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渋沢栄一が「銀行の父」と呼ばれる理由。設立に関わった理由と銀行を解説!

渋沢栄一が「銀行の父」と呼ばれる理由。設立に関わった理由と銀行を解説!

「日本資本主義の父」と称される渋沢栄一(1840-1931)は、「銀行の父」とも呼ばれます。
渋沢栄一は、幕末から明治と日本が急激に近代化していく中で、金融や銀行にも積極的に関わり、日本の成長を急激に後押ししたのです。
今回は、渋沢栄一が設立に関わった銀行と、銀行の父と呼ばれる理由を見ていきましょう。

渋沢栄一が銀行を設立したのはなぜ?

渋沢栄一は1867(慶応3)年、パリ万国博覧会に出席する徳川昭武とくがわあきたけに随行し、フランスに渡りヨーロッパ諸国を視察してまわりました。
滞在中は、世話役だった銀行家フリューリ・エラールから、株式会社や銀行など資本主義経済の基本を学びました
軍人と対等に接するフリューリ・エラールの姿を見た渋沢は、日本を強く豊かにするには、実業の地位を向上させて民間の力を高めることが必要だと痛感したのです。
当時の日本は、士農工商と言われる分制度があり、幕府や武士の力が強かった日本から見ると、銀行家という商人が軍人と対等に渡合う姿は衝撃だったと思います。
渋沢栄一は帰国後精力的に働き、日本初となる商業銀行を設立させるに至ります。

渋沢栄一とは一体どんな人だったのか、こちらの記事にも詳しくまとめてあります。

渋沢栄一が設立・運営に関わった銀行はいったいどの銀行?

渋沢栄一は生涯で500の企業の設立や運営に関わり、社会公共事業として600の団体に関わったと言われています。
渋沢栄一は、金融や銀行業ではどのように手腕を発揮したのでしょうか。
それぞれみていきましょう。

渋沢栄一が銀行設立に関わったきっかけは「国立銀行条例」

渋沢栄一はパリから帰国後、大蔵省に入り1872(明治5)年に国立銀行の設置について定めた国立銀行条例の制定に携わります。
この条例は、当時大蔵省次官であった伊藤博文いとうひろぶみが1870(明治3)年にアメリカで銀行制度を視察した成果が反映されたもので、アメリカの国立銀行法「National Bank Act」が基になっています。

明治の初めは、金・銀・銭貨や江戸時代の貨幣である藩札のほか、政府や民間の為替会社から発行された各種紙幣が流通していたため、通貨制度は混乱していました。
新貨幣の製造と旧紙幣の回収、これまで発行されていた不換紙幣(国の基礎となる貨幣と引き換えできない紙幣)の整理が急務だったため、金貨兌換の国立銀行券(国の中央銀行が金との交換を保証した紙幣)を発行し流通させるよう、「国立銀行条例」が制定されました。
「国立」と名前はついていますが、国営ではなく、国の条例に基づくという意味です。

渋沢栄一が設立した日本初めての銀行「第一国立銀行」

民間事業を発展させ国を豊かにすることを目指す渋沢栄一は、大蔵省御用達の豪商・三井高福と小野善助に対して、合本組織となって銀行を設立するよう持ちかけていました。「三井組」「小野組」と呼ばれ敵対しあう二つの組をまとめるのは容易ではありませんでしたが、渋沢は1872(明治5)年8月に「三井小野組合銀行」を作り、共同経営で銀行を設立することを決めます。

1872(明治5)11月に「国立銀行条例」が発布され、三井小野組合銀行は政府の許可を受けて「第一国立銀行」に改組し、日本で初めて開業した銀行となりました。
渋沢は第一国立銀行設立の前月に大蔵省を退官し、第一国立銀行の頭取に就任します。この第一国立銀行は、現在のみずほ銀行です。

渋沢栄一が設立や運営に関わった銀行

渋沢栄一は第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の設立からはじまり、国内外の銀行設立に数多く関わっています。
詳しくみていきましょう。
*年は渋沢が関わった時期を表しています

1873(明治6)年
第一国立銀行(現:みずほ銀行)…総監役、頭取

1876(明治9)年
三井銀行(現:三井住友銀行)…創立賛意
第二十三国立銀行(現:大分銀行)…設立指導

1877(明治10)年
第五十九国立銀行(現:青森銀行)…創設指導
第二十国立銀行…創立指導、援助
第十九国立銀行(現:八十二銀行)…創立指導、援助

1878(明治11)年
第三十二国立銀行…指導者斡旋、株主、援助
第十六国立銀行(現:十六銀行)…設立指導、処分救解
第七十七国立銀行(現:七十七銀行)…設立指導、株主
第六十九国立銀行(現:第四北越銀行)…設立指導
第六十八国立銀行(現:南都銀行)…創業指導・援助

1882(明治15)年
日本銀行…株主、割引委員

1884(明治17)年
横浜正金銀行(のち東京銀行、現:三菱UFJ銀行)…株主

1885(明治18)年
北陸銀行(のち廃業。現在の北陸銀行とは無関係)…資金貸与

1892(明治25)年
第三十三国立銀行…跡引受人
東京貯蓄銀行…設立出願、取締役会長、有価証券名義人

1893(明治26)年
第八十九国立銀行…役員斡旋

1894(明治27)年
熊谷銀行(現・埼玉りそな銀行)…株主、発起人

1895(明治28)年
高岡共立銀行(現・北陸銀行)…支配人斡旋

1896(明治29)年
九州商業銀行(現・熊本銀行)…発起人
日本勧業銀行(のち第一勧業銀行、現・みずほ銀行)…設立委員、株主

1897(明治30)年
秋田銀行…相談役
台湾銀行…設立委員、株主

1899(明治32)年
北海道拓殖銀行…設立委員

1900(明治33)年
黒須銀行(現・りそな銀行)…顧問役
日本興業銀行(現・みずほ銀行)…設立委員、株主、監査役

1902(明治35)年
三十九銀行(現・群馬銀行)…援助

1906(明治39)年
日英銀行…顧問

1908(明治41)年
宮城屋貯蓄銀行…破綻整理帝国商業銀行(現・みずほ銀行)…役員斡旋、相談役、紛争調停

1909(明治42)年
韓国銀行…設立委員

1911(明治44)年
東京栄銀行(現・第四北越銀行)…設立に尽力、株主総会出席

1912(大正元)年
日仏銀行…設立関与、相談役

1913(大正2)年
日米通商銀行…設立協議

1917(大正6)年
日露銀行…設立斡旋、発起人

1920(大正9)年
加州銀行(現・北國銀行)…役員斡旋

1926(大正15)年
第十銀行(現・山梨中央銀行)…社史題字揮毫

1927(昭和2)年
八十四銀行(現・みずほ銀行)…休業銀行整理
中井銀行(現・みずほ銀行)…休業銀行整理

1928(昭和3)年
神田銀行…債権回収者来訪

現代にも名を変えて残っている銀行も多く、日頃目にしている銀行の設立や運営に渋沢栄一が関わっているなんて思ってもみませんでしたね。

渋沢栄一が銀行という名前を考えた?

「銀行」という日本語は、渋沢が制定に携わった1872(明治5)年の「国立銀行条例」に初めて登場します。
その国立銀行条例のもとになったのが、アメリカの国立銀行法「National Bank Act」で、このBankを「銀行」と翻訳したことが始まりです。
翻訳にあたっては、お金(金銀)を扱う店との発想から、中国語で「店」を意味する「行」と合わせて「金行」もしくは「銀行」という案が出ましたが、当時の貨幣制度が銀本位制であったことや、「きんこう」より「ぎんこう」の方が語呂が良いことから、「銀行」が採用されたと言われています。
この翻訳は高名な学者たちが協議を重ねた結果と言われていますが、渋沢栄一が行ったという説もあります。

渋沢栄一が新1万円札の顔になった経緯を解説

渋沢栄一は2024年に新1万円札の顔になります。
お札の顔となるには、偽造防止の観点からなるべく精緻な肖像写真が入手できること、紙幣にふさわしい品格や容易に特定の人物と識別できること、子どもから大人まで広く知られていること、国際的に知名度があることなどが選定の条件になっています。
500以上の会社の設立に関わった、まさに日本資本主義の父・銀行の父と呼ばれるにふさわしい渋沢栄一は、なぜ、これまでお札の顔にならなかったのでしょうか?その理由をみていきましょう。

渋沢栄一とは一体どんな人だったのか、こちらの記事にも詳しくまとめてあります。

実は何度も候補に上がっていた?

実は渋沢栄一は、これまでにも紙幣に印刷される肖像の候補者として何度も選ばれていました。
偽札が急増し新札発行が急務だった1963(昭和38)年には、新千円札の肖像候補として明治天皇伊藤博文岩倉具視いわくらともみ野口英世渋沢栄一内村鑑三うちむらかんぞう夏目漱石西周にしあまね和気清麻呂わけのきよまろの9人が選ばれ、最後まで競ったのは初代総理大臣である伊藤博文と渋沢栄一でした。
最終的に伊藤博文になったことについて、当時の大蔵省の総務課長は、
「文化人は若い人に人気が高いが、銀行券にふさわしい重々しさの点で政治家に劣る。人間としては批判があっても国内外で有名であり、紙幣に向く荘重な風貌の伊藤博文がふさわしい。渋沢栄一は有力候補に違いないが、それほど一般的でなく、容貌もお札向きではない。明治天皇は荘重なお姿ではあるが軍服姿ばかりで新憲法下ではどうか」
と言ったそうです。
当時は偽札防止のため、口ひげやあごひげが豊かで、彫りの深い個性的な容貌がふさわしいとされていたことから、ひげを生やす習慣の無かった渋沢は採用されませんでした。
渋沢栄一が選ばれなかった理由の一つとして、髭がなかったからなんて、、、なんか意外ですね。

渋沢栄一が紙幣に印刷されるのは実は2回目

渋沢の顔がお札に印刷されるのは、実は2024年で2度目です。
1902(明治35)年朝鮮半島において、日本政府監督の下、事実上の中央銀行にあたる朝鮮銀行から渋沢が描かれた十円紙幣が発行されました。
発行されたのが初期の第一銀行券であり、当時の頭取である渋沢が肖像に描かれていたためです。
しかしのちに韓国統監だった伊藤博文が、一国の紙幣に民間の銀行券を使用することに反対し、韓国独自の中央銀行に切り替えています。

まとめ:渋沢栄一は日本で初めての銀行を設立した、まさに「銀行の父」だった

渋沢栄一は、民間企業だけでなく数多くの銀行も設立にも関わっていて、まさに銀行の父と呼ぶにふさわしい人物でした。
今回の内容をまとめると、

  • 渋沢栄一は「国立銀行条例」制定に携わった
  • 日本初の銀行「第一国立銀行」を設立し、頭取に就任した
  • 現代にも残っている数々の銀行に渋沢栄一は関わっていた
  • お札の顔の候補には何度か上がったが、髭がないため採用されなかった

条例を作成しながら銀行設立の下準備をし、条例制定後は退官して銀行頭取に就任する手腕は見事としか言いようがありません。
渋沢栄一は、2024年から新1万円札の顔になるのもうなずけますね。

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