坂本龍馬の子孫の現在は?家系図をもとに解説!北海道にもいるって本当?
坂本龍馬(1836(天保6)~1867(慶応3))は、歴代日本史上でもかなり人気のある人物です。
坂本龍馬は、薩長同盟の締結の手助けをしたり、大政奉還の案を出したりと、倒幕運動に多大な貢献をした幕末の志士です。その龍馬の子孫は現在まで続いているのでしょうか?この記事では、坂本龍馬の子孫は現在もいるのか?家系図を見ながら簡単に解説していきます。
目次
坂本龍馬の子孫は現在も続いている?
坂本龍馬の子孫は現在まで続いているのでしょうか?まずは家系図を見て、坂本龍馬の家族構成をみていきましょう。
坂本龍馬の家系図を簡単に解説
坂本龍馬に子供はいなかった?
坂本龍馬はお龍という女性と結婚しました。
しかしながら、二人の間には子供ができませんでした。
そのため、姉・千鶴の長男である直(太郎)を養子に迎えます。その後、直の次男である直衛が龍馬の家系を継ぐのですが、また直衛にも子供ができませんでした。
そこで、坂本龍馬の兄である直方の孫である直道が家系を継ぐことになります。直道は2人の子供に恵まれましたが、その子供たちには子供ができませんでした。
そのため、坂本龍馬の家系は断絶してしまったのです。
坂本龍馬の先祖は明智光秀?
坂本龍馬の先祖が戦国武将の明智光秀だったのではないかという説もあります。
【坂本龍馬が明智光秀の子孫と考えられている理由】
- 坂本家の家紋が、明智光秀の家紋と同じ桔梗
- 坂本氏の本貫地が、明智光秀の居城「坂本城」に由来している
- 坂本家の初代は、明智光秀の縁を頼って高知にきたと言われている
それぞれ詳しく見ていきましょう。
・坂本家の家紋が明智光秀の家紋と同じ桔梗
坂本家の家紋です。坂本家の家紋は、「組み合わせ枡に桔梗」で、中心に明智の家紋と同じ桔梗を採用していました。しかし、坂本家はもともと「丸に田の字」を使用していて、郷士になる際に家紋を変更したのでした。さらに桔梗紋は、明智だけではなく土岐氏や肥田氏など武家では割とよく使用されているため、直接的に結びつける根拠としては少し弱いと言われています。
坂本家は、紀姓坂本氏であったという説があります。
その根拠として、坂本龍馬自身が紀貫之の子孫であると称していました。
そして、この紀姓坂本氏の本貫地が、明智光秀ゆかりの近江国志賀郡の坂本であったと言われているのです。
そのため、坂本氏の姓は坂本城に由来するという説があります。
また、坂本龍馬が仲間とともに結成した貿易会社である「亀山社中」は、光秀の居城であった亀山城に由来しているのではないかとする説もあります。
このように、明智光秀に縁のある城に関係していることから先祖としているのです。
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坂本家の初代である太郎五郎の墓は、高知県南国市にあります。
そこには「弘治永禄の頃、畿内の戦乱から逃れてこの地(土佐国)にやってきた」と記されていました。
さらに、土佐国の大名であった長曾我部元親の妻は、石谷氏の娘で、光秀の家老・斎藤利三の縁者でした。
そのため、土佐と明智光秀には深い繋がりがあったのです。そのため、太郎吾郎が明智光秀の子孫だとすると、その縁で長宗我部を頼って土佐へとやってきた可能性が考えられます。
しかし、太郎吾郎が明智光秀の子孫であった場合、家臣の縁で頼ってきたはずなのに待遇があまりよくなかったことから、根拠としては弱いのではないかとされています。
以上のように、根拠は挙げられるものの、どれも確証を得るまでには至らないものばかりというのが現状のようです。
坂本龍馬の子孫は現存する?
坂本龍馬と、妻お龍の間に子供はいませんでしたが、養子を迎えています。
その子孫は現在まで続いているのでしょうか?
ここでは、坂本龍馬の子孫がどのようになったのかを見ていきます。
坂本龍馬亡き後、坂本家を継いだのは?
坂本龍馬には子供がいませんでした。そのため、養子を迎えています。
坂本家を継いだのは、龍馬の姉・千鶴の息子である直。その後、しばらくは続いていたのですが、また子供が出来ないということがあり、五代目で途絶えることになってしまいました。
そのため、坂本龍馬の直系の子孫は現在まで続いていないとされています。
現存する坂本龍馬の子孫たち
坂本龍馬の直系の子孫は途絶えてしまっていますが、龍馬と血を分けた兄弟たちの子孫は現在まで続いています。
ここでは、その子孫にはどのような人たちがいるのかをご紹介していきます。
坂本龍馬の子孫は北海道にいる?
坂本龍馬の子孫は北海道に存在しています。
坂本龍馬は生前、蝦夷地(現在の北海道)開拓を構想していて、一説には自分もいずれ移住してみたいという思っていたと言われています。
きっかけは、1857年(安政4年)に土佐藩が箱館の視察を請け負ったことでした。そこで坂本龍馬も何度か蝦夷地へと赴こうとするのですが、結局生涯一度も行けることはありませんでした。
この坂本龍馬の思いを知っていた子供の直は、坂本龍馬亡き後、その意思を継いで蝦夷地経営に関する書を明治政府に提出していました。
また、箱館戦争の際には、政府軍として参戦し軍功を上げましたが、キリシタンであったがゆえに免職されてしまいます。その後は、東京の官公庁で職を転々とするのですが、同じ理由で長く続けることが叶わず、最後は実家のある高知県で病死します。
坂本家はその後、しばらくの間は高知県で暮らしていたのですが、5代目の坂本直寛から北海道へと根を下ろすようになりました。
坂本直寛が拓殖事業をしようと思い立ったためです。
そこで直寛は、酪農の開拓とキリスト教の牧師として生涯を過ごします。そして、現代に至るまで坂本家は北海道で続いているというわけなのです。
坂本龍馬の子孫|六花亭の包装紙のデザインをした坂本直行さん
坂本龍馬の子孫として有名、北海道銘菓で有名な六花亭の包装紙のデザインをした坂本直行さん。
この方は、坂本家の8代目当主であり、死後でもファンの人に「チョッコウさん」と呼ばれ愛され続けている、有名な画家さんです。
坂本直行さんは、生涯坂本龍馬の子孫であると語るようなことはしませんでした。
また、土佐に足を運ぶこともなかったと言われています。あくまでも北海道の一農民、一画家としてその人生を生きたそうです。
坂本龍馬の子孫|第11代目の坂本龍哉さん
第11代目の坂本龍哉さんも坂本龍馬につながる子孫です。
この方が現在の坂本家の次期当主ということになります。
2016、17年の取材で法学部の大学生であったことがわかっています。
また、彼の父親である第10代目の坂本匡弘さんは「龍馬ファンの集い」という活動をしており、龍哉さんもいずれはそのような龍馬の子孫としての活動をする予定ですと、出身大学のインタビューにて語っていたそうです。
坂本龍馬の子孫と近藤勇の子孫が結婚?
坂本龍馬の子孫と、新選組局長で知られている近藤勇の子孫が結婚したという話もあります。
以前、テレビ取材で、坂本龍馬の兄の子孫を父に持ち、近藤家の子孫を母に持つという方が確認されています。
幕末において、敵同士であった坂本龍馬と近藤勇の子孫が現代において家系図で繋がったとなると、時代の流れとは面白いものだと感じますね。
まとめ:坂本龍馬の直系の子孫はいないが、坂本家は現在も続いている
坂本龍馬には子供ができず、養子を迎えるも結局直系の子孫は断絶してしまいました。しかし、坂本龍馬と血を分けた兄弟の子孫は現在まで続いており、様々な場所で活躍していることがわかりました。
今回の内容をまとめると、
- 坂本龍馬にはは4人の兄弟がいた
- 坂本龍馬と妻お龍との間には子供が出来なかったが、養子を迎えた
- 坂本龍馬の家系は、養子が継ぐも、やはり子供に恵まれず直系の子孫は途絶えた
- 坂本家自体は現在まで続いており、5代目の坂本直寛からは北海道に根を下ろした
坂本龍馬の直系の子孫が残らなかったのは残念なことですが、その意志を継ぐ子孫たちがたくさんいるということは、坂本龍馬にとっても幸せなことではないかなと感じますよね。