真田幸村の名言8選!意味、逸話を交えて言葉の深さを解説!

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真田幸村(さなだ ゆきむら)の名前で知られる真田信繁(さなだのぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将です。

真田幸村は、豊臣方の武将として大坂夏の陣では徳川家康の本陣にまで攻め込んだ勇将でしたが、普段は物腰が柔らかく、多くの人に好かれていたそうです。
2016年の大河ドラマ「真田丸」でもお馴染みですよね。

今回は、真田幸村の人物像を感じられる8つの名言をご紹介します。

※この記事内では、広く知られている真田幸村の名前で統一して表記いたします。

真田幸村の名言からみる覚悟

真田幸村は、普段は柔和で物静かでしたが、戦では鬼神のようになったとされています。「日本一の兵(ひのもといちのつわもの)」と評される真田幸村の覚悟を感じることができる名言を集めてみました。

【真田幸村の覚悟を感じられる名言】

  • いざとなれば損得を度外視できるその性根、世の中に、それを持つ人間ほど怖い相手はいない
  • 人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし
  • 夢をつかんだやつより、夢を追っているやつの方が時に力を発揮する

真田幸村の名言1:いざとなれば損得を度外視できるその性根…

真田幸村の名言1:
いざとなれば損得を度外視できるその性根、世の中に、それを持つ人間ほど怖い相手はいない

意訳:
いよいよの時は損得など関係ないとの覚悟を持つ人間ほど、この世で怖い存在はいない。

大阪夏の陣では、徳川家康から「信濃一国をあげるので、徳川側に寝返るように」と再三誘いを受けていたそうです。しかし真田幸村は「状況的に豊臣側の負けは覚悟しているが、それでも豊臣家に付く」と心をうごかしませんでした。

この名言からは、そんな損得勘定に流されず、どんな勧誘も無視して豊臣軍に忠義を貫こうとした真田幸村の覚悟を感じることができますよね。

真田幸村の名言2:人の死すべき時至らば…

真田幸村の名言2:
人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし

意訳:
目的を達成するために命を捨てる必要があるならば、潔く玉砕することが勇士の本来の存在意義であるべきです

真田家は、父親と真田幸村は豊臣側に付きましたが、兄の真田信幸は徳川側に付いています。この名言は、兄の真田信幸が「西軍が敗北しても、父と真田幸村だけは処刑されないようにしたい」といったものに対しての返答だったとされています。

真田幸村の武将としての強い覚悟を感じることができる名言です。

真田幸村の名言3:夢をつかんだやつより、夢を…

真田幸村の名言3:
夢をつかんだやつより、夢を追っているやつの方が時に力を発揮する

意訳:
夢を叶えた人よりも、夢を追いかけ続けている人の方が、力を発揮できる時もある。

目標を達成して気が緩んでいる人と、まだ目標を達成できていないけれども努力し続けている人を比べると、もしかしたら努力をし続けている人の方が優秀かもしれないということを伝えてくれている名言です。

真田幸村の向上心と覚悟を感じることができますよね。

真田幸村の名言から考える忠義

真田幸村は、大阪夏の陣では徳川家康からの誘いを断り、不利な状況としりつつも豊臣側についた忠義の武将です。

真田幸村の忠義を感じることができる名言を集めました。

【真田幸村の忠義を感じられる名言】

  • 十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか
  • 恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか

真田幸村の名言4:十万石では不忠者にならぬが…

真田幸村名言4:
十万石では不忠者にならぬが、一国では…

意訳:
十万石の報酬では寝返らないけれども、信濃一国の報酬なら寝返ると思いましたか。

大阪夏の陣の前に、真田幸村は徳川家康から徳川側に寝返るように勧誘されます。

その際に提示された報酬を聞いて、真田幸村が言った名言です。

大坂冬の陣での真田幸村の戦いぶりを脅威に感じた徳川家康は、大阪夏の陣ではどうにかして徳川側に寝返らせようとしていました。最初は徳川側に寝返る報酬として10万石を提示しましたが、真田幸村はきっぱりと拒絶します。徳川家康は、最終的には信濃一国を報酬とします。一国の主になるのは、戦国時代では大きな報酬です。しかし、これも真田幸村は断わりました。

大きな報酬も一蹴できるほど、真田幸村は揺るがない強い忠義を持っていたことを感じる事ができる名言です。

真田幸村の名言5:恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか

真田幸村の名言5:
恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか

意訳:
今までの恩義を忘れて、自分の欲望や利益のために行動する者は、人ではない。

関ヶ原の戦いで、真田家が西軍につくことを決断する際に、真田幸村が発した名言です。

真田幸村は戦に強かったので、東軍は真田幸村を味方に付けようと莫大な報酬金を提示します。しかし真田幸村は、利益よりも豊臣秀吉からの恩を選び、西軍の味方に付きました。

受けた恩を大切にする、真田幸村の忠義の心を感じられる名言ですね。

真田幸村の人柄を感じる名言

戦に長けた勇将として知られる真田幸村でしたが、普段の様子は物腰も柔らかく、怒ることもなかったそうです。周りの人にも慕われていたといわれています。

そんな真田幸村の人柄を感じることができる名言を集めました。

【真田幸村の人柄を感じられる名言】

  • 部下ほど難しい存在はない
  • 関東勢百万も候へ、男は一人もなく候
  • 今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ

真田幸村の名言6:部下ほど難しい存在はない

真田幸村の名言6:
部下ほど難しい存在はない

意訳1:
どんなに忠実な家臣でも、1度でも恥をかかせてしまうと主人を憎んでしまいます。忠実な家臣ほど丁寧に扱わなければいけません。

意訳2:
家臣に対していいかげんな扱いをしていると、自分が判断を誤っても誰も意見してくれなくなってしまいます。

真田幸村は、常に家臣に対して細心の配慮をしていたといいます。

立場が上のものだからこそ、家臣との人間関係を大切にしなければいけないことを真田幸村は知っていたのだと思います。

真田幸村が家臣に好かれていた理由がよく分かる名言ですね。

真田幸村の名言7:関東勢百万も候へ、男は一人もなく候

真田幸村の名言7:
関東勢百万も候へ、男は一人もなく候

意訳:
関東には数多くの武士がいるけれども、男と呼べるほどの人物は一人もいない。

大阪夏の陣の内の戦いである「誉田の戦い」の時に真田幸村が発現したとされる名言です。

誉田の戦いでは、真田幸村は殿(しんがり)軍を務めました。

殿軍とは、後退する部隊の中で最後尾を担当する部隊を指します。自軍が撤退しなければいけない劣勢時に、味方の盾となり敵の追撃を阻止することで、自軍の本隊の撤退を成功させるという役割を担っていました。

撤退中ですので、援軍や支援は受けられません。限られた戦力で敵の追撃を食い止めなければいけない最も危険なポジションです。そのため、武芸と人格に優れた武将が務める大役でした。

そのような大役を誉田の戦いで務めた真田幸村は、敵の大軍に立ちふさがって豊臣軍の撤退を成し遂げた際、この名言をひと吠えして悠々と帰還したといわれています。

実力を兼ね備えた真田幸村だからこそ言える、非常にかっこいい名言ですよね。

真田幸村の名言8:今はこれで戦は終わり也。あと…

真田幸村の名言8:
今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただひとつのみ

意訳:
戦いの結果は、もうどうしようもありません。残りは快く戦いましょう。狙うは徳川家康の首をとることだけです。

大阪夏の陣において、真田幸村が徳川家康の本陣へ突撃する際に発した言葉です。

大坂夏の陣では豊臣滅亡が濃厚になり、最後の策が実行不可能となった時、真田幸村はこの名言をつぶやき、真っ正面から家康本陣にのみ狙いを定めて突撃しました。

まさに決死の突撃だったというわけです。真田幸村の本陣への突撃は凄まじく、徳川家康は二度も自決を覚悟したといいます。

真田幸村は、敗戦濃厚になった時も、逃げるのではなく最後まで戦うことを選びました。どんな困難な状況でも、他人を責めることなく、自分にのこされた最善の策を見つけて断行する真田幸村の人柄を感じられる名言です。

まとめ:真田幸村の名言は、覚悟や男らしさを教えてくれる

真田幸村の名言は、覚悟や忠義、男らしさや理想の上司像を感じるものばかりでした。
現代社会に生きる私たちにも、真田幸村の名言は、生きる上で大切な覚悟やかっこよさを教えてくれます。

大河ドラマ「真田丸」での人気の理由もわかりますよね。

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