源頼朝の家紋は笹竜胆?それとも無紋?源頼朝の家紋の意味と逸話を徹底解説!

源頼朝の家紋は笹竜胆?それとも無紋?源頼朝の家紋の意味と逸話を徹底解説!

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源頼朝(1147~1199)といえば、鎌倉幕府を開いたことで有名な武士です。
その頼朝が使用していた家紋は笹竜胆ささりんどうと呼ばれる家紋だとされています。
しかし、頼朝は実際にそれを使用していないのではないかという話もあるのです。
源頼朝は笹竜胆を家紋として使っていたのか?それとも使っていなかったのか?今回は、源頼朝の使っていた家紋はなんだったのか?その家紋の意味やまつわる逸話を徹底解説していきます。

源頼朝の家紋は何?

源頼朝の家紋として、広く知られているのは笹竜胆と呼ばれる家紋です。
しかし、実際頼朝はこの家紋を使用していなかった可能性があるとされています。では源頼朝は、一体どんな家紋を使用していたのでしょうか。

源頼朝は家紋を使用せず、白旗を掲げていた

源平合戦図屏風(Wikipediaより)

実は、源頼朝は家紋を使用せず、ただの何も描かれていない白旗を掲げていた可能性が高いのです。
なぜなら、源平合戦(1180~1185)では、源頼朝率いる源氏なら白い旗を、平清盛たいらのきよもり(1118~1181)率いる平氏なら赤い旗を掲げて敵味方の識別をしていました。

その影響で白旗といえば源氏の旗という認識が広まっていたので、源頼朝自身は家紋など使用しなくても、白旗を掲げていたら誰がいるのかわかるだろうという自信があったのでしょう。

ちなみに、この源平合戦での赤白の旗を掲げて戦ったことが、今日の運動会や紅白歌合戦といったもののように、紅白に分かれての戦いの由来になったとされています。

源頼朝が家紋として使っていたかもしれない笹竜胆

源頼朝が、笹竜胆の家紋を使用せず、白旗を掲げていた可能性が高いと言っても、源氏ゆかりのスポットでは、あちこちで笹竜胆を見かけることができます。どうして笹竜胆の紋が源頼朝と関わりがあるとされているのでしょうか?

笹竜胆は源氏の正式な家紋だった

笹竜胆の紋は、竜胆の花3つとその葉5つが描かれた紋となっています。
竜胆の葉は笹に似ているので、竜胆そのものが笹竜胆と呼ばれることもあり、家紋の名称もそう決められました。笹竜胆だからといって、決して笹の葉と竜胆を合成したものではありません。

竜胆は、9月~11月頃にかけて釣鐘状の花を咲かせます。
藍紫のイメージが強いですが、ピンクや白の花も咲かせます。
語源は、漢方薬になる根が竜の胆のうのように苦いことから、中国名で竜胆(りゅうたん)と名付けられ、それが変化して「りんどう」になったとされているのです。

古来より人々に愛されていたりんどうは、万葉集枕草子にも「想い草」という名前で登場しています。
平安時代より紋様として用いられるようになり、主に衣装や調度品、牛車などに使用されていました。

そして、この笹竜胆の紋は、源氏の正式な家紋だったと認識している人が多いのです。
【笹竜胆の家紋を使用していた源氏】
・源義経 
・木曽義仲
・村上源氏…久我氏、六条氏、中院氏、愛宕氏、岩倉氏、千種氏、植松氏など
・宇多源氏…五辻氏、慈光寺氏、庭田氏、綾小路氏、大原氏など

源頼朝が家紋として笹竜胆を使用していた記録はない?

源頼朝が、笹竜胆を家紋として使用していたという記録は残っていません。
源頼朝は、あくまでも源氏の棟梁として存在していただけで、家紋は個人的には使用していなかったとされているのです。

なぜ笹竜胆が、源頼朝の家紋と思われているのか?

源頼朝が、笹竜胆の紋を家紋として使用していた記録は残っていないのに、なぜ笹竜胆が源頼朝の家紋だと思われているのでしょうか?
それは、源氏の多くが笹竜胆を家紋としていたこともありますが、源頼朝と笹竜胆に関するエピソードが世にたくさん存在しているからと言えるでしょう。
【源頼朝と笹竜胆にまつわるエピソード】

  • 鎌倉市の市章が頼朝由来で笹竜胆になっている
  • 歌舞伎などで源氏側の衣装に笹竜胆の紋が入っている
  • 妻の北条政子から竜胆を贈られている

源頼朝にゆかりのある紋「笹竜胆」は現在は鎌倉市の市章となっている

源頼朝といえば鎌倉幕府をひらいた人物です。
つまり、鎌倉市は頼朝ゆかりの地といえます。
そのため鎌倉市では、源頼朝ゆかりの紋ということで、笹竜胆を市章と制定しています。

源頼朝と笹竜胆の家紋のエピソード

源頼朝が実際に笹竜胆の家紋を使っていなかった可能性が高いとはいえ、源頼朝と笹竜胆の家紋ゆかりのエピソードはたくさん存在します。それをご紹介していきます。

笹竜胆の紋は、源氏の正紋だから、頼朝が使っていたと言われている?

そもそも、笹竜胆の家紋を使用していたのは、源氏は源氏でも源頼朝の一族である清和源氏ではなく、村上源氏という公家の一族でした。

しかしそれが後々の世で混同されてしまい、さらに清和源氏の後裔を称する人たちが笹竜胆の家紋を使用することによって、いつの間にか源氏全体の正式な家紋であるかのように認識されるようになったのです。
そして、清和源氏の正紋だから、清和源氏の棟梁だった源頼朝も笹竜胆の紋を使っていたのだろうと予測されたのでしょう。

笹竜胆が源氏の家紋となったきっかけは北条政子?

笹竜胆が源氏の家紋となったきっかけは、頼朝の妻、北条政子とのエピソードに由来する説もあります。
ある日、源頼朝が狩りをしていた際、一人の乙女に出会います。
その乙女は頼朝に竜胆と恋の詩を捧げるのです。
そして、その乙女こそが後の妻となる北条政子であったことから、竜胆が源頼朝の家紋と思われています。

源頼朝の家紋「笹竜胆」は、歌舞伎などで定着した。

歌舞伎の勧進帳かんじんちょうや「曽我兄弟の仇討そがきょうだいのあだうち」などでは、演者の着物に笹竜胆の柄を忍ばせることで源氏の縁者(源義経みなもとよしつねなど)だということを表しています。
そのため、「源氏=笹竜胆の家紋」というイメージが定着た可能性があります。

源頼朝が家紋を旗に掲げるきっかけをつくった?

実は頼朝が家紋を旗に掲げるきっかけをつくったという話もあります。
きっかけといわれているのは源平合戦です。
このとき、源頼朝率いる源氏なら白い旗を、平清盛率いる平氏なら赤い旗を掲げて敵味方の識別をしていました。
しかし、1185年の壇ノ浦の戦いだんのうらのたたかいで平氏が滅亡した後は、基本的に源氏の味方しかいなくなるので、全員が同じように無地の白旗を掲げることになるのです。

そこで源頼朝は、この無地の白旗を掲げる資格があるのは源氏の嫡流のみであると考えるようになります。
そのため、自分の元に馳せ参じる御家人には、白旗に家紋を描くようにと命じたようです。
これが家紋を旗に掲げるきっかけになったとされています。

まとめ:源頼朝が家紋を使用していた記録はないが、笹竜胆は頼朝ゆかりの紋として残っている

源頼朝が使用していた家紋は、広く知られている笹竜胆ではなく、無紋の白旗を掲げていた可能性が高いとお伝えしてきました。
そしてそこには、源頼朝のこだわりが垣間見えましたね。
今回の内容をまとめると、

  • 源頼朝が家紋として笹竜胆を使用していた記録は残っていない
  • 源頼朝は家紋ではなく、無紋の白い旗を掲げていた
  • しかし、源頼朝と笹竜胆の家紋に関するエピソードはたくさん存在する
  • 源頼朝のゆかりの地として、鎌倉市は笹竜胆を市章として制定している

笹竜胆の紋が頼朝ゆかりの紋として色々な場所で残っているのも事実です。
源頼朝の逸話とともに、笹竜胆の紋に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。

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