伊達政宗の家系図を簡単に解説。伊達みきおも?現代に続く伊達政宗の子孫たち
伊達政宗は、戦国時代の後期から江戸時代にかけて活躍した戦国武将です。伊達家の第17代当主であり、62万石を誇る仙台藩の初代当主でもあります。隻眼の英傑として人気の高い伊達政宗の祖先はどうだったのでしょうか?
また、子孫は現代まで続いているのでしょうか?人気お笑い芸人「サンドウィッチマン」のツッコミ担当である伊達みきおさんとの関係あるのでしょうか?
今回は、伊達政宗の子孫や先祖が現代にも続いているのかを見ていきます。
目次
伊達政宗の家系図
伊達家は鎌倉時代を初代とし、現代まで続いている家系です。伊達家の歴代の当主を並べていきます。
- 1代目:伊達朝宗(だて ともむね):1129年(大治4年)誕生-1199年(正治元年)没
- 2代目:伊達宗村(だて むねむら):1173年(承安3年)誕生-1251年(建長3年)没
- 3代目:伊達義広(だて よしひろ):1185年(文治元年)誕生-1251年(建長3年)または1256年(建長8年)没
- 4代目:伊達政依(だて まさより): 1227年(安貞元年)誕生-1301年(正安3年)没
- 5代目:伊達宗綱((だて むねつな):1254年(建長6年)誕生-1317年(文保元年)没
- 6代目:伊達基宗(だて もとむね):誕生年不明-1335年(建武2年)没
- 7代目:伊達行宗(だて ゆきむね):1291年(正応4年)誕生-1348年(正平3年/貞和4年)没
- 8代目:伊達宗遠(だて むねとお):1324年(正中元年)誕生-1385年(元中2年/至徳2年)没
- 9代目:伊達政宗(だて まさむね):1353年(正平8年/文和2年)誕生-1405年(応永12年)没
- 10代目:伊達氏宗(だて うじむね):1371年(建徳2年)誕生-1412年(応永19年)没
- 11代目:伊達持宗(だて もちむね):1393年(明徳4年)誕生-1469年(応仁3年)没
- 12代目:伊達成宗(だて しげむね):1435年(永享7年)誕生-1487年(長享元年)没
- 13代目:伊達尚宗(だて ひさむね):1453年(享徳2年)誕生-1514年(永正11年)没
- 14代目:伊達稙宗(だて たねむね):1488年(長享2年)誕生-1565年(永禄8年)没
- 15代目:伊達晴宗(だて はるむね):1519年(永正16年)誕生-1578年(天正5年)没
- 16代目:伊達輝宗(だて てるむね):1544年(天文13年)誕生-1585年(天正13年)没
- 17代目:伊達政宗(だて まさむね):1567年(永禄10年)誕生-1636年(寛永13年)没
- 18代目:伊達忠宗(だて ただむね):1600年(慶長4年)誕生-1658年(万治元年)没
- 19代目:伊達綱宗(だて つなむね):1640年(寛永17年)誕生-1711年(正徳元年)没
- 20代目:伊達綱村(だて つなむら):1659年(万治2年)誕生-1719年(享保4年)没
- 21代目:伊達吉村(だて よしむら):1680年(延宝8年)誕生-1752年(宝暦元年)没
- 22代目:伊達宗村(だて むねむら):1718年(享保3年)誕生-1756年(宝暦6年)没
- 23代目:伊達重村(だて しげむら):1742年(寛保2年)誕生-1796年(寛政8年)没
- 24代目:伊達斉村(だて なりむら):1775年(安永3年)誕生-1796年(寛政8年)没
- 25代目:伊達周宗(だて ちかむね):1796年(寛政8年)誕生-1812年(文化9年)没
- 26代目:伊達斉宗(だて なりむね):1796年(寛政8年)誕生-1819年(文政2年)没
- 27代目:伊達斉義(だて なりよし):1798年(寛政10年)誕生-1828年(文政11年)没
- 28代目:伊達斉邦(だて なりくに):1817年(文化14年)誕生-1841年(天保12年)没
- 29代目:伊達慶邦(だて よしくに):1825年(文政8年)誕生-1874年(明治7年)没
- 30代目:伊達宗基 (だて むねもと):1866年(慶応2年)誕生-1917年(大正6年)没
- 31代目:伊達邦宗(だて くにむね):1870年(明治3年)誕生-1923年(大正12年)没
- 32代目:伊達興宗(だて おきむね):1906年(明治39年)誕生-1947年(昭和22年)没
- 33代目:伊達貞宗(だて さだむね):1937年(昭和12年)誕生-- 1981年(昭和56年)11月9日)
- 34代目:伊達泰宗(だて やすむね):1959年(昭和34年)-
伊達氏は鎌倉時代から現代まで続いている歴史ある一族なのですね。
伊達政宗の祖先
仙台藩の初代藩主である伊達政宗は、17代目の伊達家の当主でもあります。伊達家の初代はどのような人物だったのでしょうか。また、伊達家当主の中に、伊達政宗がもう一人の存在していることはご存じでしょうか?
伊達政宗の先祖について注目していきましょう。
伊達家の始まりは鎌倉時代
伊達家の始まりは鎌倉幕府の時代までさかのぼります。
鎌倉幕府をひらいた源頼朝が、奥州藤原氏と戦った際に、鎌倉幕府の御家人である常陸入道念西が従軍し、奥州藤原氏の重臣である佐藤基治を打ち取る戦績を上げました。その戦功によって、源頼朝から伊達郡(現代の福島県)の地を与えられます。
こうして伊達郡を治めることになった常陸入道念西は、源頼朝から名前の「朝」を拝領し、伊達朝宗を名乗るようになったと言われています。こうして伊達氏の一族が誕生したのでした。
伊達政宗は2人いた
伊達政宗といえば、17代目伊達氏当主で、仙台藩の初代藩主である独眼竜政宗が有名ですよね。しかし、伊達氏の当主の中には、伊達政宗がもう一人存在していることはご存じでしょうか。
伊達家の9代目の当主も伊達政宗という名前でした。
南北朝から室町時代初期に活躍し、「伊達家中興の祖」とも称される人物です。1402年(応永9年)に室町幕府の長官が奥州の領土割譲を求めた際に、きっぱりと拒み、三回も戦ったことで有名です。(伊達政宗の乱)
独眼竜の名称で有名な、17代目当主の伊達政宗は、この祖先にあやかって名前をつけられたといわれています。
伊達政宗の兄弟
17代目当主の伊達政宗には兄弟はいたのでしょうか。兄弟の数や関係性に注目していきます。
伊達政宗の兄弟は何人?
伊達政宗の兄弟は何人だったのでしょうか?
伊達政宗は、伊達氏16代目当主の伊達輝宗と、正妻の義姫との間の長男として生まれました。
同母弟に伊達政道がいました。また、千子姫とよばれる子女も生まれましたが、若くして亡くなったそうです。
伊達政宗は弟を殺害した?
伊達政宗が24歳の時、弟の伊達政道を討伐したと、江戸時代に書かれた伊達家正史『貞山公治家記録』に記載されており、現代でも広く信じられてきました。
伊達政宗はなぜ実の弟を殺害したのでしょうか。
伊達政宗は家督争いの末、自分の身を守るために、弟を手打ちにしたと言われています。
二人の母親である義姫は、伊達政宗よりも弟の伊達政道を非常に可愛がっていました。理由は、幼いころに天然痘によって伊達政宗が隻眼になってしまったためとも、義姫の実家と伊達政宗が上手くいかなかったからなどの説があります。
1590年(天正18年)、伊達政宗は義姫に小田原参陣の陣立ちの祝いに招かれます。しかし祝いの席で、膳に箸をつけたところ、たちまち具合が悪くなってしまったのです。幸いにも投薬を受けて一命をとりとめ伊達政宗でしたが、弟の伊達政道に伊達家を継がせるために、自分が母親から毒殺を図られたことを悟り、毒殺未遂から二日後には、伊達政宗は伊達政道と教育係の家臣を手討ちにしたのでした。この時、義姫は実家へ逃げ帰ったとされています。
しかしながら、伊達政宗が弟を討伐したとするこの逸話の信憑性は低いと主張している歴史家たちも多く存在しています。
伊達政宗は弟を殺していないというのです。
その理由として、1590年(天正18年)以降も伊達政宗と義姫が心温まる親子のやり取りがつまった手紙を何通も送り合っていることや、大悲願寺という寺の15代目住職の秀雄が伊達政道であったとの記録の存在を上げています。
伊達政宗が本当に弟を手討ちにしたのかは、まだ謎の中といえるでしょう。
伊達政宗の子孫
伊達政宗には子どもは何名くらいいたのでしょうか。また、現代まで伊達政宗の血を伝える子孫はどのような方なのでしょうか。
伊達政宗の子孫に注目していきます。
伊達政宗の子供は何人?
伊達政宗には、正妻の愛姫(まごひめ)の他にも、記録上でも7名の側室がいました。そして、正妻と側室の間には、10男4女、14人もの子をもうけたとされています。
【伊達政宗の子供の一覧】
- 長男:伊達秀宗(だて ひでむね):1592年(文禄1年)誕生-1658年(明暦4年)没
- 二男:伊達忠宗(だて ただむね):1600年(慶長4年誕生-1658年(万治元年)没
- 三男:伊達宗清(だて むねきよ):1600年(慶長5年)誕生-1634年(寛永11年)没
- 四男:伊達宗泰(だて むねやす):1602年(慶長7年)誕生-1639年(寛永15年)没
- 五男:伊達宗綱(だて むねつな):1603年(慶長8年)誕生-1618年(元和4年)没
- 六男:伊達宗信(だてむねのぶ): 1603年(慶長8年)誕生-1627年(寛永4年)没
- 七男:伊達宗高(だて むねたか):1607年(慶長12年)誕生-1626年(寛永3年)没
- 八男:伊達竹松丸(だて たけまつまる):1609年(慶長14年)誕生-1615年(慶長20年)没
- 十男:伊達宗勝(だて むねかつ):1621年(元和7年-1679年(延宝7年)没
- 長女:五郎八姫(いろはひめ):1594年(文禄3年)誕生-1661年(寛文元年)没
- 二女:牟宇姫(むうひめ):1608年(慶長13年)誕生-1683年(天和3年)没
- 三女:岑姫(みねひめ):1616年(元和2年)誕生-1635年(寛永12年) 没
- 四女:千菊姫(せんぎくひめ):1626年(寛永3年)誕生-1655年(明暦元年)没
現在も活躍する、伊達政宗の子孫
現代に存命されている伊達政宗の子孫たちは、どのような活躍をされているのでしょうか。
まずは、34代目当主に当たる伊達泰宗さんについてです。
学芸員の資格を持つ、歴史の専門家として、伊達家の研究をしているだけでなく、伊達家ゆかりの歴史遺産等の修復も手がけています。
1987年(昭和62年)放送のNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」では、監修も担当しました。
お笑いユニットの「サンドウィッチマン」の伊達みきおさんも伊達家の血を継ぐ子孫です。
もう一人の伊達政宗である九代目当主の弟が作った傍系の流れを汲んでいると言われています。
17代目伊達政宗の直接の子孫ではありませんが、祖先が同じであるといえるでしょう。
まとめ:伊達政宗の子孫は現在も活躍している
戦国武将の中でもトップレベルの人気を誇る伊達政宗ですが、伊達氏の血筋は現代まで受け継がれていることがわかりました。また、その子孫の方々も現代でも活躍しているなんてすごいなぁと感じました。
今回の内容をまとめると、
- 伊達氏は、鎌倉時代から現代まで34代も続いていた
- 伊達政宗の名前は、9代目当主の伊達政宗からあやかって付けたものだった
- 伊達政宗は、実弟を手討ちしたと言われているが、諸説存在する
- 伊達政宗の子どもは14人いた
- 伊達政宗の子孫は現代も活躍しており、34代当主の伊達泰宗さんは「独眼竜政宗」の監修も担当した
伊達政宗の子孫が、伊達政宗を主人公にした大河ドラマの監修を行ったとは、先祖と子孫の共同作業でなんともロマンチックですね。