島津家の子孫は現在も続いている?皇室にも繋がりがある?島津製作所との関係は?

島津家の子孫は現在も続いている?皇室にも繋がりがある?島津製作所との関係は?

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島津義久や島津斉彬、島津久光など戦国から幕末にかけてその名を全国に轟かせた薩摩島津藩。島津家は、西郷隆盛や大久保利通など幕末の志士を多数輩出したことで知られています。
この島津家は、鎌倉時代から江戸時代まで、700年もの間、薩摩藩(現代の鹿児島県と宮崎県南部)を統治し続けてきた名門の氏族です。そんな島津家の現在の子孫はどのような方々なのか?皇室にもつながりがあるというのは本当なのか?また「島津」の名前で有名な「島津製作所」と島津家の関係性はあるのか?今回は島津家の子孫について解説していきます。

島津家の子孫は現在も続いている?

鎌倉時代から脈々と続いてきた島津家の子孫は、現代も続いています。
現在は、島津修久さんが32代目島津家当主として島津家の遺志を継いでいるのです。

島津家の歴史を見ていくと、兄弟でそれぞれが当主を名乗っている時期があったり、お由羅騒動おゆらそうどうと呼ばれるお家騒動があったりと、決して平坦なものではありませんでした。島津家は長い歴史の中で、様々な危機を乗り越え、現代まで子孫を続けることができているのです。

島津家は明治維新の後どうなった?

島津家の名前を幕末で轟かせた存在が、28代目当主の島津斉彬しまづなりあきらでした。
島津斉彬は、諸藩に先駆けて「日本を西洋列強のような強く豊かな国にしなければいけない」と考え、「集成館事業」という富国強兵・殖産興業政策を推進するとともに、西郷隆盛などの明治維新の原動力となった若い人材を育成したことで有名です。

島津斉彬は若くして亡くなってしまいましたが、彼の遺志を継承した29代目当主の島津忠義やその父の島津久光しまづひさみつらにより、明治維新は成し遂げられたのです。
明治維新後も島津家は中枢で日本を支え続けました。島津忠義は鹿児島藩の知事を経て貴族院議員となりました。
島津忠義の玄孫は徳川家18代当主の徳川家広さんですし、その他も島津家の子孫からは、有名企業の社長や大学の理事となる人物を、数多く輩出しています。

激動の幕末を動かした薩摩藩・島津家は、明治維新後も活躍し続けているんです。

島津家の現在の当主は?

現在の島津家の当主は、32代目の島津修久さんです。
鹿児島県鹿児島市にある照国神社の宮司であり、株式会社島津興業の代表取締役を務める地元の明主です。
ちなみに元首相の細川護煕ほそかわもりひろさんは彼のいとこにあたります。

島津家は皇室とも繋がりがある?

鎌倉時代からの歴史がある島津家は、皇室とも繋がりがあります。
幕末の名君として知られる28代目当主の島津斉彬は、弟の島津忠義に当主を引き継ぎます。
その29代目当主 島津忠義しまづただよしには、十一人の子どもがいました。
八女の俔子が嫁いだのが皇族の久邇宮邦彦王くにのみやくによしおうです。そうして二人の間に生まれた良子女王が、昭和天皇のお后様である香淳皇后こうじゅんこうごうなのです。今の天皇には、島津家の血が流れているんです。

島津家と島津製作所は関係ある?

日本を代表する企業の一つでもある島津製作所は、島津家と関係があるのでしょうか?
島津製作所の社章も丸の中に十文字がかかれており、島津家の家紋と同じです。
初代社長も「島津」源蔵と島津姓です。しかしながら、島津家と島津製作所は直接的な血族関係は無いといわれています。

島津家16代当主の島津義弘しまづよしひろが、豊臣秀吉から新たに拝領した播州姫路の領地の検分に立ち寄った際、島津製作所の創業者である島津源蔵しまづげんぞうの祖先が領地の検分などに尽力したそうです。
その誠意に対する感謝の印として、島津義弘から「島津」の姓と、丸に十の字の家紋が贈られたといわれています。

島津製作所と島津家は、直接的な関係はありませんでしたが、島津製作所の初代社長の一族の方は、薩摩藩主から褒美として賜った「島津」の姓と家紋を大事に引き継いできたのですね。

島津家の意思を引き継ぐ「島津興業」

株式会社島津興業は、鹿児島県鹿児島市に本社を置く、大正11年に創業された企業です。現代はこの会社が、島津家の意思を引き継いでいます。

株式会社島津興行が運営している中に、第19代当主の島津光久に別邸として建設された「仙巌園せんがんえん」の管理運営や、第28代当主の島津斉彬の事業の一環として建造された機械工場「尚古集成館しょうこしゅうせいかん」などがあります。

日本を代表する大名庭園である「仙巌園」は世界文化遺産として登録されており、桜島を望む雄大な庭園に加え、殿様が暮らした御殿も見ることができる庭園です。

また、「尚古集成館」は、現在は博物館となっており、島津家の史料や薩摩を代表する工芸品「薩摩切子」や「薩摩焼」などを展示しています。

薩摩の地を守り続けた島津家の意思は、株式会社島津興業としてしっかりと引き継がれているんです。

島津家は鎌倉代から続く名家だった

島津家のルーツは非常に古く、発足は鎌倉時代までさかのぼります。
鎌倉幕府の御家人だった惟宗忠久これむね ただひさは、鎌倉幕府 征夷大将軍の源頼朝から島津荘(薩摩国・大隅国・日向国の三国にまたがる荘園)の管理を任じられ、「島津」氏を名乗るようになります。これが島津家のはじまりです。
島津家は、長い歴史の中でその血を脈々と受けぎながら、現代へと続いている歴史ある一族なんです。

島津家の歴代当主一覧

島津家の歴代の当主を一覧で示します。

  • 1代目:島津忠久しまづ ただひさ
    平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将
  • 2代目:島津忠時しまづただとき
    鎌倉時代前期から中期にかけての武将
  • 3代目:島津久経しまづひさつね
    鎌倉時代中期の武将。元寇で活躍
  • 4代目:島津忠宗しまづ ただむね
    鎌倉時代中期から末期にかけての武将
  • 5代目:島津貞久しまづさだひさ
    鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての武将。足利尊氏に属し活躍
  • 6代目:島津師久しまづ もろひさ
    南北朝時代の武将。兄系島津氏(総州家)の初代
  • 6代目:島津氏久しまづ うじひさ
    南北朝時代の武将。弟系島津氏(奥州家)の初代
  • 7代目:島津伊久しまづ これひさ
    南北朝時代から室町時代前期にかけての守護大名。兄系島津氏(総州家)2代
  • 7代目:島津元久しまづ もとひさ
    南北朝時代から室町時代の武将。弟系島津氏(奥州家)2代。家督を統一する
  • 8代目:島津久豊しまづ ひさとよ
  • 9代目:島津忠国しまづ ただくに
  • 10代目:島津立久しまづ たつひさ
    室町時代の大名。応仁の乱では東軍に属す
  • 11代目:島津忠昌しまづ ただまさ
  • 12代目:島津忠治しまづ ただはる
  • 13代目:島津忠隆しまづ ただたか
  • 14代目:島津勝久しまづ かつひさ
  • 15代目:島津貴久しまづ たかひさ
  • 16代目:島津義久しまづ よしひさ
    戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の大名。三州を統一し、一時九州統一目前に迫るなど島津氏の全盛期を築く。
  • 17代目:島津義弘しまづ よしひろ
  • 18代目:島津家久しまづ いえひさ
    安土桃山時代から江戸時代前期の外様大名で薩摩藩の初代藩主。
  • 19代目:島津光久しまづ みつひさ
  • 20代目:島津綱貴しまづ つなたか
  • 21代目:島津吉貴しまづ よしたか
  • 22代目:島津継豊しまづ つぐとよ
  • 23代目:島津宗信しまづ むねのぶ
  • 24代目:島津重年しまづ しげとし
  • 25代目:島津重豪しまづ しげひで
  • 26代目:島津斉宣しまづ なりのぶ
  • 27代目:島津斉興しまづ なりおき
  • 28代目:島津斉彬しまづ なりあきら
    江戸時代末期の外様大名。開明的な幕末随一の名君として知られる。養女「篤姫あつひめ」は江戸幕府第13代将軍の徳川家定とくがわいえさだに嫁ぎ正室となる。
  • 29代目:島津忠義しまづ ただよし
    薩摩藩最後の当主で、廃藩置県後は華族となる(公爵)。
  • 30代目:島津忠重しまづ ただしげ
    公爵。姉は皇族に嫁いだ邦彦王妃俔子であり香淳皇后の叔父にあたる。
  • 31代目:島津忠秀しまづ ただひで
    水産研究者。
  • 32代目:島津修久しまづ のぶひさ
    照国神社宮司。株式会社島津興業代表取締役。

まとめ:島津家の子孫は皇室にもいた。島津家の思想は島津興業が受け継いでいた

薩摩藩の名主である島津家は、鎌倉時代から現代まで長い間、薩摩の地を見守り続けていることがわかりました。島津家の子孫が、徳川家の当主になっていたり、皇室にもいたことには驚きですね。
今回の内容をまとめると

  • 島津家の子孫は現代も続いている
  • 島津家の子孫には、皇室にもいた
  • 島津家と島津製作所とは直接的な関係は無い
  • 株式会社島津興業が島津家の思想を引き継いでいる

藩主ではなくなった今も、株式会社島津興業として島津家の思想が受け継がれていることもわかり、いまもなお、薩摩の地と島津家が密接な関係であることは、感慨深いですね。

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