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松平容保の子孫は現在にも続いている?家系図から辿る松平家の末裔たち

松平容保の子孫は現在にも続いている?家系図から辿る松平家の末裔たち

幕末の時代を生きた会津藩主・松平容保。徳川慶喜や新撰組、坂本龍馬などと比べると、あまり有名な大名ではないかもしれません。しかし、彼は新選組を従えていたり、子孫が徳川家の当主や皇族になっていたりと歴史上の重要人物との関わりがあります。
また、明治維新の一部始終を体験しており、激動の時代を生きた人物です。
今回は、そんな松平容保の子孫が現代にも続いているのか?家系図を見ながら見ていきましょう。

松平容保の家系図

松平容保は陸奥国会津藩9代藩主です。1867年(慶応3年)に大政奉還が行われ江戸幕府がなくなったため、実質的に最後の会津藩主となりました。
まずは、松平容保の家系図を見てみましょう。

松平容保の家系図

松平容保は側室は何人いた?

松平容保は会津藩の人々が騒ぐほどの美男子だったそうです。そんな彼には正室1人、継室1人、側室2人の妻たちがいました。

正室:敏姫:1843年(天保14年)~1861年(万延元年)
19歳の若さで亡くなっており、容保との間には子供がいませんでした。

継室:禮姫:1854年(嘉永6年)~1899年(明治32年)
婚約したものの、途中で婚約解消となり結婚に至りませんでした。

側室:佐久 (?~?)
容保との間に4人の男の子を設けています。

側室:名賀(?~?)
容保との間に3人の男の子と2人の女の子を設けています。

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松平容保は子沢山だった

松平容保は側室との間に9人の子供を設け、養子を一人迎えています。沢山の子供に恵まれていますが、幼くして亡くなった子供もいます。

長男:松平容大まつだいらかたはる:1869年(明治元年)~1910年(明治43年)母:佐久
陸軍騎兵大尉や、貴族院議員を務めています。
1884年(明治17年)には、子爵の位を与えられました。

次男:松平健雄まつだいらたけお:1873年(明治6年)~1927年(昭和2年)母:佐久
福島県にある伊佐須神社の5代目宮司を務めています。

三男:某(1874年(明治7年)~?)母:名賀 
幼くして亡くなっています。

四男:某(1874年(明治7年)~?)母:名賀 
幼くして亡くなっています。

五男:山田英夫やまだひでお:1875年(明治8年)~1945年(昭和20年)母:佐久
陸軍歩兵中佐や貴族院議員を務め、長州藩士(山口県)でもあり、政治家の山田伯爵家の養子になっています。

六男:松平恆雄まつだいらつねお:1877年(明治10年)~1949年(昭和24年)母:名賀
宮内大臣(現在の宮内省の前身の大臣)や参議院議長を務めています。

七男:松平保男まつだいらもりお:1878年(明治11年)~1944年(昭和19年)母:佐久
海軍少将や海軍少将を務めています。
子供がいなかった長男・松平容大の養子になりました。

長女:美彌(?~?)母:名賀
生没不明

次女:泡玉院(1873年(明治6年)~?)母:名賀
幼くして亡くなっています。

養子:松平喜徳まつだいらのぶのり:1855年(嘉永7年)~1891年(明治24年)
常陸国水戸(茨城県)藩主・徳川斉昭:1800年(寛政12年)~1860年(万延元年)の十九男です。
松平容保とは、1867年(慶応2年)に養子縁組しましたが、1873年(明治6年)に養子縁組を解消しています。

松平容保の子孫は現在にも続いている?

松平容保は幼くして亡くなった子供もいるものの、9人の子供に恵まれました。その子供たちはいずれも、議員を務めたり神職についたりしています。それぞれの子供たちがどのような人物であったのか、さらにその子孫たちを詳しく見ていきましょう。

松平容保の長男:松平容大から続く子孫たち

松平容保の長男の松平容大は、明治時代には知藩事(都道府県知事の前身)になり、その後は陸軍に入り陸軍騎兵大尉を務めています。また、貴族院議員に選出され、亡くなるまで勤め上げています。
廃藩置県により知藩事職を辞した後、子爵(爵位の第4位)を与えられました。松平容大には子供がいなかったため、七男・松平保男を養子に迎えています。

松平容保の次男:松平健雄から続く子孫たち

松平容保の次男の松平健雄は、福島県にある伊佐須神社の5代目宮司を務めています。
彼の子供である松平勇雄(1907年(明治40年)~ 2006年(平成18年))は、参議院議員や福島県知事を務めました。松平勇雄は、知事として在任中は美術館や博物館を設置し、文化の知事と呼ばれたそうです。

松平容保の五男:山田英夫から続く子孫たち

松平容保の五男の山田英夫は、伯爵・山田繁栄(?~?)の養子となりました。山田繁栄は山田顕義(1844年(天保15年)~1892年(明治25年))の弟です。
山田顕義は長州藩士でもあり、明治時代には政治家や、軍人としても活躍していた人物でした。
英夫は養父である山田繁栄が亡くなった後、伯爵の位を世襲しています。
そんな山田家に養子に入った英夫は、自身も軍人となり陸軍歩兵中佐を務め、やはり政治家にもなり貴族院議員を務めました。

山田英夫の娘・千代子(?~?)は、薩摩治郎八(1901年(明治34年)~-1976年(昭和51年))という、戦前は大富豪として知られた著作家と結婚しています。また、長男である山田顕貞(?~?)も伯爵の位を世襲し、日本大学法学部教授になっています。
二男 の山田貞夫(?~?)は陸軍大尉を務めましたが、戦死してしまいました。

松平容保の六男:松平恒雄から続く子孫たち

松平容保の六男の松平恆雄は、外務次官、駐英大使、駐米大使、宮内大臣、初代参議院議長と言った要職を歴任しています。松平恆雄には2人の男の子と、2人の女の子の子供がいました。

長男:松平一郎 :1907年(明治40年)~ 1992年(平成4年)
東京銀行の会長を務めていました。
徳川宗家17代当主徳川家正の長女でもある豊子(?~?)と結婚し、一郎の次男である徳川 恒孝氏(1940年(昭和15年)~)は徳川宗家第18代当主です。

次男:松平次郎(?~?)
幼くして亡くなっています。

長女:松平節子(1909年(明治42年)~ 1995年(平成7年))
秩父宮雍仁親王の妃として雍仁親王妃勢津子となり、皇族として過ごししました。

次女:松平正子(?~?)
尾張徳川家第20代当主の徳川 義知(1911年( 明治44年)~ 1993年(平成4年))と結婚しています。

松平容保の七男:松平保男から続く子孫たち

松平容保の七男の松平保男は、長男の松平容大に子供がいなかったため、容大の養子になっています。
海軍少将や海軍少将を務め、子爵の位も持っていました。
彼には9人の子供がいましたが、その中の4女が徳川家と関係があるのです。

四女:和子(?~?)
江戸幕府最後の将軍の徳川慶喜の孫・德川 慶光(1913年(大正2年)~ 1993年(平成5年))と結婚しました。さらに、和子の子供・徳川慶朝氏(1950年(昭和25年)~ 2017年(平成29年))は徳川慶喜家の4代目当主で、写真家としても活躍していました。

徳川慶喜の子孫に関しては、こちらの記事でも詳しく解説しております。

>>徳川慶喜の子孫の現在も続いている?家系図をもとに簡単に解説!>>

徳川家康の子孫に関しては、こちらの記事でも詳しく解説しております。

>>徳川家康の子孫・末裔の現在は?有名人や天皇家にもいる?今の苗字は何?>>

松平容保から続く有名な子孫たち

松平容保の子供たちはそれぞれ政治家や軍人として活躍していました。

  • ・松平容大 – 陸軍騎兵大尉、貴族院議員となりなくなるまで議員を勤めました。
  • ・松平健雄 – 福島県の伊佐須美神社宮司。息子の松平勇雄は福島県知事になっています。
  • ・山田英夫 – 陸軍歩兵中佐、貴族院議員を勤め、山田伯爵家の養子になり、伯爵の位も継いでいます。
  • ・松平恆雄 – 現在の宮内省の前身である宮内大臣を勤め、初代の参議院議長にもなりました。
  • ・松平保男 – 海軍少将、貴族院議員を勤めました。子供がいなかった長男・容大の養子になっています。
    そして、その子孫は徳川家との関係があります。

現代でも、松平容保の子孫たちが続いているのです。

松平容保の子孫が、現在の徳川家の当主

松平容保のひ孫である和子は、最後の将軍である徳川慶喜の孫と結婚しています。
また、容保の孫にあたる松平一郎は、徳川宗家17代当主徳川家正の長女でもある豊子(?~?)と結婚し、一郎の次男の徳川 恒孝氏(1940年(昭和15年)~)は徳川宗家第18代当主です。

つまり、次期徳川家の当主も容保の子孫ということになります。

歴史にもしはありませんが、もし江戸幕府が続いていたら、松平容保の子孫が将軍になっていたかもしれませんね。

まとめ:松平容保の子孫は現在も続いていて、徳川家の当主にもなっていた

松平容保の子供たちは、それぞれが軍人や政治家として要職についていました。そして、その子供たちも、銀行の会長になったり皇室に入ったりしており、まさに華麗なる一族です。
今回の内容をまとめると

  • ・容保の子供たちは、軍人や政治家として要職についていた。
  • ・容保の孫には徳川家の人間と結婚した人もいる。
  • ・容保の孫に当たる松平節子が皇族になっている。
  • ・現代でも容保の子孫は続いており、徳川家の当主にもなっている。

幕末の人物である松平容保は、江戸時代の人間だと思うと遠く感じますが、その子孫たちが現代でも活躍している所をみると、歴史は続いているのだなと感じますね。

徳川慶喜の子孫に関しては、こちらの記事でも詳しく解説しております。

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>>徳川家康の子孫・末裔の現在は?有名人や天皇家にもいる?今の苗字は何?>>

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