島津斉彬の家系図を簡単に解説!子孫は現在も続いている?篤姫との関係は?

島津斉彬の家系図を簡単に解説!子孫は現在も続いている?篤姫との関係は?

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島津斉彬(1809(文化6)〜1858(安政5))は、江戸時代後期から幕末にかけて活躍した大名です。

島津斉彬はとても賢い人物であったと言われており、「福井藩主・松平春嶽」「宇和島藩主・伊達宗城」「土佐藩主・山内容堂」とともに「幕末の四賢侯」と呼ばれるくらいでした。

当時、財政難に陥っていた薩摩藩を近代的に生まれ変わらせ、「名君」とも呼ばれていた島津斉彬ですが、その子孫は現在まで続いているのでしょうか?

この記事では、島津斉彬の家系図を見ながら、子孫は現在も続いているのか?また篤姫とはどんな関係があるのか?について簡単に解説していきます。

島津斉彬の家系図をわかりやすく解説!

島津斉彬の家系図

島津斉彬の家族構成は?

【島津斉彬のプロフィール】

島津斉彬しまづなりあきら/1809年(文化6年)〜1858年(安政5年) 享年:50歳

父:島津斉興/母:周子

正室:恒姫

側室:酒井忠藎の娘、田宮安知の娘、伊集院須磨、横瀬克己の娘

子:菊三郎、澄姫、邦姫、盛之進、虎寿丸、篤之助、暐姫、典姫、寧姫、哲丸、寛之助

養子:島津忠義、篤姫、貞姫

島津斉彬は、1809年(文化6年)に、島津斉興と周子の長男として江戸薩摩藩邸にて生まれました。

その後、斉彬は正室と側室を複数人持ち、子供を全部で11人授かりました。

この数は、現代では多いと感じるかもしれませんが、当時としては特殊ではありませんでした。
これだけの子孫を残した島津斉彬でしたが、残念ながら子供の多くは早世してしまい、後継ぎとして、養子の島津忠義を指名したのでした。

島津斉彬と篤姫は元々はとこだった?

島津斉彬の養子には13代将軍・徳川家定と結婚した篤姫がいます。
篤姫といえば、徳川家定と結婚し、大河ドラマの主人公にもなった人物です。
【大河ドラマ 「篤姫」公式サイト】
https://www6.nhk.or.jp/drama/pastprog/detail.html?i=taiga47

養父と養女の関係で有名な2人ですが、実は2人は元々はとこなのです。
詳しく解説すると、2人は島津家9代藩主・島津斉宣のひ孫なのです。
つまり、祖父が同じ人物だということですね。

そして、後に篤姫が島津斉彬の養女となり、次に近衛忠煕の養女となって格式を上げ、最終的に13代将軍・徳川家定と結婚しました。

ちなみに、篤姫を家定に嫁がせたのは、14代将軍に一橋慶喜を推すためという話もありますが、現在ではそれは否定されています。

なぜなら、篤姫は慶喜のことを相当嫌っていたとされているからです。
それは、大奥に批判的だった水戸斉昭の息子であったということも関係しているようです。

島津斉彬の子孫は現在も続いている?

斉彬は11人(男6人、女5人)の子供を残しました。その子孫は現在まで続いているのでしょうか?

ここでは、斉彬の子孫について簡単に解説していきます。

島津斉彬の嫡流は途絶えてしまった?

斉彬は、正室との間に1人、側室との間に10人の子供を残しました。
しかし、そのうち3人の娘以外は全員早世してしまいます。

嫡男がいなくなったわけですから、島津斉彬の嫡流は途絶えてしまったということになります。

ちなみに、島津斉彬の後に藩主を継いだ弟の島津久光の長男・忠義が斉彬の養子になった時点では、まだ島津斉彬の息子は生きていました。

なぜ養子の忠義を先に次期藩主として指名したかと言うと、自分の息子が大きくなるまでの間藩主をやっていてもらおうと考えたからです。

しかし、その息子も早世してしまい、そのまま島津家は忠義の血筋が続いていくことになるのです。

島津斉彬の孫娘が子孫を残している?

島津斉彬の嫡流は先程もお伝えしたように途絶えてしまいましたが、子孫自体は続いています。

島津斉彬の子供は、四女・典姫だけが子供を残しているのです。

さらには、典姫の三女・治子は広子と泰子という娘を産んでいます。
この2人は島津斉彬の孫娘になるわけですね。

泰子は、貴族院議員二条厚基の妻となりましたが、養子しかいなかったので、ここで島津斉彬の血は途絶えてしまいます。

しかし、広子は三井化学の元会長である三井高修に嫁ぎ、数多くの子供を残したようです。

そして、その子孫は現在まで続いているとのことです。

島津家の子孫には色々な有名人が?

島津斉彬の嫡流は途絶えてしまったため、島津家自体は養子の島津忠義が継ぎました。

その忠義の子孫は現在まで続いているようです。
そして、その子孫の中には色々な有名人がいます。

島津家は、島津斉彬の弟・久光の長男が継いだ?

島津斉彬の嫡流は途絶え、島津家を継いだのが、斉彬の弟・久光の長男である島津忠義です。

忠義は斉彬の養子になり、さらに斉彬の娘・暐姫、寧姫と結婚もしました。

忠義が斉彬の娘と結婚したのは、斉彬からそれが藩主継承の条件だと言い渡されていたからでした。斉彬としても、自分の血を残そうとしていたのかもしれません。

しかし、2人の娘との間には、子供ができたものの夭折してしまったため子孫が続くことはありませんでした。

一方で、側室・山崎寿満子との間には、12人の子供を授かり、その中の忠重が島津家を継ぐことになったのでした。

島津家の子孫には徳川一門や天皇も?

島津斉彬から島津家の家督を継いだ島津忠義。

その子孫には、有名企業の社長であったり、大学の理事であったりと有名な人物が何人も存在しています。ここでは、特に有名な人物をご紹介していきます。

まず、忠義の玄孫には、徳川家18代当主である徳川家広氏がいます。

家広氏は、『「豊かさ」の誕生ー成長と発展の文明史』という名著を翻訳したことで有名な経済学者兼翻訳家です。

また、忠義の娘・俔子はなんと皇室に嫁ぎ、香淳皇后を生んでいます。

香淳皇后といえば、昭和天皇の妻にあたる人物です。

つまり、忠義の血が現在の天皇に流れているということになります。

まとめ:島津斉彬の嫡流は途絶えてしまったが、子孫は現在まで続いていた

島津斉彬の子供は11人いましたが、その多くが早世してしまい、嫡流は途絶えてしまいました。
しかし、娘・典姫が子供を残したおかげで、島津斉彬の血は現在まで続いていました。

今回の内容をまとめると、

  • 島津斉彬は全部で11人の子供を残した
  • 島津斉彬の子供の多くは早世してしまい、嫡流は途絶えた
  • 斉彬の娘・典姫から続く子孫は現在まで残っている
  • 島津斉彬と篤姫は、はとこの関係だった
  • 島津家は斉彬の弟・久光の長男である忠義が継いだ
  • 島津家の子孫には徳川一門や天皇も存在する

とても優秀で賢かった島津斉彬だからこそ、自分の血を島津家に残そうと色々と策を考えていたことでしょう。
しかし、どんなに優れた人物でも、人の命までは操作することはできないものですね。

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