アフィリエイト広告を利用しています

新田義貞の家紋は「一つ引き両紋」その由来や意味を簡単に解説!

新田義貞の家紋は「一つ引き両紋」その由来や意味を簡単に解説!

新田義貞は、鎌倉時代後期に活躍し、足利尊氏と共に鎌倉幕府を滅ぼしたことで有名な武将です。

新田義貞が難攻不落と言われていた稲村ヶ崎を攻略したことで、鎌倉幕府は滅亡へと向かったのです。

そんな鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞は、「一つ引き両紋」と呼ばれる家紋を使用していました。

今回は、新田義貞の家紋「一つ引き両紋」の由来や意味を簡単に解説していきます。

新田義貞の家紋は「一つ引き両紋」

新田義貞は「一つ引き両紋」という家紋を使用していたといわれています。

新田義貞の家紋「一つ引き両紋」

新田義貞の家紋は、太い線を一本横に引いただけのシンプルで力強い武家らしい家紋です。

「大中黒(だいなかぐろ)」紋や、「新田一つ引(にったひとつびき)」紋ともよばれます。

新田義貞はの家紋「一つ引き両紋」の由来は?

新田義貞の家紋「一つ引き両紋」の由来は諸説存在しています。

【引き両紋の由来の諸説】

■横線は「龍」を表している説。

龍は昔から神様の化身として尊敬されてきた存在です。

龍を家紋とすることで、その霊力にあやかろうとしたという説です。

横線を龍に見立てることは突飛なものではなく、中国北部にも縄を龍に見立てて結界を張る慣習が残されています。

■横線は、「矢」を表している説

「一つ引き両紋」は「大中黒」という名前で、軍記物語の「保元物語」や「平家物語」に書かれています。そこから、「矢」を表す武力を示すものとしての意味合いを持っているといわれています。

■横線は、将軍の旗に考慮した結果のものであった説

鎌倉時代初期、将軍家源氏は白地の陣幕を用いていました。

将軍と同族の新田氏は、将軍と同じ白地を使用するのを遠慮して、一本の黒線を陣幕に引きました。
それが後に家紋に転化したという説です。

ちなみにその際、同じ源氏一門の足利氏は白地に二本の黒線模様の陣幕を用いたため、足利氏の家紋は二つ引き両紋となったといわれています。

この陣幕の模様が家紋になったという説が一番現実的なもののように感じます。

新田義貞の家紋「一つ引き両紋」を使っていた他の武将はいる?

新田義貞の家紋である「一つ引き両紋」を使用していた他の武将は存在するのでしょうか。

一つ引き両紋を使っている武将は、新田氏宗家以外に確認できませんでした。

それは、鎌倉幕府を倒した後に、それまで味方であった新田義貞と足利尊氏が覇権をめぐって敵対したことが、関係していると考えられます。

足利尊氏が勝利し、新田義貞は敗れ去ったことにより、一つ引き両紋を家紋として使用していた武将たちは別の家紋を使用するようになったというのです。

鎌倉幕府の滅亡に大きく貢献した新田義貞の家紋を、敗者だからという理由で使用しなくなるというのも、なんだか切ない話ですね。

新田義貞の家紋「一つ引き両紋」以外の引き両紋

「一つ引き両紋」は「引き両紋」グループの一つです。

単数から複数の平行線で描かれた紋をいたもの線で描かれた紋を「引き両」と呼んでいます。

【主な引き両紋の種類】

  • 一つ引き両紋
    一本の平行線で描かれている紋。
    五枚の布からなる陣幕をつくる際、上限を白色、中3枚を黒色の布でつくったことが由来といわれている。
  • 二つ引き両紋
    二本の平行線で描かれている紋。五枚の布からなる陣幕をつくる際、白色と黒色の布を交互に並べてつくったことが由来といわれている。
  • 三つ引き両紋
    三本の平行線で描かれている紋。五枚の布からなる陣幕をつくる際、真ん中の布を黄・紫・紅の三色に染め分けたことが由来といわれている。
  • 木瓜に二つ引両
    大鳥の巣をかたどった紋(木瓜紋)と二つ引き両紋がセットで描かれている紋。
    室町幕府の将軍家足利氏から二つ引き両紋を賜り、それまで使っていた家紋に、賜った二つ引き両紋を組み合わせたことが由来といわれている。

新田氏の家紋は、一本の平行線で描かれているので、「一つ」「引き両紋」というわけです。

「引き両紋」を家紋にする武将の中で、有名なのは、室町幕府の将軍である足利氏といえるでしょう。二本の平行線で描かれている紋「二つ引き両紋」を使う足利氏と新田氏の関係や、引き両紋を家紋とする武将たちをご紹介します。

引き両紋の由来は足利尊氏?

引き両紋として有名なのは、足利尊氏の「二つ引き両紋」ですが、新田義貞の家紋である「一つ引き両紋」との関係はどのようなものなのでしょうか。

新田氏と足利氏の家紋の由来は、ほぼ同じ時期の鎌倉時代初期の頃であるとされています。

陣幕に白地を使用していた主君と見分けるために、自分の陣幕につけた印が転じて家紋となったというものです。

陣幕は五枚の布を縫い合わせて作られていました。
新田氏は一番上と下に白色の布を用い、中の三枚の布を黒にして縫い合わせました。
一方の足利氏は、二番目と四番目を黒の布としました。

すると、遠くから見ても、太く黒い一本線が新田氏であり、二本線が足利氏であると一目で判別できたというわけです。

足利尊氏の家紋「足利二つ引き両紋」

鎌倉幕府の滅亡に大きく貢献した新田義貞の引き両紋よりも、その後15代に渡る将軍家を樹立した足利尊氏の家紋(足利二つ引き両紋)の方が、後世に残っていったというわけなんです。

引き両紋を使用していた武将一覧

【引き両紋を家紋とする武将一覧】

  • 「一つ引き両紋」:新田氏
  • 「二つ引き両紋」:足利氏
  • 「三つ引き両紋」:三浦氏
  • 「木瓜に二つ引両」:三河伴氏・流富永氏
  • 「巴に二つ引両」:赤松氏
  • 「九字に二つ引両」:遠山氏
  • 「竪二つ引両に鳳凰」:波多野氏
  • 「三つ酢漿草に二つ引両」:中沢氏 など

まとめ:新田義貞の家紋「一つ引き両紋」は、陣幕の模様から生まれた

新田義貞の家紋である「一つ引き両紋」は、陣幕の模様から生まれたものである可能性が高いことがわかりました。
今回の内容をまとめると、

  • 新田義貞は「一つ引き両紋」を家紋としていた。
  • 新田義貞の家紋「一つ引き両紋」は、陣幕の模様から生まれた可能性が高い。
  • 引き両紋は多くの武将に使用されている紋である。

シンプルな家紋の中にも、歴史が込められているのだなぁと感じますね。

スポンサーリンク

最初のコメントをしよう

必須

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください