渋沢栄一の家系図。100人以上いる、現代にも続く渋沢栄一の子孫たち。

渋沢栄一の家系図。100人以上いる、現代にも続く渋沢栄一の子孫たち。

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「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一しぶさわえいいち(1840-1931)。幕末から明治と日本が近代化していく時代に、500以上の会社の設立や600以上の社会事業に携わった人物で、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主役です。
そんな渋沢栄一には多くの子どもがおり、彼の子孫は100人以上いると言われています。
今回は、渋沢栄一の子孫は現代にどのように続いているのかについて、家系図をもとに探っていきましょう。

渋沢栄一の家系図

渋沢栄一は2人の妻との間に4男3女をもうけており、他にも多くの庶子がいました。嫡出の子を中心とした家系図がこちらです。

渋沢栄一の家系図

渋沢栄一の父「市郎右衛門」は商売の天才だった?

渋沢栄一は、武蔵国榛沢郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)に、父・渋沢市郎右衛門しぶさわいちろうえもん、母・エイの間に誕生しました。渋沢の前に2人の男児がいたものの、早世したため、渋沢栄一は長男として育てられました。
血洗島ちあらいじまという地名の由来は諸説あり、渋沢自身が「赤城の山霊が他の山霊と戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗った」という伝承を記している他、源義家の家臣が戦いで切り落とされた片腕を洗ったなどの説があります。

渋沢家は血洗島の開拓一族で、周辺には同じ渋沢姓の家が17軒もありました。
名字だけではどの家か分からないため、家の位置関係から、本家筋とされる「中の家なかんち」を中心として「東の家ひがしんち」「前の家まえんち」などと呼びました。

 渋沢栄一の父、渋沢市郎右衛門は「東の家」の3男として生まれ、跡継ぎの男子がいなかった「中の家」に婿入りし、エイと結婚しました。
当時「中の家」は財政的に困窮していましたが、市郎右衛門は藍玉の製造販売、養蚕、農業などを多角的に経営し、「中の家」を再興しました。
特に藍の葉を乾燥させて染料に加工する藍玉は生産が難しいにも関わらず、年間一万両を売り上げたそうです。
勤勉な市郎右衛門は学問にも通じており、幼少期の渋沢は父から漢籍の手ほどきを受けました。市郎右衛門の商才が渋沢栄一にも引き継がれていったのでしょう。

渋沢栄一とは一体どんな人だったのかは、こちらの記事にも詳しくまとめてあります。

渋沢栄一の二人の妻とその子供達

渋沢は2度、妻を娶っています。

■渋沢栄一の1人目の妻:尾高千代(1841-1882)
渋沢栄一は1858(安政5)年に従妹の尾高千代と結婚します。
千代は渋沢に論語を手ほどきした従兄・尾高惇忠おだかあつただの妹です。
千代との間には1男2女がいます。千代は1882(明治15)年にコレラで死去しました。
なお、渋沢は欧州渡航前に千代の弟・平九郎を見立て養子にしています。
洋行中に不測の事態が起きても家系が断絶しないようにとの配慮でしたが、飯能戦争に敗れた平九郎は渋沢の帰国前に自決しました。

・長女:穂積歌子(1863-1932)
穂積陳重(法学者、東大法学部長)の妻。
著書に「穂積歌子日記」があります。

・次女:阪谷琴子(1870-1925)
阪谷芳郎(大蔵大臣、東京市長)の妻。

・長男:渋沢篤二(1872-1932)
澁澤倉庫会長。渋沢家の嫡男でしたが、廃嫡となり、篤二の長男(渋沢の孫)・渋沢敬三が渋沢栄一の後継者となりました。廃嫡の理由は諸説あり定かではありませんが、新橋の芸者との放蕩や、実業家よりも芸術家肌であったことが憂慮されたと言われています。

■二人目の妻:伊藤兼子(1852-1934)
渋沢栄一は、1883(明治16)年に伊藤兼子と再婚します。
兼子の実家は水戸藩の公金御用達も務めた江戸屈指の豪商でしたが、明治維新後に家業は傾いていました。
渋沢と結婚した当時、深川にあった渋沢の邸宅は、兼子の実家が没落時に手放したものだったそうです。渋沢栄一と兼子との間には3男1女がいます。

・次男:渋沢武之助(1886-1946)
石川島飛行機製作所2代目社長

・三男:渋沢正雄(1888-1942)
日本製鐵副社長、石川島飛行機製作所初代社長、石川島造船所専務。

・三女:明石愛子(1890-?)
明石照男(銀行家、澁澤倉庫会長、第一銀行取締役)の妻

・四男:渋沢秀雄(1893-1984)
田園都市開発取締役、東京宝塚劇場会長、東宝取締役会長

渋沢栄一の子供達は、合計で4男3女の子供がいます。
経歴や嫁ぎ先をみるだけでも、とんでもない経歴ですね。
渋沢栄一の優秀さをしっかり受け継いだのでしょう。

渋沢栄一とは一体どんな人だったのかは、こちらの記事にも詳しくまとめてあります。

渋沢栄一の孫も経済人が多数

渋沢栄一の孫にも、経済界などで活躍した人が多くいます。
それぞれの経歴をみていきましょう。

【渋沢栄一の長女・穂積歌子の子】
・長男:穂積重遠
法学者、東京大学法学部長、最高裁判事、東宮大夫。
「日本家族法の父」と呼ばれました。

・次男:穂積律之助
海軍造船少将、退役後、石川島造船所(現IHI)取締役。

・四男:穂積真六郎 
朝鮮総督府殖産局長から朝鮮商工会議所会頭。のち参議院議員。

【次女・阪谷琴子の子】
・長男:阪谷希一
日本銀行から関東庁に転じ、退官後は満州国総務庁次長。
中国聯合準備銀行顧問。

【長男・渋沢篤二の子】
・長男:渋沢敬三
民俗学者、澁澤同族社長、澁澤倉庫取締役、第一銀行副頭取、日銀総裁、幣原内閣の大蔵大臣。
父・篤二の廃嫡後に祖父である渋沢より後継者に指名されました。

・次男:渋沢信雄
貿易商。澁澤倉庫監査役。

・三男:渋沢智雄
澁澤倉庫常務。

【三男・渋沢正雄の子】
・長女:壬生博子
壬生基泰(公家華族、陸軍軍人)の妻

・次女:鮫島純子
鮫島員重(岩倉具視の曽孫、海軍中将鮫島具重の子)の妻。
著書に『祖父・渋沢栄一に学んだこと』『なにがあっても、ありがとう』『97歳、幸せな超ポジティブ生活』などがあります。

【三女:愛子の子】
・三男・明石正三
足利銀行監査役。

・七男・明石武和
味の素常務。

・娘・土屋喜久子
土屋計雄(第一ホテル社長)の妻。

 【四男:秀雄の子】
・長男・渋沢一雄
アコーディオン演奏者、音楽家。

・三女・渋沢華子
小説家。著書に『渋沢栄一、パリ万博へ』『徳川慶喜最後の寵臣 渋沢栄一―そしてその一族の人びとなどがあります。

現代でも活躍している渋沢栄一の子孫たち

渋沢栄一の子孫は、現代でも多くの方が活躍しています。
その中でも特に著名な方をご紹介します。

渋沢雅英
渋沢の曽孫にあたります。渋沢栄一記念財団理事長、東京女学館理事長、イニシアティブス・オブ・チェンジ顧問。

渋沢健
渋沢の玄孫にあたります。コモンズ投信株式会社創業者、同社会長。シブサワ・アンド・カンパニー株式会社代表取締役CEO。

鮫島弘子
渋沢の玄孫にあたります。 andu amet(アンドゥ・アメット)代表取締役兼チーフデザイナー。

鮫島圭代
渋沢の玄孫にあたります。美術ライター、翻訳家。

澁澤莉絵留
将来が嘱望されるプロゴルファーです。父方が渋沢栄一の子孫といわれています。

澁澤侑哉(1998-)
ファッションモデルです。渋沢栄一の子孫であるとのことですが、あるテレビ番組の検証では、本家筋の家系図に記載は無かったようです。
また、別の番組では「ひいひいひいおじいちゃんが渋沢栄一さんのいとこ」と発言しています。

渋沢栄一の子供にまつわる逸話をご紹介

ここまで見たように、渋沢栄一には多くの子孫がいますが、実は渋沢は花柳界でも名の知られる存在で、公になっているだけでも3人の妾がいました。
渋沢には庶子を合わせると20人の子どもがいたとされますが、50人とする説もあるほどです。子孫は合わせて100人以上いると言われています。

妻もいるのに、妾も同居していた

1873(明治6)年に撮られた写真には、妻と妾が一緒に写っており、同居生活を送っていたことが分かります。68歳のときにも妾との間に子どもをもうけており、妻妾と共に生活するのが当たり前になっていたのでしょう。

渋沢栄一の妻・兼子は晩年、
「渋沢も『論語』とは上手いものを見つけた。これが『聖書』だったら守れっこないもの」と言っていたそうです。姦淫を強く禁じる『聖書』は守れるわけがない、という正妻ならではの皮肉ですね。

沢山の庶子を迎え入れ育てていた

正式に庶子と認められているのは4人です。渋沢は庶子であってもしっかり教育を受けさせていました。娘たちは正妻である千代の縁戚に嫁いでいることから、大切に扱われていたことが伺えます。

ふみ
尾高次郎(東洋生命社長)の妻。
尾高次郎は渋沢の妻千代の兄・尾高惇忠の子です。

・照子
大川平三郎(富士製紙社長)の妻。
大川平三郎は渋沢の妻千代の姉の子です。

・星野辰雄
東京印刷社長・星野錫の養子になります。のち立教大学教授。

長谷川重三郎
第一銀行頭取

渋沢栄一とは一体どんな人だったのかは、こちらの記事にも詳しくまとめてあります。

まとめ:渋沢栄一の家系図には、現代にも続く有名な人物がたくさん登場する。

「日本の資本主義の父」と呼ばれ、日本の近代化に甚大な貢献をした渋沢栄一。渋沢栄一の家系図には、その肩書きだけでもとんでもない経歴とわかるような人物がたくさん出てきましたね。
今回の内容をまとめると、

  • 渋沢栄一には4男3女がおり、他にも多くの庶子がいた
  • 子孫は100人以上と言われている
  • 渋沢栄一の子孫には、大企業の社長や各界の重鎮が多くいる
  • 現在も渋沢雅英氏、渋沢健氏、鮫島弘子氏、鮫島圭代氏などが活躍している

日本資本主義の父は、教育にも力を入れていただけあって、たくさんの優秀な人材の父でもあったのですね。

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