アフィリエイト広告を利用しています

徳川家重の病気は何?病気のせいで遊びまくっていた?病気の症状から女性説も?

徳川家重(1712(正徳元年)〜1761(宝暦11))は、江戸時代中期に活躍した江戸幕府第9代将軍です。

生まれつき体が弱く、障碍があったため言葉が不明瞭でありながらも、人材登用に優れていたことから「隠れた名君」とも言われています。

2024年のテレビドラマ『大奥』で、高橋克典さんが演じられることでも話題となっています。

そんな徳川家重は病気を患っていたと言われています。それは何の病気だったのでしょうか?

この記事では、徳川家重の病気について簡単に解説していきます。

徳川家重の病気は排尿障害や脳性麻痺

徳川家重は主に2つの病気に苦しめられていました。

それは、排尿障害と脳性麻痺です。

・徳川家重の病気「排尿障害」

徳川家重は周囲の人々から「小便公方」と揶揄されるくらい頻尿持ちでした。

どのくらい重症であったかというと、江戸城から菩提寺の上野寛永寺まで、直線距離で約4kmの道に、なんと23箇所のトイレを設置するほどです。

死因もこの排尿障害が直結し、尿毒症や尿路感染症が疑われています。

\ 徳川家重の死因についてはこちらの記事で詳しく解説しております /

・徳川家重の病気「脳性麻痺」

増上寺に埋葬されていた徳川家重の歯には、前後方向に対して約60度の角度で左右交互にすり減った跡が見られました。

そのため、日常的に歯ぎしりを繰り返していたことが伺えます。

このことと、もう1つ、徳川家重の肖像画から推察されるのは、徳川家重が脳性麻痺を患っていたのではないかということです。

徳川家重の肖像は、顔が歪み、上半身がこわばっているように見えます。

これは、意に反して体が動いてしまうアテトーゼ型の脳性麻痺のせいだったのではないかと考えられているのです。

また、歯ぎしりもアテトーゼ型脳性麻痺の不随意運動によって生じる特徴の1つに挙げられます。

徳川家重は、上記の2つの病気によって、徳川家重は自身の意思を周りに伝えづらかったり、思うように動くことができなかったりと、生涯苦しめられていたと言われています。

徳川家重は病気を紛らわせるために遊びまくっていた

徳川家重は幼少期からずっと大奥に入り浸っていたと言われています。

それは何故かというと、徳川家重の病気が関係しています。

徳川家重は病気のせいで言語が不明瞭で、周りとコミュニケーションを取ることが非常に難しかったのです。

周囲の人からなかなか理解を得られず、時には「小便公方」「アンポンタン」などと馬鹿にされることもありました。

そのため、自分を攻撃する人がいない大奥にこもるようになってしまったのです。

そして、青年になっても酒や色事にふけってばかりの不摂生な生活を続けたのでした。

自分の様々な苦痛を和らげるためにしていたのかもしれません。

徳川家重は将軍候補から外れそうになった

徳川家重は遊んでばかりの不摂生な生活を送っており、さらには武芸にも学問にも興味を示しませんでした。

周囲の人からしたら、次期将軍候補がそのような生活を送っているのは不満が募るばかりです。

家臣の中には、徳川家重ではなく、弟の徳川宗武を次期将軍候補として跡継ぎにしたほうがいいのではないかと言い出す者も出てきました。

しかし、徳川家重の父で8代将軍・徳川吉宗は、徳川家重を将軍候補として外すことはしませんでした。

この時、徳川吉宗が重要視したのは、「長幼の序」という順序です。

「もし徳川の家が、しかも将軍家たるものが、家の勝手な事情や子供の生まれつきの性質を理由に、後から生まれた子供を将軍にしたとして、全国の大名たちも同じようなことをしたらどうするのか。そうすると、嫡子と庶子、あるいは最初に生まれた子と2番目に生まれた子以下のお家騒動や争いごとになる。だから、相続や将軍職は、正嫡あるいは兄を優先させなければならない。それが徳川である」

つまり、弟の徳川宗武のほうがいくら優秀だからといっても、そちらを優先してしまったら、全国的に混乱が起きてしまうと危惧したわけです。

こうした徳川吉宗の判断で、徳川家重は遊び呆けていたけれど、無事に将軍になれたというわけです。

徳川家重は女性説も浮上している

徳川家重の病気、排尿障害を根拠の1つとして徳川家重女性説も浮上しています。

江戸時代において、頻尿というのは女性に多い疾患の1つです。

さらに、徳川家重の死因は、尿毒症や尿路感染症が疑われています。

これらの病は、尿道の短い女性がかかりやすい病気だと言われているのです。

他にも様々な根拠が挙げられているのですが、このようなことから、徳川家重が女性なのではないかと考える人もいます。

\ 徳川家重女性説についてはこちらの記事で詳しく解説しております /

徳川家重に関するQ&A

徳川家重はどんな人だったのか?など、徳川家重に関する簡単なQ&Aをまとめました。

  • 徳川家重は何をした人?
  • 徳川家重とうなぎの関連性は?
  • 徳川家重と田沼意次の関係性は?

徳川家重は何をした人?

徳川家重は、江戸幕府の第9代将軍です。在任期間は15年で、側用人・大岡忠光と田沼意次の力を借りながら、いくつかの功績を残しています。

  • 勘定吟味役を充実させ、幕府の予算制度を導入した
  • 醸造業の免許制度を整え、酒造の統制を行った
  • 「御三卿」の体制を確立し、将軍家を強化した

以上のような功績の他に、やはり田沼意次という才能の塊を見出したことが、徳川家重にとっての最大の功績だと言えるでしょう。

徳川家重とうなぎの関連性は?

うな重は、徳川家重の名前から取ったなんて話があります。

しかし、うな重の誕生には諸説あり、由来が徳川家重かどうかははっきりとはしていません。

ちなみに、徳川家重は大のうなぎ好きだったようです。

さらに、うなぎの蒲焼が現在のようにタレをつけて焼かれるようになったのも、徳川家重の時代だと言われています。

徳川家重と田沼意次の関係性は?

徳川家重は、「側用人制度」という優秀で信頼できる人材を側につけて政務をする制度を復活させました。

そこで見出されたのが田沼意次です。

田沼意次の父親は、足軽出身でありながら徳川吉宗に仕えることとなった人物でした。

その関係で、田沼意次は徳川家重の小姓を務めていたのです。

その際に、徳川家重は田沼意次の才能を見抜いていたのでしょう。

こうして、田沼意次は徳川家重に抜擢されたことにより、最終的に大名にまで出世することになります。

田沼意次の出世は徳川家重抜きでは考えられないことだったと言えるでしょう。

まとめ:徳川家重は排尿障害や脳性麻痺を患っていたが、しっかりと将軍職をやり遂げた

徳川家重は、幼少期から排尿障害や脳性麻痺を患っており、周囲の人々とコミュニケーションを取ることが非常に困難でした。しかし、理解してくれる人々の協力を経て、無事に将軍職をやり遂げました。

今回の内容をまとめると、

  • 徳川家重の病気は排尿障害や脳性麻痺
  • 徳川家重は、病気を紛らわせるために青年期までは遊び呆けていた
  • 徳川家重は、病気のせいで将軍候補から外されるところだった

自身の意思を伝えることが困難な状態で、多くの人々をまとめあげるということは、相当難しいことだったでしょう。

それでも否定の声に負けることなく、周りの力を借りながら将軍職をやりきった徳川家重は、いくら障碍を持っていたとしても立派な将軍であったと言えるでしょう。

スポンサーリンク

最初のコメントをしよう

必須

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください