勝海舟の子孫は現在も続いてる?家系図で簡単に解説!アメリカにもいるって本当?

勝海舟の子孫は現在も続いてる?家系図で簡単に解説!アメリカにもいるって本当?

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江戸城を無血開城に導き、江戸の町を戦火から救った勝海舟。

勝海舟は貧しい家庭に生まれながらも、努力を重ねて幕府にその力を見出され役人になりました。

そして、江戸幕府が倒れた後も明治新政府で数々の要職を歴任しました。

そんな努力の人、勝海舟の子孫は現代にも続いているのでしょうか。

今回は勝海舟の子孫は現在も続いているのか?家系図を見ながら簡単に解説していきます。

勝海舟の家族構成はどうだった?

勝海舟は、1823年(文政6年)に、勝子吉と信の間に産まれました。

兄弟は当時としては珍しく、妹が一人です。

妻は、正室の民子。そして5人の妾との間に9人の子供をもうけました。

勝海舟の家系図

勝海舟の家系図を確認していきましょう。

勝海舟の家系図

勝海舟の子孫たちは現在も続いている?


勝海舟には子供が9人いました。

幼いうちに亡くなった子供もいますが、
長男・小鹿の子供(海舟の孫)伊予子は徳川慶喜の息子である精と結婚しており、徳川家とのつながりもあります。

この伊予子から続く系譜が勝海舟の直系であり、5代目当主の勝芳邦さんは、2016年に亡くなっています。

また、勝海舟の三女である逸子さんのひ孫にあたる「高山みな子」さんは、勝海舟の子孫と確認されており、現在「勝海舟の会」顧問をされています。

勝海舟の子供たち

勝海舟の、子供たちについて見ていきましょう。

【勝海舟の子供たち】

  • (長女)内田夢:1846年(弘化3年) ~ ?)
  • (次女)疋田孝子:1849年(嘉永2年)~ ?)
  • (長男)勝小鹿:1852年(嘉永5年)~1892年(明治25年)
  • (次男)勝四郎:1854年(嘉永6年)~1866年(慶応元年)
  • (三男)梶梅太郎:1864年(文久3年)~1925年(大正14年)
  • (三女)逸子(詳細不明)
  • (四女)八重(詳細不明)
  • (四男)岡田義徴
  • (五女)妙子(詳細不明)

若くして亡くなった子供もいますが、4男5女と結構な大家族ですね。

勝海舟の子孫はアメリカにもいるって本当?

勝海舟の三男 梶梅太郎は、アメリカ人のクララ・ホイットニーと結婚し6人の子供をもうけています。

勝海舟が亡くなった翌年(1900年(明治33年))に、クララと子供達だけで渡米しアメリカで暮らしましたが、末娘の勇(ヒルダ)さんは、1974年に来日しました。

残念ながら、勝海舟から見てひ孫にあたる子供たちがいたかどうか、詳細は不明です。

【勝海舟の孫たち】

  • 梅久(ウォルター):1886年(明治19年)~1977年(昭和52年)
  • 和気(アディライン):1887年(明治20年)~1959年’昭和34年)
  • 喜乃(ウィニフレッド):1889年(明治22年~1957年(昭和32年)
  • 幸(メーベル):1890年(明治23年)~1965年(昭和40年)
  • 礼(エルザ):1892年(明治25年)~1963年(昭和38年)
  • 勇(ヒルダ):1896年(明治29年)~1997年(平成9年)

勝海舟の玄孫、フリーライターの高山みな子さん

勝海舟の玄孫にあたるフリーライターの高山みな子さんは、海舟の三女・逸子さんのひ孫です。

「鎌倉谷戸の工房」というガラス彫刻の工房を持つ工芸家でもあります。

小学生の頃、学校の授業で咸臨丸の船長が勝海舟だったことを親御さんに話したところ、自身がその勝海舟の子孫であることを知ったそうです。

その後、勝海舟について学び、今では勝海舟に関する講演なども行っています。

勝海舟の子孫もいる?「咸臨丸子孫の会」

咸臨丸子孫の会は、咸臨丸の乗組員の子孫を「正会員」として組織された会で、咸臨丸ゆかりの地の訪問や講演会活動、資料の収集などの活動を行っています。

この咸臨丸子孫の会は海舟の玄孫である、フリーライターの高山みな子さんも行事に参加しています。

その他にも軍艦奉行の木村芥舟や、航海長の小野友五の末裔たちも、会に参加して交流を続けています。

時代を経ても、先祖の繋がりで集まるなんて、ロマンがありますね。

勝海舟の家族にまつわるエピソード

勝海舟は江戸城の無血開城を成し遂げたり、明治新政府でも要職を務めたりと様々なことを成し遂げた人物ですが、その家族もなかなかに面白いエピソードを持っています。

ここでは、勝海舟の家族にまつわるエピソードを見ていきましょう。

勝海舟の先祖は一代で巨万の富を築いた

勝海舟の曽祖父・米山検校は生まれつき目が見えませんでしたが、鍼医となり一代で富を築きました。

検校は越後国(現在の新潟県)の貧しい農家の家庭出身で、江戸に出てきた際に吹雪にあい、行き倒れて医者の石坂宗哲という人物に助けられたそうです。

この出会いがきっかけで、検校は鍼医となり出世のチャンスをつかみました。

一代で富を築いた検校は、勝海舟と同じく努力の人だったのでしょう。

勝海舟の父は、自由奔放だった

勝海舟の父・小吉は非常に自由奔放で、酒や博打をやらない代わりに吉原遊びや喧嘩が好きでした。

妻以外の女性を好きになり、妻にそのことを伝えると
「私が自害するからその女性を迎え入れればいい」
と言われ、それを真に受けたのか、小吉は自害用の短刀を渡して遊びに出ていったそうです。

現代でそんな行動をとれば非難の嵐ですが、おそらく江戸時代でも、ほめられた行動ではないでしょうね。

勝海舟の嫁は、同じ墓に入るのを断固拒否した??

勝海舟にも破天荒だった父の小吉の性格が受け継がれた部分があるのか、妻・民子のほかに5人の妾がいました。

しかも、勝海舟は妾とその子供たちを自宅に住まわせ、妻である民子に世話をさせています。

そんな非常識なお願いをされた民子ですが、妾の子供と自分の子供を分け隔てなく育て屋敷の人々から「おたみさま」と呼ばれ慕われていたそうです。

しかし、さすがのおたみさまでも勝海舟の非常識さには怒っていたらしく
「勝のそばに埋めてくださるな。」との遺言を残しています。

しかし、本人の遺志は尊重されず、勝海舟の隣に埋葬されました。

夫婦でしたから、隣に埋葬されるのは仕方ないことかもしれませんが、無念ですね。。。

まとめ:勝海舟の子孫は現在も続いており、咸臨丸子孫の会でも交流を深めている

勝海舟は江戸幕府の最後の交渉人として活躍し、幕臣でありながら明治新政府でも要職に就いた人物です。

貧しい家庭に生まれながらも、努力を重ねてチャンスをつかんだ堅実な人物というイメージがあるかもしれませんが、妾が沢山いたり、家族も面白いエピソードを持っていたり、意外な一面があります。

今回の記事をまとめると

  • 勝海舟には正妻と5人の妾、合計9人の子供がいた
  • ・勝海舟の子孫は現在にも続いている
  • 勝海舟の玄孫、フリーライターの高山みな子さんは、現在も勝海舟についての講演を行っている
  • 勝海舟の子孫はアメリカにいる可能性が高い
  • 咸臨丸に乗船していた人々の子孫が集まり「咸臨丸子孫の会」をつくって子孫が交流している。
  • 勝海舟の妻・民子は、勝海舟の近くに埋葬してほしくないと遺言を残したが、隣に埋葬されてしまった

勝海舟は江戸城を無血開城したり、咸臨丸でアメリカに渡ったり歴史にその名を遺した人物ですが、その裏で、正妻に妾や妾の子供の世話をさせていた事に驚きますね。

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