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岩崎弥太郎の子孫の現在を、家系図で簡単に解説!有名人や三菱にもいる?

岩崎弥太郎の子孫の現在を、家系図で簡単に解説!有名人や三菱にもいる?

岩崎弥太郎:1835(天保6)~1885(明治18)は、三井・住友と並ぶ三大財閥の一つである三菱財閥を設立した人物です。激動の幕末から明治初期にかけての日本のビジネス界において、最も成功した人物と言っても過言ではありません。今回は、三菱財閥を築き上げた岩崎弥太郎の子孫は現在も続いているのか?また岩崎弥太郎の子孫にはどんな人物がいるのかについて簡単に解説していきます。

岩崎弥太郎の家系図を簡単に解説!

岩崎弥太郎
出身地:土佐国安芸郡(現在の高知県安芸市)
生年月日:1835(天保6)~1885(明治18) 享年51歳

土佐の地下浪人、岩崎弥次郎と美和の長男として生まれました。岩崎弥太郎は、貧しい生活の中でも学問に励み、土佐藩で出世。日本有数の三菱財閥を築き上げました。

岩崎弥太郎の家系図
岩崎弥太郎の家系図

岩崎弥太郎の家族構成はどうだった?

岩崎弥太郎は、土佐国(現在の高知県)にて地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれます。元々岩崎家は郷士の身分でしたが、弥太郎の曽祖父の時代に生活が困窮してしまい、身分を売って地下浪人となったのでした。

岩崎弥太郎に兄弟は2人、弟の弥之助は兄の事業を助けるために働き、岩崎弥太郎の死後、三菱の二代目社長を勤め、事業の多角化を図りました。
三菱財閥を作ったのが岩崎弥太郎であるならば、弟の弥之助は三菱を大きくしたと言えるでしょう。

岩崎弥太郎に子供は何人いた?

岩崎弥太郎は、喜勢という女性と結婚し3人の子供をもうけました。

【岩崎弥太郎と喜勢との間の子供】

  • 久弥
  • 春路
  • 磯路

岩崎弥太郎には妾も何人かいて(少なくとも弥太郎の死亡当時には6人いた)、その妾との子供も多く存在していますが、正確な人数ははっきりとしていません。

【岩崎弥太郎と妾との間に生まれた子供】

  • 豊弥
  • 富子
  • 秀弥
  • 雅子
  • 照子
  • 康弥
  • 正弥

岩崎弥太郎と正妻である喜勢との子どもたちは、それぞれ有名人と関わりを持っています。

長女・春路は第24代内閣総理大臣・加藤高明と結婚。

長男・久弥の子は、エリザベス・サンダース・ホームというG.Iベビー養護施設の創始者である沢田美喜です。

また、次女の磯路は木内重四郎と結婚しました。

岩崎弥太郎の子孫は現在も続いている?

岩崎弥太郎には正妻との間に3人、妾との間にも子供が数人います。
岩崎弥太郎の子孫は現在も続いているのでしょうか?ここでは、岩崎弥太郎の子孫について簡単に解説していきます。

岩崎弥太郎の子孫は、現在の三菱財閥にいる?

岩崎弥太郎の子孫は、現在の三菱財閥の経営有数の中には存在しません。
岩崎弥太郎の死後は、弟の弥之助が就任し、3代目は弥太郎の息子の久弥、4代目は弥之助の息子の小弥太が社長となりました。
しかし、終戦後は三菱の社内に岩崎家の子孫はいたものの、有数に就くことはありませんでした。

現在、岩崎弥太郎の直系の子孫も、現在断絶の危機にあります。

弥太郎の嫡孫である寛弥氏は、父親の彦弥太が死去したことで岩崎弥太郎家の4代目当主となると、三菱銀行の取締役になりました。
しかし、寛弥氏には実子がいなかったので岩崎透氏を養子に迎えたのですが、のちに縁組を解消してしまいます。
そして、2008年にはそのまま寛弥氏が亡くなってしまったので、岩崎弥太郎家は断絶の危機にあるというわけです。

岩崎弥太郎のすごい子孫たち

岩崎弥太郎の子孫たちには、有名なすごい人と繋がっている人がいます。ここでは、どのような人と繋がりがあるのかをご紹介していきます。

【岩崎弥太郎の子孫で有名な人物】

  • 春路(夫が第24代内閣総理大臣 加藤高明)
  • 雅子(夫が第44代内閣総理大臣 幣原喜重郎 )
  • 磯路
  • 木内信胤
  • 沢田美喜

岩崎弥太郎の子孫|娘婿には2人総理大臣がいる

岩崎弥太郎の子孫の凄さを象徴するのは、2人も総理大臣が娘婿になっているということです。
1人は、弥太郎と喜勢の子である春路。
春路は第24代内閣総理大臣・加藤高明と結婚しました。

そして、もう1人は、妾との子である雅子。
雅子は第44代内閣総理大臣・幣原喜重郎と結婚しました。

つまり、岩崎弥太郎は義理の息子が2人も国のトップになったんです。

岩崎弥太郎の子孫|渋沢栄一ともつながる、木内重四郎

岩崎弥太郎の娘である磯路は、元京都府知事の木内重四郎と結婚します。
この木内重四郎との間に磯路は3男2女の5人の子供をもうけました。その中でも、次女・登喜子は渋沢敬三と結婚します。渋沢敬三は、「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一の嫡孫で、日本銀行総裁や大蔵大臣などを勤めていました。

木内重四郎と磯路の娘の婚姻は、このあとも岩崎家の閨閥を更に広める結果に繋がるのです。

岩崎弥太郎の子孫|福沢諭吉ともつながる、木内信胤

先ほどご紹介した木内重四郎と磯路の次男である木内信胤は、実は福沢諭吉と関わりがあります。
木内信胤の妻は多代というのですが、実はこの多代夫人は福沢諭吉の孫娘にあたる方なのです。

木内信胤自身も外国為替管理委員会初代委員長や、世界経済調査会理事長などの要職を歴任し、吉田茂のブレーンを務めたり、池田勇人・佐藤栄作の御意見番をしたりしたことから、「歴代内閣の経済指南番」と呼ばれるような人物でした。

岩崎弥太郎の子孫|由紀さおりも繋がりがある?

歌手・女優として知られる由紀さおり(本名・安田章子)も、あまり知られていませんが実は岩崎家と親戚関係にあるのです。由紀さおりの姉の夫である澤田久雄の母親が、岩崎弥太郎の孫娘に当たります。
つまり、由紀さおりの姉は岩崎弥太郎のひ孫の嫁となるので、その妹である由紀さおりは必然的に岩崎弥太郎の親戚になるのです。

岩崎弥太郎の子孫|2000人の戦争孤児の母「沢田美喜」

岩崎弥太郎の長男・久弥の子である沢田美喜もすごい人物です。
岩崎弥太郎からすると孫にあたる沢田美喜ですが、この人物は「エリザベス・サンダース・ホーム」という児童養護施設を作りました。この児童養護施設は、第二次世界大戦敗戦後に、主に在日米軍将兵を相手にした日本人街娼などが出産した混血児、いわゆるG.Iベビーの中でも、東京周辺で親に捨てられた孤児を収容し、保護・育成するための施設です。

沢田美喜は、子どもたちを救うために私財を投じてこの施設を作りました。この施設を巣立っていった孤児たちは、なんと約2000人にものぼるそうです。

まとめ:岩崎弥太郎は子孫もすごい人物が沢山いた

三菱を設立した岩崎弥太郎はすごい人物でしたが、その子孫も様々な場所で活躍していた人物が多くいたということがわかりましたね。

今回の内容をまとめると、

  • 岩崎弥太郎には正妻と妾の間に多くの子供がいた
  • 岩崎弥太郎の死後、弟や息子が三菱の社長の跡を継いだが、現在は岩崎弥太郎の子孫は三菱の有職にはついていない
  • 岩崎弥太郎家の直系の子孫は、寛弥氏に実子がいなかったため断絶の危機である
  • 岩崎弥太郎の子孫には、内閣総理大臣や芸能人などの有名な人物と関わりのある者が存在する

三菱財閥が大きく事業拡大していったのは、岩崎弥太郎やその弟・息子の力が大きいのはもちろんですが、こういった子孫たちの婚姻などによる様々なネットワークの形成も大きかったのではないかと考えられますね。

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