天草四郎はイケメンだった?証拠はある?様々な説を簡単に解説!
天草四郎(1621(元和7)〜1638(寛永15))は、江戸時代初期のキリシタンで、島原の乱における一揆軍の最高指導者です。本名は益田四郎と言います。
天草四郎を取り上げている作品はとても多く、小説やドラマ、アニメ、ゲームなど幅広いジャンルで描かれています。そして、そこで描かれる天草四郎は、だいたいイケメンに描かれることが多いのです。
天草四郎は本当にイケメンだったのでしょうか?
この記事では、天草四郎がイケメンだったかどのか?簡単に解説していきます。
目次
天草四郎はイケメンだった?その理由は?
天草四郎はイケメンだと言われています。それにはどういう根拠があるのでしょうか?
ここでは、天草四郎がイケメンであるという理由を簡単に解説していきます。
天草四郎はハーフっぽい顔立ちをしていた?
天草四郎は、実はハーフっぽい顔立ちをしていたのではないかという説が存在しています。
記録によると、
「天草四郎の髪は黒ではなく茶色がかっていて、瞳の色は青色だった」
「日本人の少年にしては背が高く、肌の色も白かった」
だったようです。
この記述だけ見ると、確かにハーフっぽい雰囲気がありますよね。
しかし、天草四郎の両親は益田甚兵衛と渡辺伝兵衛の娘なので、ハーフである可能性はかなり低いと考えられます。
つまり、ハーフっぽい見た目の日本人であったということでしょう。
現代でも、ハーフっぽい顔立ちの人は、日本人の中にいれば目立ちますし、整った顔立ちであることからイケメンの部類に入ることが多いですよね。
そのため、天草四郎もイケメンであったのではないかと推測されているのです。
天草四郎は知性と教養に満ちていた?
天草四郎は、幼少期から知性と教養に満ちていたと言われています。
というのも、天草四郎の家は、浪人百姓の家系でしたが、経済的にはかなり裕福な部類だったようで、四郎は度々長崎に遊学に赴いて、当時の教育水準においては非常に広範囲に学問を修めたということが記録されているのです。
また、天草四郎は生まれながらにして文字が書けたという噂?伝説?もありました。
それほどまでの知性を持ち合わせていながら、それをひけらかすこともなかったようです。
さらに、天草四郎は身分によって人を見下すというようなことは決してしませんでした。
身分によって差別することなく、誰にでも手を差し伸べる四郎の姿は、まるで聖人君子のように映っていたことでしょう。
このように、知性と教養を持ち合わせていた天草四郎は、雰囲気からイケメンであると考えられていた可能性もありますね。
天草四郎は数々の奇跡を起こした?
天草四郎は数々の奇跡を起こしたと言われています。
【天草四郎が起こしたと言われている奇跡】
- 5歳にして大人顔負けの書をかいた
- 目の見えない少女に手を当てると、少女の目が見えるようになった
- 大矢野から島原まで海の上を歩いて渡った
- 枝に止まっていたスズメに呪文を唱えると動かなくなった
- 弓矢も鉄砲の弾も四郎を避けた
- 四郎にもとにやってきた鳩が卵を生むと、その中からキリストの画像と巻物の聖書がでてきた
- 四郎を怪物だと罵り、害を加えようとした役人の2人は、途端に口が聞けなくなったり、足が曲がったまま伸びなくなったりした。許しをこいた2人に四郎がお祈りするともとに戻った
- 四郎が大矢野岳の山頂で、西の海に向かってお祈りしていると、海から赤い火が出てきて、大きな光の十字架になり、四郎と供に十字架も消えた
これらを見てみると、本当に起こっていたのか疑わしくなるようなものばかりですよね。
しかも、使い方次第では、一儲けできてしまいそうなものもあります。
しかし、天草四郎は決してそのような使い方をすることはなく、あくまで自分にたまたま宿った能力だと考え、人に施し続けました。このようなところから、天草四郎の人柄の良さが見えてきますし、それに惹かれる人がたくさんいたのも頷けますよね。
\ 天草四郎の伝説については、こちらの記事で詳しく解説しております/
天草四郎はキリストの生まれ変わり?
天草四郎はが起こした数々の奇跡は、イエス・キリストが起こした奇跡と共通しているものが多いのです。そのため、「天草四郎=イエス・キリストの生まれ変わり」だという認識が広まっていきました。
キリシタンが多い島原藩にとって、イエス・キリストは神で、崇めるべき対象です。
天草四郎はその生まれ変わりなわけですから、キリスト同様に崇めるべき対象になるわけですね。
崇める対象は、自然と神々しく見えるなど、良いイメージがつきやすいですよね?
そのため、天草四郎はイケメンであるという認識も同時に広まった可能性が高いです。
また、天草四郎は生まれる前から、その運命を予言されていたと言われています。
それは、島原の乱から25年前に遡ったときのことです。当時キリスト教の弾圧により島原藩を追放された神父・マルコス宣教師が以下のような予言を残しました。
「当年より五々の数をもって天下に若人一人出生すべし。その稚児習わずして諸学を極め、天の印顕わるべき時なり。野山に白旗立て諸人の頭にクルスを立て、東西に雲焼る事有るべし。野も山も草も木も焼失すべきよし」
天変地異が起きたときに救世主が現れるというような内容ですが、この予言通り、25年後(五々の数は、5×5で25年後となる)に現れたのが天草四郎だったというわけなのです。
このように、天草四郎はこの島原の地の救世主として君臨することになります。
このことが、四郎がキリストの生まれ変わりであることをより強調していたのは間違いないでしょう。
天草四郎はイケメンではなかったという説も?
天草四郎はイケメンだと言われていますが、中には、イケメンではなかったとする説もあるのです。
それはどういう根拠があるのでしょうか?
ここでは、天草四郎がイケメンではなかったとする説について簡単に解説していきます。
天草四郎の実像についての資料が少ない?
まず天草四郎がイケメンではなかった理由として挙げられるのが、実像についての資料が少ないということです。
そもそも、天草四郎について記述されている資料自体が非常に少なく、とりわけ外見についての記述はほとんど見受けられません。
島原の乱の際には、幕府軍が天草四郎の顔を知らずに戦っていたなんてこともあったくらい、天草四郎の顔を知っていた人自体が少ないのかもしれません。
本当に天草四郎が絶世の美男子であったのならば、それに関する記述が残っていてもおかしくありませんし、幕府軍が四郎の顔がわからないということもなかったでしょう。
このことから、天草四郎は大してイケメンではなかったのではないかと考えられるのです。
天草四郎はあばた面だった?
先程四郎の外見に関する記述はほとんど見受けられないとお伝えしましたが、一応、天草四郎の外見についての記述があるものもあるのです。
そのうちの1つとして、幕府軍が残したものがあります。
それは、島原の乱の際、天草四郎が討ち取られた後に首実検をした記録です。
天草四郎の顔がわからなかった幕府軍は、大量に殺した少年の首を天草四郎の母親に見せ、首を特定しようとしました。
多くの少年の首を見ても顔色一つ変えなかった母親でしたが、ある1人の少年の首を見た時に泣き崩れました。
その首の顔の特徴が「あばたの目立つ、十代半ばほどの少年の首」というものだったようです。
つまり、幕府が残した記録によれば、天草四郎はあばた面だったということになります。これが本当であれば、さすがに天草四郎がイケメンではなかったということになってしまいますよね。
「天草四郎=イケメン」のイメージがついたのは何故?
天草四郎がイケメンであるとする史料は見つかっていないのに、何故「天草四郎=イケメン」というイメージがついたのでしょうか?
ここでは、「天草四郎=イケメン」のイメージがついた理由について簡単に解説していきます。
天草四郎のカリスマ性を増長させるため?
まず挙げられるのが、天草四郎のカリスマ性を増長させるためという理由です。
数々の奇跡を起こし、16歳という若さで日本史上最大の一揆の総大将を務めた天草四郎。
ここにロマンを感じる人も少なくないでしょう。
さらに、その天草四郎がイケメンであるということも合わされば、余計にカリスマ性が高まりますよね。天草四郎に関する記述を残しているのが、ほとんど一揆衆側のものなので、カリスマ性を強調して、仲間を増やすのが目的だったのかもしれません。
天草四郎が豊臣秀頼の子供だったから?
天草四郎は、実は豊臣秀吉の孫、つまり豊臣秀頼の子供であったとする説が存在します。
そして、この豊臣秀頼は「色白かつ長身の美男子」と記録されているほど、イケメンであったと言われています。
更に、若くして周囲を従えるだけのカリスマ性を持ち合わせていたという点も、天草四郎と共通しているところがあります。
このようなところから、天草四郎がイケメンであるとする説は、秀頼=四郎の実父説から派生した風説であった可能性も高いと言えるでしょう。
天草四郎を題材とした後世の創作の影響?
天草四郎が総大将を務めた島原の乱は、非常に創作の題材にされやすい一揆でした。
そして、その中心人物であった四郎もまた、当然物語のキーファクターとして描かれることが多いです。
物語のキーファクターとなる人物は、絵的な見栄えや人気を考慮して、割と美化されて描かれがちですよね。
つまり、天草四郎が本当にイケメンであったかどうかに関わらず、
「イケメンにしておいたほうが人気が出るからそうした」
ということです。
このように、後世の様々な創作でイケメンに描かれていくうちに、「天草四郎=イケメン」である説が根付いてしまったのかもしれません。
まとめ:天草四郎はイケメンではなかったかもしれないが、カリスマ性はあった
天草四郎はイケメンであるというイメージがついていますが、実際はそのように書かれた史料はなく、イケメンではなかったとする説もありました。それでも、人を惹きつけたのは、一重に天草四郎の持つカリスマ性のおかげだったのでしょう。
今回の内容をまとめると、
- 天草四郎はハーフ顔だったと言われている
- 幼少期から知性と教養に満ちていた
- 数々の奇跡を起こし、キリストの生まれ変わりだと言われていた
- 総合的にイケメンであったとする説が誕生した
- しかし、実際にはイケメンであったとする資料は残っていない
天草四郎は、16歳という若さで日本史上最大の一揆の総大将となりました。
その若さで総大将となったのには、天草四郎に人を惹きつける何かがあったからでしょう。それが、数々の奇跡のなせる技なのか、それともイケメンであったからなのか、真相は謎のままですね。