本阿弥光悦の子孫は現在まで続いている?家系図で解説!子孫にはガラス職人も?
本阿弥光悦(1558(永禄元年)〜1637(寛永14))は、江戸時代初期に活躍した数奇者です。
書・陶芸・漆芸・能楽・茶の湯などの活動でその名を残しており、後世の日本文化に大きな影響を与えました。
そんな本阿弥光悦の子孫は現在まで続いているのでしょうか?
この記事では、本阿弥光悦の家系図を見ながら、その子孫について簡単に解説していきます。
目次
本阿弥光悦の家系図をわかりやすく解説!
本阿弥光悦の家族構成は?
【本阿弥光悦のプロフィール】
本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)1558年(永禄元年)〜1637年(寛永14年)享年:81歳
出身地:京都
父:本阿弥光二/母:妙秀
妻:妙得
子:徳善
養子:光瑳
本阿弥光悦は、1558年に京都で本阿弥光二と妙秀の長男として誕生します。
本阿弥本家8代目・本阿弥光刹の娘・妙得を妻として迎えましたが、1601年には死別してしまいます。
その後、はっきりと名前は判明していませんが、継室を迎えたそうです。
子供は、嫡男・徳善の1人のみでしたが、残念ながら夭折してしまいます。
そこで片岡垂信入道の子で、本阿弥光悦の従兄弟である次郎左衛門が養子となり、本阿弥光瑳として後を継ぐこととなりました。
本阿弥光悦の父の代で本家と分家に分かれた?
本阿弥光悦は、実は本阿弥本家ではなく、分家の出身となります。
それは、父・本阿弥光二の代で本家から分家したことに由来します。
本阿弥本家7代目・本阿弥光心には、はじめ嫡子がなかったため、養子を取ることにしました。
それが、本阿弥光二でした。
本阿弥光二は、本阿弥光心の娘・妙秀と結婚し、婿養子として本阿弥家に入りますが、その後、本阿弥光心は相次いで男子を授かるのです。
そこで、本阿弥光二は、自ら本家を退き、分家を立てました。
このとき、本家は本阿弥光心の嫡男の光刹が継ぎましたが、その弟の光意は、本阿弥光二同様に分家を立てています。
本阿弥光悦の子孫は現在まで続いている?
本阿弥光悦の子供は、先程もお伝えしたように徳善1人のみでした。
それでは、その子孫は現在まで続いているのでしょうか?
ここでは、本阿弥光悦の子孫について簡単に解説していきます。
本阿弥光悦の子孫は養子をもらいながら現在まで続いている
本阿弥光悦の子は、徳善1人のみです。
しかし、その唯一の子供は夭折してしまい、本阿弥光悦の実子はいなくなってしまいます。
そこで、本阿弥光悦の従兄弟である本阿弥光瑳が養子となり、後を継ぐこととなります。
このことから、本阿弥光悦の実の子孫というものは途絶えてしまっているのですが、本阿弥光瑳は従兄弟ですから同じ血が流れています。
このようにして、本阿弥光悦の直系の子孫は、本阿弥光瑳以降も実子がいなかった場合は、本阿弥本家などから養子をもらうなどして、現在まで続いていっているのです。
本阿弥光悦の直系の子孫にはガラス職人がいる?
養子をもらいながら続いていった本阿弥光悦の直系の子孫ですが、実は現在活躍されてらっしゃる人がいます。
それは、17代目本阿弥の本阿弥匠さんです。
本阿弥匠さんは、南房総に工房を構える「GLASS FISH」の代表でガラス工芸作家として活躍されてらっしゃいます。
本阿弥光悦の子孫であると公言しており、その子孫として日本の自然や文化を尊重しながらガラスと向き合い、数々の作品を残していっているようです。
本阿弥家の子孫には人間国宝がいる?
実は、本阿弥家の子孫の中には、人間国宝が存在しています。
本阿弥光悦の直系の子孫ではないのですが、本阿弥光二と共に分家した本阿弥光意の子孫にいるのです。
本阿弥家は、元々刀剣の鑑定や研磨、浄拭(ぬぐい)を家業としており、人間国宝に認定されてらっしゃる方々も刀剣研磨界から選出されています。
人間国宝に認定されていらっしゃる方々は以下の通りです。
- 藤代松雄
- 永山光幹
- 小野光敬
- 本阿彌日州
まとめ:本阿弥光悦の子孫にはその才能を受け継いだガラス職人がいる
本阿弥光悦の子供は1人しかいませんでしたが、夭折してしまい、その後は本阿弥光悦の従兄弟で養子となった本阿弥光瑳が継ぎました。その後も、実子がいないときは養子を迎えるなどして、本阿弥光悦の直系の子孫は現在まで続いています。
今回の内容をまとめると、
- 本阿弥光悦の子供は1人いたが夭折してしまった
- 本阿弥光悦の従兄弟である本阿弥光瑳が養子となり後を継いだ
- 本阿弥光悦の直系の子孫は養子を迎えながら現在まで続いている
- その子孫にはガラス職人がいる
本阿弥光悦は様々な分野で活躍したマルチクリエーターでした。
その子孫がクリエーターとして活躍していらっしゃるのは、その血がしっかりと受け継がれている証拠と言っても過言ではないのかもしれませんね。