徳川家重を遺骨から復元してみたら歴代将軍で1番イケメンだった?女性説も?
徳川家重(1712(正徳元年)〜1761(宝暦11))は、江戸時代中期に活躍した江戸幕府第9代将軍です。生まれつき体が弱く、障碍があったため言葉が不明瞭でありながらも、人材登用に優れていたことから「隠れた名君」とも言われています。2024年のテレビドラマ『大奥』で、高橋克典さんが演じられることでも話題となっています。
そんな徳川家重には、歴代将軍で1番イケメンだったという説や実は女性説などがあります。
この記事では、徳川家重の遺骨を復元して判明したことなどを簡単に解説していきます。
目次
徳川家重の遺骨を復元して判明したことは?
徳川家重は増上寺に葬られています。
そして、1958年に増上寺で発掘調査が行われ、遺体が学術調査の対象になりました。
その際に、徳川家重の遺骨から徳川家重の顔を復元してみたところ、様々なことが判明しました。
ここでは、徳川家重の遺骨を復元して判明したことを簡単に解説していきます。
徳川家重は歴代将軍で1番イケメンだった?
徳川家重の遺骨は非常に保存状態が良く、そこから当時の徳川家重がどのような外見をしていたのかを復元することができました。
四肢骨からの推算で身長は156.3cmで、頭髪は正しく髷が結われていましたが、頭頂部には全く生毛の痕跡が見られず、禿げていたと考えられています。
また、顔面は、歴代将軍で最も整った気高い顔立ちであったと見られています。
『徳川実紀』には、徳川家重について
- ご威儀は厳格
- すぐれてけだかく見え
以上のように書かれています。
つまり、資料と復元したものが一致したということです。
徳川家重は歴代将軍で1番イケメンだったと言えるでしょう。
徳川家重は脳性麻痺だった?
徳川家重の歯には、前後方向に対して約60度の角度で左右交互にすり減った跡が見られました。
そのため、日常的に歯ぎしりを繰り返していたことが伺えます。
このことと、もう1つ、徳川家重の肖像画から推察されるのは、徳川家重が脳性麻痺を患っていたのではないかということです。
徳川家重の肖像は、顔が歪み、上半身がこわばっているように見えます。
これは、意に反して体が動いてしまうアテトーゼ型の脳性麻痺のせいだったのではないかと考えられているのです。
また、歯ぎしりもアテトーゼ型脳性麻痺の不随意運動によって生じる特徴の1つに挙げられます。
このように、脳性麻痺の影響で度々顔が歪む症状が出てしまっていた徳川家重ですが、先程もお伝えしたように元々非常に顔立ちが整っていました。
そのため、遠くから拝謁する大名たちからしてみたら、気高く見えたのかもしれませんね。
徳川家重は実は女性だった?根拠は?
徳川家重は、実は女性だったのではないかとする説があります。
ここでは、徳川家重女性説の根拠を簡単に解説していきます。
女性説の根拠1|徳川家重の声や顔を知る人が少なかったこと
まず最初に挙げられるのは、徳川家重の声や顔を知る人が少ないということです。
徳川家重は、幼少期から言語障害があり、他人とコミュニケーションを取ることが得意ではありませんでした。
あまり周りと関わってこず、将軍になってからもほとんど大岡忠光にしか話しかけなかったそうです。
そのため、徳川家重の声や顔を知る人は多くありませんでした。
このことが、実は自分が女性だとバレるのを隠すためだったのではないかと考えられているのです。
女性説の根拠2|増上寺の発掘調査で判明したこと
増上寺の発掘調査では、徳川家重の顔が整っていたことなどが判明しましたが、他にも判明していることがありました。
徳川家重の遺骨とされているものを調べてみると、頭蓋骨や骨盤が女性のもののような形をしていたのです。
さらに、通常であれば将軍の遺体は胡座を組んで埋葬されているのですが、徳川家重の遺体だけは正座をさせられていました。
正座で埋葬されるのは、女性の埋葬姿勢なのです。
これらのことも、徳川家重が女性なのではないかと考える根拠となっています。
女性説の根拠3|小便公方と呼ばれていたこと
徳川家重は家臣たちから「小便公方」と揶揄されるくらい頻尿持ちでした。
そこで、徳川家重は江戸城から菩提寺の上野寛永寺まで、直線距離で約4kmの道に、なんと23箇所のトイレを設置したのです。
しかし、当時将軍は外出の際、排尿をサポートする「公人朝夕人」という役職の者が、将軍が尿意を催したら、銅製の筒を袴から差し込んで支えていました。
つまり、将軍は小用を足すのにトイレを作る必要がなかったのです。
それなのに、徳川家重はトイレをたくさん作り、そのトイレもわざわざ「囲い式」のものを採用していました。
徳川家重のこの行動は、男性であれば無駄なものです。
しかし、女性であればバレないようにするのに必要なことでした。
ちなみに江戸時代において、頻尿というのは女性に多い疾患の1つです。
このことも、徳川家重が女性かもしれないと思わせるには十分な証拠と言えるでしょう。
女性説の根拠4|死因が尿毒症だったこと
徳川家重の死因も、徳川家重が女性かもしれないという説の根拠となっています。
徳川家重の死因は、尿毒症や尿路感染症が疑われています。
これらの病は、尿道の短い女性がかかりやすい病気だと言われているのです。
このことからも、徳川家重が女性なのではないかと考えられるのです。
徳川家重の女性説はなぜ出てきた?
徳川家重が女性だとする根拠はいくつかありましたが、そもそも何故女性説が出てきたのでしょうか?
ここでは、徳川家重の女性説が浮上した原因を簡単に解説していきます。
先代将軍・徳川吉宗の意向が絡んでいた?
先ほどもお伝えしたように、徳川家重自身の行動にも、女性であるのではないかと思わせるような行動がいくつかありました。
それとは別に、徳川家重が女性だと疑う人たちの中には
「徳川吉宗の意向が絡んでいるのではないか」
と考える人もいます。
徳川吉宗といえば、徳川家重の父であり、先代の将軍です。
そして、元々徳川本家の人間ではなく、将軍になれるような地位にはいませんでした。
将軍になれたのは、超偶然的なラッキーが重なったためとされていますが、その中の1つの要因として「すでに嫡男として徳川家重がいた」ということも大きかったと見られています。
すでに嫡男がいるということは、将軍継嗣問題で揉める必要がなくなるということです。
それが次期将軍を決定するのに大きな決定打になると踏んだ徳川吉宗が、本当は女子しかいなかったのに、その子を男子と偽って嫡男としたかもしれないのです。
将軍選抜レースに有利になるように、自身の子を利用したということですね。
そこで男子だと偽ってしまったため、最後まで「男」だと押し通すしかありません。
さらに、徳川吉宗は将軍職を徳川家重に譲った後に、大御所として政治の実権を握り続けます。
これは、徳川家重を表舞台から極力遠ざけようとしたのではないかと考えられるのです。
このように、徳川家重は父・徳川吉宗のせいで「男」であることを強制させられていた可能性があるというわけですね。
徳川家重が女性だとしたら子供は誰の子供?
もし、徳川家重が女性なのだとしたら、徳川家重の子供である徳川家治と徳川重好は誰の子供なのでしょうか?
当時、基本的に将軍のみが入ることが許される大奥に立ち入ることのできた男性は、先代将軍である徳川吉宗と、側近の大岡忠光のみでした。
そのため、2人の子どもの父親は、徳川吉宗と大岡忠光のどちらかである可能性が非常に高いです。
特に徳川吉宗は、徳川家治を溺愛していたと言われていますし、自分の子だとしたら納得できます。
また、2人の子どもは側室が産んだ子とされていますが、実は徳川家重自身が産んだのではないかとする説もあるのです。
いずれにせよ真相は謎ですが、もし本当だとしたら、相当複雑な人間関係があったと言えるでしょう。
まとめ:徳川家重を遺骨から復元してみたら、歴代将軍の中で最も整った顔をしていた
徳川家重は、遺骨調査をしたところ、歴代将軍の中で最も整った顔をしていたことが判明しました。しかし、それと同時に女性説が出てきたりと、非常に謎の深い人物です。
今回の内容をまとめると、
- 徳川家重の遺骨から顔を復元したところ、歴代将軍の中で最も整った顔をしていた
- 徳川家重は、脳性麻痺を患っていた可能性が非常に高い
- 徳川家重には、女性ではないかと疑う声もあり、その根拠も多数ある
徳川家重の身長は156.3cmだと考えられていますが、当時の女性の平均身長は145.6cmだと言われています。そのため、女性だとしたらかなり大柄だったということになるのです。
このように、女性説を否定するような根拠もあり、性別を確定させるにはまだまだ時間がかかるでしょう。