渋沢栄一の功績を簡単に解説!日本の資本主義が築いた、現代日本の基礎

渋沢栄一の功績!日本資本主義の父が築いた、現代日本の基礎

スポンサーリンク

「日本資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一は、近代日本の産業経済の礎を築き上げた人物です。2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公として、吉沢亮さんが演じることでも注目を集めている人物です。また、2024年から新1万円札の顔となる人物でもあります。
渋沢栄一は、生涯に500を超える企業の育成に携わりました。また、約600の社会公共事業や民間外交にも携わり、若者の教育にも尽力しました。
渋沢栄一が設立に関わった企業・団体・法律は、現代の日本でも重要な役割を担っているものばかりです。
今回は、国民一人一人が真の意味で独立独歩した日本を目指した男、渋沢栄一の功績を見ていきます。

渋沢栄一の功績を簡単に解説

幕臣から大蔵省官僚になり、その後は実業家・教育者・慈善家、これらの肩書きは全て渋沢栄一のものです。
渋沢栄一は多く事業に仕事に携わっているだけでなく、その仕事内容がどれも、超一級なものであることに驚きを隠せません。
ここでは、渋沢栄一の関わった仕事の中で、日本の近代化の基礎を築いた大蔵省官僚時代、500以上の会社設立・運営に携わった実業家としての一面、青年の育成に注力した教育者としての一面、社会事業に注力した慈善家としての一面をそれぞれみていきます。

【渋沢栄一の功績】
・大蔵省官僚としての渋沢栄一 …日本の近代化の基礎を築いた
・実業家としての渋沢栄一 …500以上の会社設立・運営に関わった
・教育者としての渋沢栄一 …教育や青年の育成に注力した
・慈善家としての渋沢栄一 …社会事業に注力した

渋沢栄一の功績は、日本の近代化の基礎を築いたこと

渋沢栄一は、1869年(明治2年)から1873年(明治6年)の間、大蔵省(現財務省)の官僚の仕事に就いていました。
渋沢栄一が完了として働き始めたのは、1867年(慶応3年)に起きた大政奉還からまだ間もない時期での就任でした。
渋沢栄一が大蔵省の官僚として働いていたこの3年半の間に、日本が近代国家へ躍進するうえで欠かせない法律や制度の多くが整備されました。

そして、その多くに渋沢栄一が関わっていたと言われています。
就任当時の渋沢栄一の年齢は29歳で、若い時から非常に優れた人物であったことがうかがえます。
具体的には、どのような法律や制度が整備されたのでしょうか。いくつかを挙げていきます。
【渋沢栄一が関わったと言われている制度など】

  • 度量衡の統一(長さ(度)・体積(量)・重さ(衡)の基準を定めた)
  • 簿記法の整備
  • 租税制度の導入
  • 郵便制度の導入
  • 国立銀行条例の制定

250年以上続いた、他国との交流をあまりしてこなかった江戸幕府から一転し、一気に近代化していくためには様々な制度を変更する必要があったのです。
それまで藩ごとにバラバラだった、会計や税制なども統一するために渋沢栄一が奔走していたのです。
上記であげたの一部ですが、渋沢栄一が関わったこの制度などは全て現代の日本でも必要不可欠なものですね。

渋沢栄一の功績は、500以上の会社設立・運営に関わったこと

渋沢栄一は、実業家として生涯で500以上の会社の設立・運営に関わりました。立ち上げた企業の分野も、銀行業や鉄道関連、製紙業など多岐にわたっています。

【渋沢栄一が設立や運営に関わった企業】

  • 第一国立銀行(現在:みずほ銀行)
  • 帝国ホテル
  • 日本鉄道(現在:JR東日本)
  • 東京瓦斯会社(現在:東京ガス)
  • 共同運輸会社(現在:日本郵船)
  • 田園都市株式会社(現在:東急電鉄、東急不動産)
  • 東京株式取引所(現在:東京証券取引所)
  • 抄紙会社(現在:王子製紙、日本製紙)
  • 大阪紡績株式会社(現在:東洋紡)
  • 東京海上保険会社(現在:東京海上日動)
  • 麒麟麦酒(現在:キリンホールディングス)
  • サッポロビール(現在:サッポロビールホールディングス)
  • 秩父セメント(現在:太平洋セメント)
  • 畿内電気鉄道株式会社(現在:秩父鉄道株式会社)
  • 澁澤倉庫

上記は、渋沢栄一が設立に関わった会社のほんの一部ですが、現代の日本においても経済を支えている大企業ばかりです。

また、渋沢栄一は独占することを嫌っていたといいます。
携わった会社が軌道に乗ると、信頼できる周囲の人物に経営を受け渡していたのです。そして、自分はまた新たな会社の設立・運営を行うのです。受け渡す際は、自分の利権もほとんど譲渡していたと言われています。

渋沢栄一の功績は、教育や青年の育成に注力したこと

渋沢栄一は、多くの教育機関を立ち上げています。
渋沢栄一が重要視していた教育の一つが、商業教育です。
学生は、簿記や英語などの実用性のある教科を学び、実際に経営者として企業運営を担える人材の育成を目指しました。
渋沢栄一は、
「国民一人一人が自発的により良くなろうと活動することが、国家の繁栄につながる」との信念を持っていました。
国や権力にただ従うのではなく、一人一人が気力を充実させ、己の力で発展する覚悟が必要であるとの考えです。

当時、大学に行ける人はほんの一部でしたが、渋沢栄一はこのような信念のもと、教育の裾野を広げることで、会社で力を発揮できる人材をふやしたかったのではないかと思います。

また、渋沢栄一は女子教育にも注力していました。
当時の日本では、女性は家庭に入るのが常識とされていた時代です。
渋沢栄一が働く機会がほとんどない女性の教育に注力していたのはなぜでしょうか。
それは、家にいる母親が教養を持てば、子どもの教育レベルが自然と上がり、最終的に国力が向上すると考えていたようです。
晩年には女子の商業教育機関の設立にも携わり、女性の社会進出も推進しています。
渋沢栄一が教育へ注力した背景には、一貫して「日本の国力を上げたい」とのゆるぎない信念があったことが見てとれますね。

渋沢栄一の功績は、社会事業に注力したこと

渋沢栄一は社会貢献をする事業にも注力しました。
渋沢栄一が関与した社会事業の代表的なものが「養護院」です。
ここは貧しい生活を強いられている人たちや、親のいない子どもの保護を目的としてつくられた施設です。
渋沢栄一は34歳の時に養護院の運営事務に関与し、36歳の時に院長になります。それから亡くなるまでの56年もの間、院長を続けていました。
その他にも、救護法の制定を政府に陳謝し続けたり、小学校の建築費や公園の開墾費を寄付したり、洪水の被害者を支援したりしています。

渋沢栄一の功績は、様々な業界で現在も残っている

渋沢栄一が設立・運営に関わった企業は、現在の私たちの生活で欠かせない存在となっているものも少なくありません。
現在に残る、渋沢栄一の関与した企業を、各分野から抜粋して紹介します。

渋沢栄一の功績:日本初の銀行を設立し、金融の近代化に貢献した

渋沢栄一は大蔵省官僚を辞した後、自らが制定に関わった「国立銀行条例」を使って、日本で初めての銀行「第一国立銀行」を設立しました。1873年(明治6年)のことでした。
国立と名前に入っていますが、「国立銀行条例に基づいてつくられたひとつ目の銀行」という意味で、れっきとした民間銀行です。
この第一国立銀行は、現在はみずほ銀行として私たちの生活を支え続けています。

渋沢栄一の功績:日本のライフラインの基礎を作った

渋沢栄一は、1885年(明治18年)に「東京瓦斯とうきょうがす」という会社の設立に携わりました。現在は東京ガス株式会社として現存しています。
1972年(明治5年)神奈川県横浜市に、日本の街に初めてのガス灯が設置されました。
その後任意の経済団体「東京会議所」が引き受け、東京府内に500機のガス灯を設置することを決め、東京の夜の街を明るくしていきました。
しかし、1876年(明治9年)に東京会議所が廃止され、ガス事業は東京府の直轄になり東京瓦斯局が経営に当たりましたが、ガス料金が非常に割高で利用者は増えず赤字が続いていました。
そこで、民間で活躍していた渋沢栄一がその手腕を買われ嘱託として東京ガスの局長を任されました。
渋沢栄一は生産費の削減、ガスの普及に取り組み1884年(明治17年)に利益を計上させ、民間への払い下げを受け、東京瓦斯会社を設立。渋沢栄一自身が委員総代となり経営を行いました。
渋沢栄一は、その後1906年(明治39年)に、「名古屋瓦斯株式会社」(現在の東邦瓦斯株式会社)の発起人としても名を連ねます。また、九州の「門司瓦斯株式会社」の設立にも関わっています。

渋沢栄一は、日本の電力事業の発展にも大きく貢献しています。
1882年(明治15年)に、工部大学校(現在の東京大学工学部の前身)の学生らの提案を受け、「東京電灯会社」を設立し、火力発電所を建設して東京に電力を供給しました。

渋沢栄一の功績:製紙・印刷・絹織の基礎を作った

【製紙・印刷業】
渋沢栄一は、1873年(明治6年)に抄紙会社しょうしかいしゃを王子に設立しました。
この会社が現在の王子ホールディングス株式会社(王子製紙)です。
それまで輸入に頼っていた洋紙の国産化を企画したものです。
この会社の設立は、大蔵省官僚時代に、印刷業界の発展や紙幣類印刷用の国産洋紙の必要性を、渋沢栄一が痛感したことに起因していると言われています。

【製糸業】
渋沢栄一は、1872年(明治5年)に日本初の本格的な器械製糸の工場の立ち上げに設置主任として携わりました。こうしてできたのが、2014年(平成26年)にユネスコ世界文化遺産に登録された富岡製糸場とみおかせいしじょうです。
当時の日本は、生糸が主力な輸出品でした。富岡製糸場は、この生糸の品質向上と増産を目的とした官営の製糸工場です。富岡製糸場で作られた品質の高い生糸や養蚕技術は海外に広まり、世界規模で絹産業の発展に繋がったといわれています。

渋沢栄一の功績:運輸業・土木業界・倉庫業の基礎を作った

【運輸業】
渋沢栄一は、1882年(明治15年)に共同運輸会社の創立発起人となりました。
現在は日本郵船株式会社として、国際的な海上運送業を担っています。

【土木業甲】
渋沢栄一は、1917年(大正17年)理想的な住宅地の開発を目的として田園調布株式会社を設立しました。
この会社が作ったのが、東京都の高級住宅街の田園調布です。

【倉庫業】
渋沢栄一は「国の商工業の発展には、倉庫業の発達が欠かせない」との信念を抱いました。その信念を基に1897年(明治30年)に創立されたのが澁澤倉庫部です。
現在は澁澤倉庫株式会社として、総合的な物流業を担っています。

渋沢栄一の功績:放送・通信・ホテル・飲料業界の基礎を作った

【放送業界】
渋沢栄一は、1926年(大正15年)に社団法人日本放送協会の設立に携わり、顧問に就任しました。
この日本放送協会は、現在でも皆が良く知るNHKとして活動を続けています。NHKとは日本放送協会を略されたものなのです。
N(日本)H(放送)K(協会)というわけですね。

【通信業】
渋沢栄一は、1906年(明治39年)に株式会社日本電報通信社の設立を助けました。
現在は株式会社電通となり、世界でも5本の指にはいる超大手の広告代理店として、日本の広告業を支えています。

【ホテル業】
渋沢栄一は、1887年(明治20年)に日本の迎賓館を目的として東京ホテル設立の発起人となりました。同じ名前のホテルが近くに存在していたことから、設立して3年後には帝国ホテル会社と名前を変えました。
現在も帝国ホテルとして、最上質なおもてなしを提供しています。
この帝国ホテルは、マリリンモンローが新婚旅行で泊まったり、キヌアリーブスのお気に入りだったりと、現在でも世界のセレブを魅了し続けているホテルです。

【飲料業】
渋沢栄一は、1887年(明治20年)札幌麦酒会社の設立に、発起人・委員長として関わりました。
現在は、黄色い星のマークでおなじみの「サッポロビール株式会社」として日本のビール産業を牽引しています。
また、1885年(明治18年)に設立された「ジャパン・ブルワリー・カンパニー・リミテッド」にも設立当初から出資し、株主理事員を務め重役も務めています。
さらには、創立時点では関わりはありませんが、札幌麦酒が大阪麦酒と日本麦酒が合併してできた大日本麦酒株式会社でも取締役を務めています。
この大日本麦酒は、現在のサッポロビール株式会社とアサヒビール株式会社へと発展して、現在も飲料業界を牽引しています。

形は違えど、渋沢栄一は日本の麦酒会社の全ての経営に関わっているんですね。

渋沢栄一の功績は教育や社会事業にも残っている

渋沢栄一が関与した教育機関や社会事業の多くが、今も現存していることは大きな特徴です。
渋沢栄一は、社会事業こそ「継続しつづけること」が重要であると考えていました。そのためには、社会事業も組織をしっかりとつくり、経済的に運用する必要があるとしたのです。

渋沢栄一の功績:教育にも積極的に関わった

渋沢栄一が設立に関わった教育機関も、現在も多く存在しています。
【渋沢栄一が設立に関与した大学】

  • 商法講習所…現在の「一橋大学」
  • 大倉商業学校…現在の「東京経済大学」
  • 二松學舍…現在の「二松学舎大学」
  • 日本女子大学校…現在の「日本女子大学」
  • 東京女子大学校…現在の「東京女子大学」

また渋沢栄一が関与した教育機関は、大学だけではありませんでした。
渋沢栄一は、小学校・中学校・高校や、教育機関など多岐にわたって尽力していました。また、東京都にある滝野川小学校が建設される際にも、建築費へ多額の寄付を行ったといわれています。

渋沢栄一の功績:社会事業にも積極的に関わった

渋沢栄一が関与した多くの社会事業が、現在も活動を続けています。
【渋沢栄一が設立に関与した社会事業】

  • 養育院…現在の「東京都健康長寿医療センター」
  • 中央慈善協会…現在の「全国社会福祉協議会」
  • 日本赤十字社…現在の「日本赤十字」・聖路加病院…現在の「聖路加国際病院」

渋沢栄一の功績は世界でも認められていた

渋沢栄一の功績や思想は、世界でも高く評価をされています。

渋沢栄一が設立に関与した富岡製糸場は、2014年(平成26年)にユネスコ世界文化遺産に登録されました。
これは、富岡製糸場で作られた品質の良い生糸や養蚕技術が海外に広まり、世界規模で絹産業の発展や絹の大衆化に貢献したことが認められたためです。

また、経済マネジメント研究の第一人者であるピーター・ドラッガーは、渋沢栄一の経済に対する思想「道徳経済一合説」を高く評価をしていました。
ピーター・ドラッガーは、世界の経済界に大きな影響を与えた著書「マネジメント」の序章部分に「本書は、渋沢栄一が主張し続けていた『経営の本質は責任である』とのテーマに尽きる」と明記するほどでした。

まとめ:渋沢栄一の功績は、まさに日本の資本主義の父と呼ばれるにふさわしいものだった

数多くの企業を立ち上げただけでなく、教育分野にも社会貢献にも尽力した渋沢栄一は、人柄も穏やかで、周囲の話をよく聞き、91歳まで長生きできる健康な体を維持していた人物です。
今回の内容をまとめると、

  • 渋沢栄一は、日本初の銀行を設立するなど、日本の近代化の基礎を築いた。
  • 渋沢栄一は、500以上の会社の設立や運営に関わり、日本経済の向上に貢献した。
  • 渋沢栄一は、教育や社会貢献にも注力し、国力の向上を願い続けた。
  • 渋沢栄一が設立や運営に関わった企業の多くは、現代でも名だたる大企業として私たちの生活を支え続けている

渋沢栄一の功績を知れば知るほど、現代の私たちの生活は渋沢栄一の功績の上に成り立っているのだと強く感じ、尊敬の念が深まりますね。
まさに日本資本主義の父と呼ぶにふさわしい人物です。

スポンサーリンク

最初のコメントをしよう

必須

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください