豊臣秀吉の家紋は桐紋?日本政府も使ってる?秀吉の家紋とその意味徹底解説!

豊臣秀吉の家紋は桐紋?日本政府も使っている?秀吉の家紋とその意味徹底解説!

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織田信長の足軽から関白にまでなった成り上がりの天下人「豊臣秀吉」も自身の家紋を持っていました。
秀吉の家紋と言えば「桐紋」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか?
実は豊臣秀吉は、複数の家紋を使用していました。
今回は、豊臣秀吉が使っていた家紋とその意味、木下藤吉郎・羽柴秀吉・豊臣秀吉の時代に使っていた家紋もをご紹介します。

豊臣秀吉はどんな家紋を使っていた?

豊臣秀吉が使っていた家紋は4種類あります。

  • 木下藤吉郎の時に使っていた家紋は「沢瀉紋おもかだもん
  • 羽柴秀吉の時に使っていた家紋は「五三桐紋
  • 豊臣秀吉の時に使っていた家紋は「五七桐紋」「太閤桐紋

それぞれどのような家紋なのか、またどのような経緯で使い始めたのか見ていきましょう。

豊臣秀吉の家紋「桐紋」は五三桐?五七桐?

豊臣秀吉の家紋がつかってた桐紋は、五三桐と五七桐の両方の桐紋を使っていました。
五三桐は主君だった織田信長から賜り、五七桐は後陽成天皇から賜っています。

【豊臣秀吉は、五三桐紋を織田信長から賜った】
織田信長は、室町幕府最後の将軍 第15代足利義昭あしかがよしあきが皇室から賜った桐紋を与えられています。
その織田信長から豊臣秀吉へ桐紋が与えられ、秀吉は五三桐の紋を使うようになりました。
この五三の桐紋は三枚の桐の葉があしらわれており、葉の上に3本の花序(花の配列)が直立しているデザインが一般的です。
五三桐とは花序についている花の数が3-5-3のものを言います。


【豊臣秀吉は、五七桐紋を後陽成天皇から賜った】
その後、本能寺の変で織田信長が討たれ、秀吉は天下統一に向け勢いを増し、その中で自らの地位を権威づけるため朝廷に接近していきます。
後陽成天皇も豊臣秀吉と協調することで朝廷の力を再建したいと考えていました。秀吉と後陽成天皇の利害が一致したとも言えます。
そして、秀吉は後陽成天皇から豊臣の姓」と「五七桐紋を賜りました。
この桐紋は、花の数が5-7-5の五七桐の家紋です。

ちなみに五七桐は五三桐よりも格が高いとされています。
豊臣秀吉は、織田信長の足軽から上り詰め、ついに天皇から家紋を賜る地位に上り詰めたのです。
こうして秀吉は桐紋を使うようになっていきました。

桐紋は文字通りキリ(桐)の葉や花をモチーフにした紋章のことを言います。
桐はもともと格調高い木とされており、枕草子では鳳凰の棲む木として描かれています。
この桐紋、元々は皇室専用の家紋で、皇族が着る衣などにも施されるようになりました。
そして桐紋は戦国時代に、天皇から武士へ桐紋が与えられるようになり、徐々に武士の間でも桐紋を家紋として使用する者たちが増えていきました。
古くは後醍醐天皇が鎌倉幕府討幕の褒美として、足利尊氏に桐紋を与えた事例が有名です。

豊臣秀吉の家紋「太閤桐紋」

豊臣秀吉の出生については、農民、戸籍もないような身分の低い人民など様々な説があります。いずれにせよ名家の出身ではなく、家紋などないような家の出でした。

そんなコンプレックスもあり、秀吉は「太閤桐紋」という、自分だけが使える家紋を作り出しました。
太閤桐紋はシンプルなデザインで、他の桐紋とははっきりと違いが判るものになっています。シンプルながら全く違う桐紋を使うことで、特別感を演出したのです。

秀吉はもともと、織田信長の足軽として務め始め、本能寺の変の後に天下を統一し、後陽成天皇から豊臣の姓と五七桐の家紋を賜るまでになりましたが、他の武士のように家や親族による後ろ盾があったわけではありません。まさに裸一貫から成り上がったのです。
秀吉は、身分の高い自分が武将に格式高い桐紋を与えることで自分の権力を誇示し、仲間を増やそうとし考えたのです。
しかしあまりに多くの武将に桐紋を与えてしまったため五七桐や五三桐の特別感が薄れてしまったため、秀吉のみが使える太閤桐紋を開発したとも考えられています。

羽柴秀吉の時はどんな家紋を使っていた?

秀吉は当初、今川義元の家臣である松下之綱に仕えていました。
この時は木下藤吉郎と名乗っており、「沢瀉紋」を使っていたとされています。
これは秀吉の妻である寧々ねねの実家である浅野家が使っていた家紋が沢瀉紋であったためという説があります。

沢瀉紋は沢瀉という水辺に生える植物をモチーフとしたデザインです。
上を向く葉が槍のように見え、勝ちにつながるというイメージから縁起がいいとされていました。

豊臣秀吉の家紋は、天皇家や日本政府が使用している紋章と同じ?

豊臣秀吉が使用していた五七桐紋を見たことがあるかたも多いのではないでしょうか?五七桐紋は、現代でも首相の記者会見の時に使う演台などに使用されています。500円硬貨にも桐が描かれています。

なぜ、豊臣秀吉が使用している五七桐紋を、日本政府が五七桐を使っているのでしょうか。
その理由は首相官邸のHPに記載されています。
そもそも桐は天皇のお召しものなどに使用されており、一説には嵯峨天皇(786~842年)のころから皇族に使われていたとされています。
時を経て、明治政府は天皇が任命した官吏の礼服に五七桐を紋章として使うようになりました。
このような流れがあり、現代でも首相官邸で五七桐が使われているのです。
五七桐のほか、五三桐は皇宮警察本部や法務省で使われています。

豊臣秀吉が家紋を下賜した大名たち

豊臣秀吉は後陽成天皇から五七桐の家紋を与えられました。
そして、その桐紋は秀吉の手によって数々の大名に下賜されています。

今回は秀吉から桐紋を賜った代表的な大名を紹介します。
【豊臣秀吉が桐紋を下賜した大名たち】

前田利家まえだとしいえ 1539年(天文7年)~1599年(慶長4年)
 五大老の一人であり、秀吉から信頼されていました。

伊達政宗だてまさむね 1567年(永禄10年)~1636年(寛永13年)
 仙台藩の初代藩主で隻眼の武将として有名です。

福島正則ふくしままさのり 1561年(永禄4年)~1624年(寛永元年)
 賤ヶ岳の七本槍の一人であり、幼いころから秀吉に仕えていました。

仙石秀久せんごくひでひさ 1552年(天文21年)~1614年(慶長19年)
 秀吉の最古参の家臣と言われ、家臣の中でも最も早く大名に出世しました。

秀吉は、天皇から賜った桐紋を自分の部下たちに下賜することで、自分の権力を誇示し、仲間を増やすという目的を持っていたといわれています。

まとめ:豊臣秀吉は家紋にこだわっていて、自ら「太閤紋」をデザインした。

豊臣秀吉は、自分の権力を誇示し、仲間を手段としても家紋を使っていました。
また、自ら新しい太閤桐紋をデザインしたことからも、家紋に対するこだわりが見て取れますね。
今回の内容をまとめると

  • 木下藤吉郎時代には沢瀉紋を使っていた
  • 織田信長から五三桐の家紋を与えられた
  • 後陽成天皇から五七桐の家紋を与えられた
  • 秀吉は家臣の大名にも桐紋を与えていた
  • 家臣に与えた桐紋と差別化を図るため太閤桐の家紋を作り出した
  • 桐紋は現代も日本政府が使用している

秀吉も使っていた桐紋が、現代も日本政府使用していると知ったら、秀吉も驚くのではないでしょうか。

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