源頼朝の死因は?落馬?病気?怨念?それとも暗殺?謎に包まれた源頼朝の死因

源頼朝の死因は?落馬?病気?怨念?それとも暗殺?謎に包まれた源頼朝の死因

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源 頼朝は、鎌倉幕府・日本初の武家政権を開いた人物です。
日本古来の天皇を中心とした朝廷による政治から、武士による政治が行われるように変革したのが源頼朝です。
そんな、日本の歴史に多大な影響を与えた源頼朝ですが、1199年(建久10年)1月13日に享年53歳で亡くなっています。
しかし、源頼朝の死因についてはっきりとした歴史的資料が残っておらず、落馬、病死、暗殺、溺死など様々な説があるのです。
今回は源頼朝の死因は何か?落馬・病気・怨念・暗殺とそれぞれの説を解説していきます。

源頼朝の死因は?いつ亡くなった?

1198年(建久9年)源頼朝は、稲毛重成いなげしげなりが亡き妻のために架けた相模川の橋供養に出席します。
稲毛重成の妻は頼朝の正室「北条政子」の妹で、頼朝にとっては家臣であり義理の弟でもあったのです。
その橋供養に出席した翌年の1199年(建久10年)1月13日、源頼朝は享年53歳で亡くなりました。

源頼朝の死因は吾妻鏡にも記録がない

吾妻鏡あずまかがみは鎌倉時代に記された日本の歴史書です。
1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの幕府の事柄が記されており、鎌倉幕府の初代将軍「源頼朝」についても記述があります。
しかし、源頼朝が死亡した1199年(建久10年)に、
「長男である頼家が跡を継いだ」という記述はありますが、その前の3年間については不自然に記録がないのです。
そのため、現代でも源頼朝の死因については様々な説が唱えられているのです。

源頼朝の死という鎌倉幕府にとって重要な出来事が記録されていないことはあまりに不自然なため、現在では意図的に削除されたのではないかという見解が主流になっています。

源頼朝の死因は落馬がきっかけ?

源頼朝の死因として、最も有力な説は落馬による死亡です。
源頼朝は義弟である稲毛重成が亡き妻のために架けた相模川の橋供養に出席し、その帰りに落馬し、そのまま亡くなったと伝えられています。

源頼朝の死因は落馬による負傷

吾妻鏡に死因は書かれていませんが、源頼朝の死から13年後に息子の源実朝みなもとのさねともに関する記述の中で、源頼朝が登場しています。

そこには、
「源頼朝が、1198年(建久9年)の12月27日橋のそばで落馬し、その怪我がもとで亡くなった因縁の橋を再建すべきか、やめるべきか」
を実朝と家臣たちが議論している描写があります。
このことから、源頼朝はの死因は、落馬による怪我が原因だという説があります。

源頼朝の死因は落馬の前から患っていた病気だった?

この時代の歴史的資料として、当時の公家や役人の日記が存在しています。
その中に歌人である藤原定家ふじわらのさだいえが残した「明月記」があります。
その明月記には
「1月13日に頼朝が亡くなった。おそらく急病だろう」
と記載があるのです。

急病というからには、脳梗塞や心筋梗塞などの突発的な病気だったのかもしれませんし、感染症が急激に悪化したのかもしれません。
もしくは自覚症状のない病気があったのかもしれません。
その病気が落馬による後遺症なのか、それとももともと患っていたのか、今となっては調べようがありません。

源頼朝の死因は落馬による溺死?

相模川の河口は馬入川と呼ばれていました。
馬が暴れて相模川に入り、川の中で落馬してしまったので溺れてしまったという伝説もあります。

征夷大将軍だった源頼朝の着衣は、非常に豪華だったことが推測されますから、もし落馬して川に落ちてしまったとしたら、その衣装は水を吸い非常に重くなったことが推測されます。
そのため、源頼朝の死因は、落馬し川に落ちたことで溺死したという説があります。

源頼朝の死因は、病死だった?

猪熊関白記いのくまかんぱくきという当時の役人の日記には、
「頼朝は重い飲水の病となり、その後亡くなったという噂を聞いた」
と記述があります。
水を飲む病気と言えば糖尿病が挙げられますが、糖尿病は直接の死因にはなりにくく、合併症により死亡したのかもしれません。

他にも落馬が原因で脳の中枢神経にダメージを負い、「尿崩症」という病気になったという説もあります。
尿崩症は、尿のコントロールが効かなくなる病気で、大量に尿が出てしまうので、大量に水分を欲するようになるようです。

源頼朝の死因は亡霊に祟られた?

壇ノ浦の戦い(Wikipediaより)

保暦間記ほうりゃくかんきという南北朝時代に書かれた歴史書に、源頼朝の死因は、亡霊の祟りだと連想させる記述があります。
宝暦間記によると、
「源頼朝は完成式の帰り道で、源義経みなもとのよしつねや、安徳天皇あんとくてんのうの亡霊を見て、そのまま寝込んでしまい、そして亡くなった」
とあります。

源義経は平氏を滅亡させるなど大きな功績を上げていましたが、兄である源頼朝の追及を受け、岩手県平泉まで逃げた挙句、自害しています。
安徳天皇は平清盛の孫であり、壇ノ浦の戦いで、祖母の二位尼にいのあま(清盛の妻・時子)と共に入水自殺しています。
その時、安徳天皇はわずか6歳です。
源頼朝も自身の弟を死に追いやり、6歳の子供を追い詰めてしまったことに良心の呵責を感じていたのかもしれません。
当時の人々も、彼らの無念を思い、源頼朝の死因は「亡霊による祟りだ」と噂したのかもしれませんね。

源頼朝の死因は暗殺?

権力を持つ人間は多かれ少なかれ敵を作っているものです。
源頼朝も、平氏を滅亡させ、その滅亡に大きく貢献した源義経を自害に追い込んだり、安徳天皇をわずか6歳で死に追いやったりと、恨みもかっており、御多分に漏れず敵がいたようです。

源頼朝は方々に敵を作っていたから暗殺された?

当時、源頼朝は、長女の大姫を後鳥羽天皇ごとばてんのうに嫁がせる事で朝廷を掌握したいと考えていました。
そのため源頼朝は、後白河天皇の側室となり権力を持っていた丹後局たんごのつぼねや、反幕府派の実力者である土御門通親つちみかどみちちかに接近したのです。
このことが親幕派の失脚につながり、反幕派の台頭を招きました。
その結果、土御門通親が鎌倉幕府のナンバー2だった大江広元おおえのひろもとと手を組み、目の上のたんこぶだった源頼朝を暗殺したという説があります。

源頼朝は北条家によって暗殺された?

源頼朝の死因は、妻の北条政子ほうじょうまさこの実家「北条氏」による暗殺という説があります。
その理由は、

  • 北条氏による執権政治が確立されたこと
  • 源頼朝のあとを継いだ、頼家を幽閉し暗殺したこと

上記の理由から、北条氏が源頼朝を暗殺したのではないかと考えられています。

源頼朝が死亡した後、北条 政子の弟の北条義時ほうじょうよしときが鎌倉幕府内で頭角を現しいきました。

後鳥羽上皇が朝廷へ権力を取り戻そうと、承久の乱じょうきゅうのらんを起こしますがあえなく敗北、その後北条氏による執権政治が確立されていきます。

その後、源頼朝の長男の頼家も将軍になりますが、すでに幕府の実権は北条氏が握っており、さらには頼家が病を発症し将軍職を剥奪されました。

この時、頼家はまだ生きているにも関わらず、
「頼家が死亡したため弟の源実朝があとを継いだ」
という報告が都に届き、源実朝が将軍に任命されています。

病床から回復した頼家は、この事実を知って激怒し北条討伐を掲げますが、付き従うものがなく、弟・実朝に地位を奪われることになりました。

その後、源頼家は 伊豆国修禅寺に幽閉された後 北条氏に暗殺されています。

妻の夫であり鎌倉幕府をひらいた源頼朝を、北条家が権力を握るために暗殺したのかもしれませんね。

源頼朝の墓はどこにある?

源頼朝の墓は神奈川県鎌倉市にあり、国の史跡に指定されています。
頼朝の死後、亡骸は頼朝自身の持仏堂(仏様などを日常的に礼拝するお堂)に葬られました。
この持仏堂は1200年(正治2年)から法華堂ほっけどうと呼ばれるようになりました。
1779年(安永8年)に、薩摩藩主の島津重豪しまずしげひでが現在の石塔を建てています。
明治に入り、石塔の前にあった法華堂は壊されてしまいましたが、1872年(明治5年)法華堂の跡地に源頼朝を祀る白旗神社が建てられています。

また、鎌倉市の鶴岡八幡宮にも白旗神社があります。
この鶴岡八幡宮にある白旗神社は、北条政子が創建したと言われています。

他にも、明治以降に源頼朝は日光東照宮にも祀られています。

さらに、岩手県一関市東山町にある矢ノ森八景には、源氏の末裔が源頼朝を慕って建立したと言われる頼朝の墓があります。

このように源頼朝の御霊は、多くの場所に祀られています。

まとめ:源頼朝の死因は落馬が有力だが、真実は謎に包まれたまま

歴史書である吾妻鏡に重要な出来事であるはずの頼朝の死がすっぽりと抜け落ちているため、謎を呼んでいます。
意図的に削除されたという説もありますが、真相はわかりません。
 今回の内容をまとめると

  • 吾妻鏡に、源頼朝の死に関する記載は一切ない
  • 源頼朝の死因は、落馬、病死、溺死、祟り、暗殺など様々な説がある
  • 源頼朝の墓は鎌倉市にあり、また日光東照宮や岩手県一関市にも御霊が祀られている

源頼朝の死因に関しては、いろいろな説がありますが、今となっては真相は謎に包まれたままです。
いつか、歴史資料が発見され死因が判明するかもしれませんね。

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