土方歳三に妻はいた?独身だった?子供は?モテエピソードなど簡単に解説!

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土方歳三(1835(天保6)〜1869(明治2))は、幕末期に活躍した幕臣です。
新選組の副長として局長・近藤勇を支え、戊辰戦争では旧幕府軍側指揮官として奮戦しました。
現代でも、小説や漫画、ドラマ、ゲームなど幅広いジャンルで取り上げられているため、知っている人も多いでしょう。

また、2021年に公開された映画『燃えよ剣』では、岡田准一さんが演じ注目を浴びました。

土方歳三は非常にモテていたという話がありますが、妻はいたのでしょうか?
この記事では、土方歳三のモテエピソードや、妻・子供について簡単に解説していきます。

土方歳三に妻はいた?独身だった?

当時、多くの女性の心を掴んでいたと言われている土方歳三ですが、妻はいたのでしょうか?
それとも独身だったのでしょうか?
ここでは、土方歳三の結婚事情について簡単に解説していきます。

土方歳三には兄から紹介された婚約者がいた?

土方歳三には、実は上洛前に婚約者がいました。そのお相手は、琴という女性です。

琴は、内藤新宿からほど近い戸塚村の三味線屋の看板娘で、近所でも評判の美人でした。そして、琴は美人というだけではなく、調律をさせれば腕がよく、三味線を弾かせても上手く、長唄などは名取になるほどの腕前でした。

そのような、完璧な琴がどうして土方歳三の婚約者になったのかというと、、
それは土方歳三のお兄さんが関係していました。

土方家の長男である為次郎は、俳句や浄瑠璃を嗜む風流人で、琴の三味線屋の常連でした。

何度も店に通ううちに琴の存在を知り、大層気に入り、可愛がっていた末弟・歳三と結婚させようと思い至ったわけです。

その長男の思いつきに、兄弟たちはとても盛り上がり、本人たちを他所に、2人は挙式寸前のところまで話が進んでいましたが、2人の結婚は結局行われることはありませんでした。

土方歳三は結婚よりも夢を優先させた?

挙式寸前まで行った土方歳三と琴ですが、どうして結婚しなかったのでしょうか?

その理由は、土方歳三が結婚することよりも、自分の夢を優先させた結果だったと言われています。
土方歳三は結婚話で盛り上がっていた兄弟たちにこう言ったそうです。

「この天下多事の際、何か一事業を遂げて名を挙げたい。よって、なおしばらくは、私を自由の身にしておいてくれ」

この歳三の大志を聞いた兄弟たちは、とても感心しました。

そして、「それならば仕方ない」

と琴との結婚はひとまず先延ばしにして、2人を婚約者ということにしました。

その後、歳三は夢のために上洛し、2人は離れ離れになってしまいます。

離れることがわかっていても、婚約という形を承諾したのは、歳三が少しでも琴に気があったということの現れなのかもしれません。

結局2人は結ばれることはなく、土方歳三は生涯独身ということになりました。

土方歳三に子供はいた?子孫は?

土方歳三は結婚はしておらず、妻もいませんでした。

それでは、子供はいたのでしょうか?
また、子孫はいるのでしょうか?

ここでは、土方歳三の子供や子孫について簡単に解説していきます。

土方歳三は芸妓との間に子供をもうけた?

婚約者・琴との間に子供はいませんでした。

しかし、実は土方歳三には子供がいたのです。

それは、京都北野上七軒町の野菊という芸妓さんとの間にできた子供でした。

野菊は歳三に身請けされ、女の子を産みました。

そのため、土方歳三は婚約者との間には子供はいませんでしたが、野菊との間に子供がいたということになります。

女性関係は派手だったとされている土方歳三ですが、その他の女性との間には子供は生まれていなかったということですから、そのあたりはしっかりとしていたのでしょうね。

土方歳三の子孫はいない?

先程野菊との間に子供がいたという話をしました。

しかし、この子供は夭折してしまったため、土方歳三の子供はいなくなってしまいました。

婚約者の琴とは京と江戸で離れて暮らしていたため子供はできませんでしたし、野菊もこの子供が夭折してしまって以降、早世してしまったため、土方歳三と会うことはなかったそうです。

そのため、土方歳三には跡を継ぐような子供はおらず、子孫も続くことはありませんでした。

土方歳三に子孫はいないが、土方家の子孫はいる?

土方歳三は子孫を残すことはできませんでしたが、土方家は子孫が現在まで続いています。

それは、土方家の三男であり、家督を継いだ喜六の子孫たちということになります。

土方歳三のお兄さんの子孫たちということですね。

喜六は妻との間に六男一女を授かりました。その後子孫は続いていき、喜六から五代目となる佑さんが土方歳三資料館を建設しますが、公開直前でお亡くなりになります。

その後、佑さんの妻の陽子さんが土方歳三資料館の館長を務め上げ、現在では佑さんの三女である愛さんが館長を務めていらっしゃいます。

土方歳三はモテモテだった?

土方歳三はとてもモテモテだったというエピソードがいくつもあります。
新撰組 鬼の副長とまで言われ、厳しいイメージのある土方歳三ですが、どのような女性関係をもっていたのでしょうか?ここでは、土方歳三のモテエピソードを簡単に解説していきます。

土方歳三は17歳で年上女性を妊娠させた?

土方歳三は若いときから女性からモテていました。

そのため、琴と婚約する前にも女性と関係を持つこともあったようです。

そして、なんと17歳のときに奉公先の年上女性を妊娠させてしまうのです。
当時の日本の性文化は、現代以上に自由奔放でした。
17歳という若さで妊娠させてしまった土方歳三は、相手の女性に結婚をせまられます。

土方歳三本人はその気になりかけますが、家族から大反対され、結局別れることになってしまいました。

このとき、周囲の大人は「相手のところに乗り込んで談判してやる」と申し出てきました。

しかし、土方歳三はこれを押さえ、自分で問題にケリをつけに行ったのです。

自分で相手の家に行き、相手とその家族ときちんと話し合い、お金を渡してきっぱりと手を切るということをやってのけました。

お金はもちろん家の方で用意されたものでしたが、17歳でこれを自分で解決したということは、若い頃から誠意を持って人と付き合っており、行動力も人一倍あったと言えるでしょう。

土方歳三は自分宛てのラブレターを故郷に送っていた?

土方歳三のモテエピソードで驚かされるのが、ラブレターを故郷に送っていたという話です。

土方歳三は、自分を支援してくれていた小島鹿之助(こじましかのすけ)という人物に、度々自分がいかにモテモテなのかという手紙を送っていました。

手紙には、自分のことを好いてくれている芸妓の名前を書いていました。
しかし、それだけでは信憑性にかけると思ったのでしょうか?

なんと土方歳三は自分宛に送られてきたラブレターを綴じて「婦人恋冊」という一冊の本にして、それを鹿之介に送りつけたのです。

そして、その際に同封されていた手紙には、「報国の心ころわするゝ婦人哉」と書かれていたようです。意味としては、自分がモテすぎて国に尽くすことを忘れそうというもの。

このときの土方歳三はだいぶ浮かれていたのかもしれませんね。

まとめ:土方歳三は生涯独身であったが婚約者はいた

土方歳三は、自分の夢のために結婚はしませんでした。そのため兄から紹介された女性は、婚約者ということになりましたが、2人が結ばれることはなく、土方歳三はその生涯を独身で終えました。

今回の内容をまとめると、

  • 土方歳三は非常にイケメンでモテモテであった
  • 17歳のときに、年上女性を妊娠させたこともあった
  • 兄から紹介された女性と結婚の話も出たが、夢のために結婚は断った
  • その女性は婚約者となったが、2人が結ばれることはなかった
  • 芸妓さんとの間に子供もできたが、その子供は夭折してしまった
  • 歳三の子供は夭折してしまったため、子孫はいない

江戸と京で離れて暮らしていた土方歳三と琴は、実は一度だけ再会したことがありました。

それは、土方歳三が東帰したときのこと。

その際、再び上洛するために去っていく歳三の背中に向けて琴は

「おからだにお気をつけて…」とだけ声をかけたそうです。

それが2人の今生の別れとなってしまいました。

琴が一途に土方歳三のことを思い続けていたのかと考えると切ないですね。

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