藤堂高虎の子孫は現在も続いてる?家系図で簡単に解説!ゆってぃも末裔?
藤堂高虎は、1556年(弘治2年)〜1630年(寛永7年)何度も主君を変えたことと、築城の名手として知られる戦国武将です。
藤堂高虎は、15歳のとき浅井長政に仕えてから、織田信澄、羽柴秀長やその子秀俊に仕えました。
築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し、黒田孝高、加藤清正とともに築城の名手として有名です。
今回は、そんな藤堂高虎の子孫は現在も続いているのか?家系図を見ながら簡単に解説していきます。あのお笑い芸人ゆってぃさんが末裔との噂も?それぞれ詳しく見ていきましょう。
目次
藤堂高虎の子孫は現在も続いてる?
築城技術に長け、名人とも言われた藤堂高虎の子孫は、現在も続いています。
【藤堂高虎の現存する子孫】
- 女性ボートレーサーの藤堂里香さん
- お笑い芸人のゆってぃさん
- 藤堂家の15代当主の藤堂高正さん
藤堂高虎の子孫は、現在でも芸能界やボートレース会など、各分野で活躍されているようです。
藤堂高虎の子孫「藤堂里香さん」
藤堂里香さんは1987年7月29日生まれ、福井県大野市出身の日本の女子競艇選手です。
ボートレース界のアイドル的存在の藤堂里香さんは、藤堂高虎の末裔としても知られています。
2007年11月、地元の三国競艇場でデビューし、9年間優勝に縁がありませんでしたが、2016年3月に若松競艇場で開催された男女W戦「山口シネマカップ争奪男女W優勝戦」で初優勝。
その優勝賞金の一部(10万円)を地元の大野市に寄付したといわれています。
現在は、同期同支部のA級レーサー土山卓也さんと結婚しています。
藤堂高虎の子孫?ゆってぃ
藤堂高虎の意外な子孫として知られているのが、「スーパーアイドルゆってぃ」というキャラクターに扮しての漫談をする、お笑い芸人のゆってぃさん。
「キョーレツゥ! チッチャイことは気にするな! それ、ワカチコ! ワカチコ!」
はゆってぃさんのネタの中でも有名ですね。
そんな、ゆってぃさんの本名は藤堂雄太。
「とーどーゆーた」という名義での活動も行っていたようです。
藤堂高虎の直系の子孫かどうかは定かではありませんが、
ゆってぃさん本人も、自身のブログでそれを公表しています。
【ゆってぃさんのブログ】
ワカチコブログ https://ameblo.jp/yuta-todo/entry-11165879040.html
現在の藤堂家の当主「藤堂高正さん」
現在、藤堂高正さんが藤堂家の15代当主を務めています。
実は高正さんは、藤堂高虎の直系子孫ではなく、支藩の子孫であるようです。
伊勢津藩の初代藩主だった藤堂高虎の長男の高次が跡を継ぎましたが、その跡を継いだ高久には実子がおらず、弟の高睦に家督を譲ったそうです。
しかし高睦も実子はなく、家督を支藩の久居藩の高次の孫にあたる高敏が継ぎました。
高虎の直系子孫が伊勢津藩の家督を継いだのは、この5代・高敏までとなります。
その後も藤堂高虎の子孫は続き、現在の藤堂高正さんへと続いています。
藤堂高虎の家系図を簡単に解説
藤堂高虎に子供は何人いた?
藤堂高虎は、正室・久芳院との間には子供に恵まれませんでした。
藤堂高虎は、側室・まつとの間に2男1女。別の側室との間に女子が3人。
また、男子1人と女子2人の養子がおり、合わせて9人(3男6女)の子供がいたようです。
【藤堂高虎と側室・まつとの子】
- 長男:藤堂高次 1602年(慶長6年閏)1月4日~1676年(延宝4年)12月20日
- 次男:藤堂高重 生没年月日不明
- 長女:氏名不明(蒲生忠郷正室)生没年月日不明
【藤堂高虎と別の側室との子】
- 女:氏名不明(藤堂忠季室)生没年月日不明
- 女:氏名不明(岡部桂賢室)生没年月日不明
- 女:氏名不明(生駒正俊室) 生没年月日不明
【藤堂高虎が迎えた養子】
- 男:藤堂高吉(丹羽長秀の三男) 1579年(天正7年)6月24日~1670年(寛文10年)8月31日
- 女:氏名不明 織田信清の娘(藤堂高刑室)
- 女:氏名不明 藤堂嘉晴の娘(小堀政一室)
藤堂高虎は愛妻家だった?
藤堂高虎は、大変愛妻家で妻をとても愛していたと言われています。
妻の名は「久芳院」と言い、一色義直の娘と言われています。
藤堂高虎は1581年(大正9年)、豊臣秀長に従い但馬征伐に赴いた際、丹後国治めていた一色家の一族だった義直の忘れ形見で、香住中野村の農家に身を寄せていた久芳院を娶りました
夫婦仲は非常に良かったのですが、久芳院との間には子供に恵まれなかったといいます。
周囲は側室を迎えることを勧めますが、愛妻家だった藤堂高虎はそれを拒み続けたそうです。
しかし、跡継ぎができないのが問題となり、正室・久芳院の勧めで、側室を迎えたいわれています。
正室・久芳院を心から愛し、側室を拒み続けた藤堂高虎と、自分の立場より夫の武将としての立場を案じていた久芳院の間にはとてつもなく深い愛と絆があったといえるでしょう。
藤堂高虎と名張藤堂家との関係は?
藤堂高虎は、正室・久芳院との間には子が恵まれず、名張藤堂家は養子としてとった丹羽長秀の三男・藤堂高吉が開いた家です。
藤堂高虎は、養子として迎えた高吉を後継者にしようと考えていましたが、1601年(慶長6年)に高次が生まれたため、後継者は実子の高次となり、養子の高吉は改めて藤堂高虎の家臣となりました。
高吉は、高虎の死後には高次の家臣として仕えるようになります。
1635年(寛永12年)松平定房が今治へ移封されることとなり領地替えが行われ、藤堂家には新たに伊勢多気郡・飯野郡内2万石が替地として与えられ、そこが高吉の所領となります。
しかし翌年、高次の命により更に伊賀名張に移封され、名張藤堂家の祖となりました。
藤堂高虎から家督を継いだ高次は、高吉の存在を危険視し、幕府に対して高吉を藤堂本家から独立した大名に取り立てようというと名張移封をさせたと言われています。
まとめ:藤堂高虎の子孫は現在も続いている。ゆってぃも末裔だった
築城の名手として有名な藤堂高虎の子孫は、現在でも続いていました。
今回の内容をまとめる、
- 藤堂高虎の子孫は現在も続いている
- 芸人のゆってぃさん、ボートレーサーの藤堂里香さんも藤堂高虎の子孫
- 高虎の直系血筋は5代・高敏まで
- 家督を継がせようと養子に迎えた藤堂高吉は、名張藤堂家の祖となった
- 現藤堂家の15代当主の藤堂高正さんは、 藤堂高虎の直系子孫ではなく、支藩の子孫である
ゆってぃさんが、公式ブログで先祖と対面と書いている記事を見ると、過去から繋がる命に感謝していこうと感じますね。