徳川綱吉の身長は124cm?病気だった?徳川歴代将軍の身長も低かった?

徳川綱吉の身長は124cm?病気だった?徳川歴代将軍の身長も低かった?

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徳川綱吉(とくがわつなよし)は、江戸幕府5代将軍です。「生類憐みの令」を出した将軍として有名ですね。

そんな徳川綱吉の身長は、なんと124cmだったといわれています。
124cmといえば、小学校1〜2年生くらいの身長です。
徳川幕府での最高職である、将軍の身長が124cmって、、、意外ですよね。

今回は、徳川綱吉の身長は本当に124cm程度だったのか?それは病気によるものだったのか?また、江戸時代の平均身長や、徳川幕府の歴代将軍の身長についても解説していきます。

徳川綱吉の身長は124cmってほんと?

徳川幕府の5代目将軍である、徳川綱吉の身長は、124cmだったとの説が存在しています。124cmは、現代では8歳男子の平均身長と同じくらいです。

本当に徳川綱吉の身長は、現代の小学校2年生と同じくらいの身長だったのでしょうか?
実際のところ、徳川綱吉の実際の身長が何cmだったのか明らかになっていません。

そのため、徳川綱吉は本当に124cmであったという説と、本当は低身長ではなかった説が存在しています。

【徳川綱吉の身長についての考察】

  • 徳川綱吉は、低身長だった説
    根拠:歴代将軍の身長に合わせて作られていると言われている位牌の大きさが、124cm。
  • 徳川綱吉は、低身長ではなかった説
    根拠:徳川綱吉が低身長であったことを記した文献は存在していない。

徳川綱吉の身長が低いのは病気?

徳川綱吉の身長は124cmの低身長であったとの説が存在します。
徳川綱吉の身長が低い説の大きな根拠となっているのは、徳川綱吉の位牌の大きさです。

愛知県岡崎市には、松平家・徳川将軍家の先祖代々の位牌を祀る「大樹寺だいじゅじ」というお寺があります。
そして、この位牌はそれぞれ、将軍の臨終時の身長と同じに作られているという説が存在しているのです。

150cm前後の位牌が立ち並ぶ中、徳川綱吉の位牌は124cmであったことから、徳川綱吉は低身長であると言われるようになりました。

徳川綱吉が低身長だった場合、徳川綱吉は「成長ホルモン分泌不全性低身長症(脳下垂体小人症)」であったと考えられています。

※成長ホルモン分泌不全性低身長症とは

身長が標準身長よりも著しく低い状態のことを複合的に表している疾患です。女子よりも男子に3倍表れやすいとされています。

【成長ホルモン分泌不全性低身長症とは??】

成長ホルモン分泌不全性低身長症は、脳下垂体からの成長ホルモンの分泌が低下したり分泌がされなかった場合に発生します。
現代では、後天性で脳腫瘍などの原因によるものが3分の1を占め、残りの3分の2は原因のはっきりしない特発性のものです。 特発性の場合、多くに逆子や難産の例が報告されており、低身長症とお産は関与があると考えられています。

なお現代では、早期に診断し治療することで、最終的にかなりの身長を獲得できることが分かっています。

徳川綱吉は突発性の成長ホルモン分泌不全性低身長症であったと考えられています。

徳川綱吉は当時の平均寿命を超える62歳まで生き、性格も、真面目で几帳面で日本の伝統芸能である「能」を非常に愛好している文化人でもあったとされています。
このことからも、徳川綱吉が低身長症だった場合、脳腫瘍などの後天的なものではなく、突発性の低身長症であったと考えられます。

いずれにせよ、脳下垂体の機能障害は、生殖に関するホルモンに影響を及ぼす場合があるといわれています。

つまり、低身長症は、徳川綱吉が世継ぎの男子を持てなかったことに影響したかもしれないわけです。

徳川綱吉には世継ぎの男子を持てなかったため、生類憐れみの令が生まれたといわれていますから、徳川綱吉の治世で有名な生類憐れみの令は、徳川綱吉が低身長であったゆえに作られたものといえるのかもしれません。

徳川綱吉は低身長ではない?アンチ綱吉の仕業?

徳川綱吉が低身長であるとの説に懐疑的な意見も存在します。

その理由は、印象に残りやすい身体的特徴にも関わらず、当時の公的な文書の中からは徳川綱吉が低身長であったという文献が存在していないからです。

何事も中途半端な事を極度に嫌う、真面目でストイックな性質ゆえに、在命中から嫌われることも多かった徳川綱吉。

低身長説はアンチ徳川綱吉の仕業ではないかというわけです。

しかしながら、公的な文書の中では最高権力者である将軍の身体的な特徴について述べることを、あえてしなかったとも考えられます。

同様の例として、豊臣秀吉を挙げることができます。

豊臣秀吉の右手の親指が2本あったことは、ルイス・フロイスらが述べているとの記録はありますが、公式の文書中には一切そのような記載はありません。

徳川綱吉に関して、不思議なほど記録が残っていないものがもう一つあります。

徳川綱吉が非常に愛好していたとされる日本の伝統芸能の「能」についての客観的評価です。

舞い始めると時間を忘れて没頭したといわれるほど愛好していた徳川綱吉の「能」の様子や腕前について、客観的に評価されたものが残されていないのです。

このことは、徳川綱吉の身体的特徴を書くことを避けるためにあえて記録しなかったのではないか?と考えることもできるかもしれません。

江戸時代の平均身長は何cmだった?

江戸時代庶民の平均は、男性が157cm。女性が145cmとされています。

現代の日本人の平均身長が、男性が171cmで、女性が158cmですので、比べると全体的にだいぶ低かったことがわかります。

江戸時代の庶民の平均身長が今よりも10cm以上小さいのは、四つ足の動物をあまり食べず、動物性のタンパク質が不足していたことが原因といわれています。

日本には肉食を禁忌とする考え方が古くからありましたが、徳川綱吉が発令した「生類憐みの令」も、当時の日本人が四つ足動物を食べない食文化の定着に関係があるとされています。

徳川綱吉の身長が124cm程度だったとするならば、そのことがきっかけで生類憐れみの令が発令され、結果として日本人全員の身長が伸びなかった。。。
なんとも皮肉な話ですね。

歴代徳川将軍の身長は低かった?

徳川綱吉以外の歴代の徳川将軍たちの身長はどのくらいだったのでしょうか?
大樹寺の位牌の高さが亡くなった時の将軍の身長と同じであるとして、歴代の徳川将軍の身長と、亡くなった年齢をまとめてみました。

【歴代徳川将軍の身長(位牌の高さ)】

  • 初代 :徳川家康(とくがわいえやす)…身長159.0cm;享年75歳
  • 2代目 :徳川秀忠(とくがわひでただ)…身長160.0cm;享年54歳
  • 3代目 :徳川家光(とくがわいえみつ)…身長157.0cm;享年48歳
  • 4代目 :徳川家綱(とくがわいえつな)…身長158.0cm;享年40歳
  • 5代目 :徳川綱吉(とくがわつなよし)…身長124.0cm;享年64歳
  • 6代目 :徳川家宣(とくがわいえのぶ)…身長156.0cm;享年51歳
  • 7代目 :徳川家継(とくがわいえつぐ)…身長135.0cm;享年8歳
  • 8代目 :徳川吉宗(とくがわよしむね)…身長155.5cm;享年68歳
  • 9代目 :徳川家重(とくがわいえしげ)…身長151.4cm;享年51歳
  • 10代目:徳川家治(とくがわいえはる)…身長153.5cm;享年50歳
  • 11代目:徳川家斉(とくがわいえなり)…身長156.6cm;享年56歳
  • 12代目:徳川家慶(とくがわいえよし)…身長153.5cm;享年61歳
  • 13代目:徳川家定(とくがわいえさだ)…身長149.9cm;享年35歳
  • 14代目:徳川家茂(とくがわいえもち)…身長151.6cm;享年21歳
  • 15代目:徳川慶喜(とくがわよしのぶ)…身長不明(位牌なし);享年75歳)

8歳で亡くなった7代目将軍の徳川家継を除いて、歴代徳川将軍の平均身長を計算すると、152.8cmになりました。

江戸の庶民の平均身長とほとんど変わらなかったことが分かります。

まとめ:徳川綱吉の身長は124cmくらいが有力。徳川歴代将軍の中でもダントツ低身長だった可能性が高い。

徳川綱吉の身長は、124cmくらいだったとの説が有力であるように思えました。
徳川歴代将軍の中でもダントツに低いですね。

<今回の内容をまとめると>

  • 徳川綱吉の身長は、成長ホルモンの分泌が低下する疾患だった可能性が高い
  • 徳川綱吉は、徳川歴代将軍の中でもとびぬけて低身長だった可能性が高い
  • 江戸時代の平均身長は、157cm
  • 歴代の徳川将軍の平均身長も152cmで庶民とあまり変わらなかった。

また、徳川幕府の歴代将軍たちの平均身長が江戸時代の庶民の平均身長とあまり変わらなかったことも驚きです。

江戸時代の庶民の平均身長が今よりも10cm以上小さいのは、江戸時代は動物性タンパク質をあまり摂取されなかったことで、栄養状態が今よりも良くなかったことが原因といわれています。

将軍といえば、庶民が食べられないような特別なものをたくさん食べているイメージがあったので、正直意外ですね。

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