平安時代の年中行事一覧!内容は?時期は?七夕やひな祭りなど今もあるものも?
平安時代(794(延暦13)〜12世紀末)は、桓武天皇が平安京に都を移してから、鎌倉幕府が成立するまでの約390年間のことです。
古代の末期とも、中世の萌芽期とも言われており、古代から中世の過渡期になる大事な時代に当たります。
そんな平安時代には、どのような年中行事があったのでしょうか?現代と同じような行事はあったのでしょうか?この記事では、平安時代の年中行事について簡単に解説していきます。
目次
平安時代の年中行事はどんなものがあった?
年中行事というと、現代では正月やひな祭り、七夕など様々なものがあります。
それでは、平安時代の年中行事にはどのようなものがあったのでしょうか?
ここでは、平安時代の年中行事について簡単に解説していきます。
平安時代の年中行事一覧
【1月】
- 元日 四方拝、朝賀、元日節会諸司奏
- 2日 朝観御幸
- 3日 月奏
- 4日 叙位
- 7日 七種菜、白馬節会
- 8日 御斎会、御七日御修法、大元帥法
- 11日 県召除目
- 15日 七種御粥
- 16日 踏歌節会
- 17日 射礼
- 21日 内宴
【2月】
- 4日 新年祭
- 11日 列見
- 25日 北野祭
【3月】
- 3日 曲水宴三月節会
【4月】
- 1日 孟春旬、更衣
- 8日 灌仏
- 28日 駒牽
【5月】
- 1日 法勝寺三十講
- 5日 端午節、五月節会
【6月】
- 1日 御贖物
- 11日 月次祭神今食祭
- 14日 祇園御霊会
【7月】
- 7日 御節供
- 15日 盂蘭盆会
- 16日 相撲召仰
- 26日 相撲節
【8月】
- 11日 定考
- 15日 石清水放生会
【9月】
- 7日 不堪佃田奏
- 9日 重陽御節供九月節会
- 11日 伊勢例弊
- 16日 豊受大神宮神嘗祭
- 17日 皇太神宮神嘗祭
【10月】
- 1日 更衣孟冬旬
- 5日 射場始、残菊宴
【11月】
- 1日 御暦奏
- 23日 新嘗祭
【12月】
- 晦日
- 鎮火祭、大祓、御贖物、追儺
平安時代の年中行事には今もあるものも?
平安時代の年中行事には、一年間を通して様々なものがありました。
実はその中には今もあるものもあるのです。
ここでは、平安時代の年中行事の今もあるものについて簡単に解説していきます。
三毬杖【どんと焼き】
どんと焼きと言えば、1月15日周辺にお正月で使用した門松や注連飾りを焼くことによって、炎とともに年神様を見送るという意味を持った年中行事です。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、無病息災などを願います。
このどんと焼きの起源は、平安時代の三毬杖という年中行事だと言われています。
三毬杖とは、正月に行われる火祭りのことで、貴族が3本の毬杖を立てて燃やしていたそうです。それが民間へと広がっていく際に、門松や注連縄を持ち寄って焼く風習へと変わっていきました。
若菜摘み【七草粥】
1月7日には、七草粥を食べて無病息災を祈願するという風習があります。
この風習は、中国から始まったと言われています。中国から、平安時代に日本に伝わってきました。
そして、平安時代前期に、宇多天皇が、初めて七種の若菜を入れた粥を神に供えて、無病息災を祈念しました。
それ以降は、お正月に若菜を摘んで食べるという「若菜摘み」という年中行事になり、これが風習として根付きました。
ただし、庶民にまでこの風習が根付いたのは、江戸時代の頃だったと言われています。
追儺【節分】
現代の節分というと、鬼を豆で払うことによって、一年間の健康を祈る年中行事ですよね。
節分は元々季節の変わり目を表す言葉でした。
立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれの前日を指していましたが、現在では主に立春の前日を節分と言うようになりました。
平安時代の節分は、これと言って特別なことはありませんでした。
しかし、そんな現代の節分のように鬼を払う行事が平安時代にもありました。それが、追儺です。
追儺は、大晦日に行われ、鬼を払うことによって、新年を迎える準備をしました。そして、陰暦の正月が立春とも近いため、室町時代以降、立春の前日が節分の行事となっていきました。
ひな祭り
ひな祭りは、3月3日に雛人形を飾って、幼い女の子の健やかな成長を祈る年中行事です。
このひな祭りの起源も平安時代だと言われています。
平安時代、3月3日は上巳の節句と呼ばれ、この日は古くから一年のうちで最も陰の極まる悪い日であると信じられていました。この日には、ケガレを落とすために、水辺に出て口をすすぎ洗っていたそうです。
それが、7世紀頃になってくると、藁人形に自身の悪いものを移し、水に流してケガレを捨てるという風習に変わっていきます。この人形は、「撫物」「形代」と呼ばれ、後の雛人形の起源となりました。
ちなみに、この人形が雛人形となったあとは、貴族の娘たちが「雛遊び」として遊んでいたようです。
七夕
七夕は、7月7日に織姫・彦星伝説や短冊に願い事を書いて竹に吊るすなどする年中行事です。
この風習は、元々中国の魔除けの風習から来ているのですが、日本にきて、いつからか牽牛と織姫伝説と結びつくようになりました。
織姫は、機織りを司ると言われており、平安時代の7月7日には、夜に機織りや裁縫、手芸など幅広い芸事の上達を祈るようになったのです。
これが、七夕の起源だと言われています。
ちなみに、七夕の呼び名は、織姫が「棚幾つ女(たなばたつめ)」と呼ばれていたことから「七夕」となったようです。
年中行事の始まりは?なぜ始まった?
年中行事とは、毎年特定の日時に繰り返される行事のことを言います。
そもそもこの年中行事とは、いつから始まったのでしょうか?
日本の年中行事は、中国の暦法の影響を受けながら、8世紀から9世紀にかけて朝廷が整備しました。
その頃は、主に貴族たちがメインの年中行事が多かったのですが、江戸時代あたりまでくると一般的に広く普及したのです。
ちなみに、平安時代前期には、『延喜式』から歳時ごとの行事を抜粋して記した『年中行事記』という書物も完成しています。
まとめ:平安時代の年中行事には今もあるものがいくつかある
平安時代の年中行事は、一年を通して数多くあり、その中にはひな祭りや七夕など、今現在も続いているものがいくつかありました。
今回の内容をまとめると、
- 平安時代に、年中行事がきちんと整備された
- 平安時代に整備された年中行事は、最初は貴族の行事がメインだったが、時代が進むに連れ庶民にも広まっていった
- 平安時代から始まった年中行事で、ひな祭りや七夕など今も残っている行事がある
平安時代に書かれた『年中行事記』は、中世には『歳時記』というものに変わります。この歳時記は、今現在でも俳句などの世界で重視されています。日本の季節感や美意識、生活感情などを伺い知れるもの、それが年中行事なのです。