちらこちらに子孫が残されていたという話もあるのです。
はっきりとした真偽はわかりませんが、菅原姓を名乗っていた氏族をご紹介します。

【菅原姓を名乗っていた士族】

  • 久松氏(尾張国:現在の愛知県)
  • 平手氏(尾張国:現在の愛知県)
  • 前田氏(加賀藩:現在の石川県)
  • 柳生氏(大和国:現在の奈良県)
  • 美濃部家(甲賀地方:現在の滋賀県)
  • 美作菅氏(美作国:現在の岡山県)
  • 播州菅氏(美作国:現在の岡山県)
  • 清岡氏(土佐国:現在の高知県)
  • 大隈氏(筑後国:現在の福岡県)
  • 宮崎氏(肥後国:現在の熊本県)

菅原道真の子孫で、現代でも活躍している人はいる?

菅原道真の子孫で、現代でも活躍している人は多数いらっしゃいます。

【菅原道真の子孫で現代でも活躍している人々】

  • 菅直人
    第94代内閣総理大臣です。美作菅氏の出身。
  • 松平定知
    フリーアナウンサーで、元NHKエグゼクティブアナウンサーです。伊予松山藩の久松松平家の分家旗本の子孫。
  • 三ツ間卓也
    群馬県出身の中日ドラゴンズに所属しているプロの野球選手(投手)です。母方の家系が菅原道真の末裔だと言われています。
  • 入江たか子(本名:東坊城英子)
    明治から昭和にかけて活躍した日本の映画女優です。東坊城家の出身。
  • 岡田卓也
    日本の実業家で、イオングループの名誉会長となった人物です。四日市岡田家の7代目当主。

菅原道真の子孫は、自称・他称含めてまだ他にもいらっしゃるようです。
総理大臣や、イオングループの名誉会長など、菅原道真の子孫には有名な方も多いですね。

まとめ:菅原道真の子孫は、歴史上の有名人が多数いて、その血筋は現代も続いている。

菅原道真の子孫は、東北や九州など全国に存在していて、その中には歴史上の有名人も多数いるということがわかりましたね。その血筋は現代まで続いていて、様々な場面で活躍していました。

今回の内容をまとめると、

  • 菅原道真の子供は、少なくとも15人いた
  • 菅原道真が太宰府に左遷された際に、子どもたちも地方へと送られた
  • 菅原道真の死後、数々の不幸な出来事が起き、朝廷は菅原道真の怒りだと恐れた
  • 菅原道真の子供たちは再び都へと戻され、朝廷における紀伝道の要職を独占した
  • 菅原道真の子孫の中には、総理大臣や女優など、有名な方も多数いる

現代の元号改正に菅原道真の子孫が関わっているのだとしたら、学者として相当優秀な人材だということになります。その優秀さを嫉妬されたが故に左遷されてしまった菅原道真の血が、現代までずっと続いているという証なのかもしれません。

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