牧野富太郎ゆかりの植物園を簡単に解説!どこにある?何がある?作られた理由は?
牧野富太郎(1862(文久2)〜1957(昭和32))は、「日本の植物学の父」の呼び名で知られている植物学者で、多数の新種の植物を発見し命名まで行った、近代植物分類学の権威でもあります。
2023年のNHKの朝ドラ『らんまん』の主人公・槙野万太郎のモデルとなったことでも話題になりました。
そんな牧野富太郎のゆかりの植物園が日本には存在しています。
それは、どこにあって、なぜ作られたのでしょうか?
この記事では、牧野富太郎ゆかりの植物園について簡単に解説していきます。
目次
牧野富太郎ゆかりの植物園はどこにある?
牧野富太郎は植物学者として、その生涯を植物に捧げました。
そんな牧野富太郎ゆかりの植物園が日本には存在しています。
その植物園はどこにあるのでしょうか?
ここでは、牧野富太郎ゆかりの植物園について簡単に解説していきます。
牧野富太郎ゆかりの植物園は高知と練馬に存在する?
牧野富太郎ゆかりの植物園は、日本には高知県と練馬区の2ヶ所存在しています。
・高知県立牧野植物園
住所:高知県高知市五台山4200-6
開園時間:9時〜17時(最終入園16時半)
入園料:一般:730円(高校生以下無料)
駐車場:有
・練馬区立牧野記念庭園
住所:東京都練馬区東大泉6丁目34番4号
開園時間:9時〜17時
入園料:無料
駐車場:障害者用駐車場が1台分のみ有
牧野富太郎ゆかりの植物園ではどんな植物が楽しめる?作られた理由は?
牧野富太郎ゆかりの植物園は、牧野富太郎の業績を顕彰するために作られました。
牧野富太郎の出身地である高知県と、晩年を過ごしていた居宅があった練馬区が、牧野富太郎の素晴らしさを広めるために開園したというわけですね。
そのため、植物園では、もちろん数多くの植物が楽しめるのですが、さらに牧野富太郎ゆかりの植物たちも多く楽しむことができます。
一例を挙げると、
- 牧野富太郎が日本で命名した最初の人物となった「ヤマトグサ」
- 牧野富太郎がこよなく愛した桜「仙台屋」
- 牧野富太郎が妻・壽衛に感謝して命名した「スエコザサ」
以上のような牧野富太郎ゆかりの植物を楽しむことができます。
牧野富太郎ゆかりの植物園を簡単に解説!
牧野富太郎ゆかりの植物園は、高知県と練馬区の2箇所に存在していました。
それぞれ、どのような特徴があるのでしょうか?
ここでは、牧野富太郎ゆかりの植物園の特徴について簡単に解説していきます。
高知県立牧野植物園
高知県立牧野植物園は、牧野富太郎の業績を顕彰するために、牧野富太郎の逝去翌年の1958年(昭和33年)に開園しました。
五台山の地形の起伏を活かした約8haの園地には、牧野富太郎ゆかりの野生植物や園芸植物など3000種類以上が四季を彩っており、四国唯一の植物園として親しまれています。
また、年次を重ねるごとに施設も拡張されており、
- 1999年(平成11年):牧野富太郎記念館を新設
- 2008年(平成20年):50周年記念庭園が誕生
- 2010年(平成22年):温室がリニューアル
- 2019年(平成31年):「こんこん山広場」「ふむふむ広場」を拡張整備し、4K映像を鑑賞できるシアターを開設
- 2023年(令和5年):植物研究交流センターがオープン
このように、現在に至るまで開園から半世紀超えてもなお、牧野富太郎の素晴らしさを伝え、植物の保全・研究・教育普及・憩いの場全てを備えた総合植物園として歩み続けていらっしゃいます。
練馬区立牧野記念庭園
練馬区牧野記念庭園は、牧野富太郎の業績を顕彰するために、1958年(昭和33年)に開園しました。
ここは、元々晩年の牧野富太郎の自宅であり、満94歳の生涯を終えるまで、牧野富太郎は庭を「我が植物園」としてこよなく大切にしていました。
庭園内には、約300種類の草木類が生育しており、それらの中には、スエコザサやサクラ「仙台屋」、ヘラノキなどの珍しい種類の植物も数多くあり、学問的にも貴重な場所として評価されています。
2008年(平成20年)に老朽化による改修工事のため一時休園していましたが、2010年(平成22年)にリニューアルオープンしました。
さらに、2023年(令和5年)には、書屋展示室にて、牧野富太郎が実際に使用していた書斎と書庫に当時の様子を再現する展示がオープンされました。
また、牧野富太郎の次女・鶴代の孫である牧野一浡さんが、2010年(平成22年)より学芸員として運営に携わっています。
牧野富太郎は何をした人?
【牧野富太郎のプロフィール】
牧野富太郎(まきのとみたろう)1862年(文久2年)〜1957年(昭和32年) 享年:94歳
出身地:土佐国(現在の高知県)
父:牧野佐平 / 母:久壽
祖母:浪子
妻:壽衛、猶
子:園子、香代、延代、鶴代、春世、百世、勝世、巳代、益代、富美代、玉代、富代
牧野富太郎は、1862年(文久2年)に土佐国佐川村(現在の高知県高岡郡佐川町)で、近隣から「佐川の岸屋」と呼ばれた商家と酒造業を営む裕福な家に生まれます。
しかし、3歳で父を、5歳で母を、6歳で祖父を亡くしてしまいます。
そのため、牧野富太郎は、幼少期から祖母に育てられました。
その後、植物学に興味を持った牧野富太郎は、家のことを祖母や許嫁の猶に任せ、研究のために上京。
そして、そこで出会った壽衛に惚れて、2人は恋愛結婚することになります。
研究面に関しては、1889年(明治22年)に新種のヤマトグサに学名をつけ、国内において日本人が命名した最初の人物となります。
さらに、『日本植物志図篇』や、『大日本植物志』などを出版し、特に牧野富太郎の代表作である『牧野日本植物図鑑』は、現在まで改訂を重ね、植物図鑑として広く親しまれています。
まとめ:牧野富太郎ゆかりの植物園は、牧野富太郎の業績を顕彰するために開園された
牧野富太郎ゆかりの植物園は、高知県と練馬区の2ヶ所に存在していました。そして、それらはどちらも牧野富太郎の業績を顕彰するために開園され、現在まで施設として進化し続けながら牧野富太郎の素晴らしさを広めていました。
今回の内容をまとめると、
- 牧野富太郎ゆかりの植物園は高知県と練馬区の2ヶ所
- 牧野富太郎ゆかりの植物園では、牧野富太郎ゆかりの植物も数多く楽しめる
- 練馬区の牧野記念庭園は、晩年の牧野富太郎の自宅が元となっている
1人の人間が生涯をかけて研究した成果というものを、こうして形として残してくれているのは、研究者冥利に尽きるのではないでしょうか?
牧野富太郎の素晴らしさを感じるために、足を運んでみるのもいいかもしれません。