田沼意次の死因は何?息子・意知は暗殺された?最後の姿は?墓所はどこにある?
田沼意次(1719(享保4)〜1788(天明8))は、江戸時代中期に活躍した江戸幕府の老中です。第9代将軍・徳川家重と第10代将軍・徳川家治の治世下で側用人と老中を兼任し、幕政を主導しました。
そんな田沼意次はどのようにして亡くなったのでしょうか?
また、墓所はどこにあるのでしょうか?
この記事では、田沼意次の死因などを簡単に解説していきます。
目次
田沼意次の死因は何?
田沼意次は、老中として幕政を主導しました。
そんな田沼意次はどのようにして亡くなったのでしょうか?
ここでは、田沼意次の死因について簡単に解説していきます。
田沼意次の死因は病死?
田沼意次は、1788年(天明8年)七月二十四日の夕刻、一族と医師の桂川甫周に看取られながら享年70歳の生涯を閉じました。
死因は、はっきりと判明していませんが、心臓病であったのではないかと言われています。
戒名は「隆興院殿耆山良英大居士」です。
田沼意次の息子・田沼意知は暗殺された?
田沼意次は病死したと言われていますが、その嫡男である田沼意知は、暗殺されてしまっています。
田沼意知は、田沼意次の政治の全盛期に、若年寄に任命され、父子揃って幕閣の中枢を担い、江戸城中で権勢を振るっていました。
そんなある日のこと、田沼意知が江戸城から他の若年寄らと退出しようとしたところ、新番士の佐野善左衛門政言に突然斬りつけられるという事件が起こります。
この際に受けた傷が原因で、田沼意知は36歳という若さで亡くなってしまうのです。
田沼意知は、惣領にも関わらず若年寄に就任するといったように、異例の特別待遇をされており、「田沼意次独裁の象徴」として捉えられていました。
そのため、反田沼派から狙われてしまったのでしょう。
田沼意次は、このことで大変ショックを受けたと言われています。
田沼意次の最後の姿は?
田沼意次は、病死したと言われています。
それでは、晩年はどのように過ごしていたのでしょうか?
ここでは、田沼意次の最後の姿を簡単に解説していきます。
飢饉などにより田沼意次への不満が溜まっていった?
田沼意次が政治の主導権を握っていた時代は、江戸時代最大の異常気象の時期でした。
全国で異常気象や疫病、火山の大噴火などが頻発し、極めつけには天明の大飢饉が起こり、この期間だけで約90万人もの人が命を失いました。
儒教では、「天変地異が起こるのは、そのときの為政者に徳がないから」という思想があります。
そして、当時の日本にも儒教は浸透していたため、人々は相次ぐ天変地異は田沼意次のせいに違いないと考えるようになり、不満を募らせていくのです。
また、田沼意次は、士農工商にとらわれない実力主義に基づく人材登用を行っていました。
これが幕府内にいた保守的な閣僚の反感を買うようになります。
このように、幕府の内外から田沼意次をやめさせるような風潮が起こり始めたのです。
田沼意次は失意の中亡くなった?
田沼意次は幕府の内外から不満を持たれるようになっていました。
そんな中、そこに追い打ちをかけるように、嫡男・田沼意知が江戸城にて刺殺され、田沼意次を支援してきた第10代将軍・徳川家治も亡くなってしまいます。
跡継ぎと後ろ盾を失った田沼意次の求心力は一気に低下し、反田沼派によって老中を辞任させられてしまうのです。
老中を辞任させられた田沼意次は、異例な過酷な処分を受けました。
まず、第11代将軍・徳川家斉が着任すると、田沼意次は老中時代に不正があったという罪で蟄居を命じられます。
さらに、江戸と大阪にあった蔵屋敷は没収され、領地であった相良城は破壊され、財産まで没収されてしまうのです。
これは、江戸時代の幕閣に対する処分としては異例の厳しさでした。
こんなに厳しい処分を受けたのには、松平定信が関係していると言われています。
松平定信は、第8代将軍・徳川吉宗の孫にあたる人物でした。
そして、自分が将軍になれなかったのは、田沼意次のせいだと恨んでいました。
そのため、完全に私怨で田沼意次に厳しい処分を課していたのではないかとされているのです。
真偽はわかりませんが、厳しい処分を受け、全てを失った田沼意次は失意のうちに70歳で亡くなりました。
田沼意次の墓所はどこにある?
田沼意次の墓所は、田沼家の菩提寺である東京の勝林寺にあります。
田沼意次は、一昔前までは賄賂政治のイメージが強く、悪い人物という評価が強く残っていました。
そのため、勝林寺の住職さんも、子供の頃はうちにお墓があると言いづらかったそうです。
しかし、近年は人物像の再評価がされ、田沼意次の領地であった静岡県牧之原市の市民有志が「郷土の誇り」だと発信している現状を見て、そんな田沼意次の菩提寺であることを喜んでいるようです。
【田沼意次の墓所】
勝林寺
住所:東京都豊島区駒込7-4-14
まとめ:田沼意次の死因は病死で、失意の中亡くなった
田沼意次は、自分が亡くなる少し前に、愛すべき嫡男と頼りにしていた将軍を亡くし、さらにはその地位などまで奪われるという全てを失った状態になってしまいます。そのような失意の中、最後は心臓病で亡くなりました。
今回の内容をまとめると、
- 田沼意次の死因ははっきりとは判明していないが心臓病だと言われている
- 田沼意次の嫡男・田沼意知は暗殺されている
- 田沼意次は死ぬ直前全てを失い、失意の中亡くなった
愛する息子を亡くしたことでも相当ショックは大きかったでしょうに、そこにさらに私怨によって異例の厳しい処分を受けなくてはならなくなったなんて、田沼意次の晩年は本当に同情せざるを得ません。