徳川家康の名言10選!遺訓・座右の銘・最後の言葉など意味を解説!
徳川家康(1543~1616)といえば、江戸幕府を開いたことで有名ですよね。その家康はいくつもの名言を残しています。天下をとった家康はどのような名言を残したのでしょうか?
今回は、徳川家康の名言、遺訓や座右の銘・最後の言葉などの意味を、逸話を交えて数々の名言をご紹介していきます。
目次
徳川家康の遺訓「人の一生は重荷を負って・・・
人の一生は重荷を負って遠き道をゆくがごとし いそぐべからず
不自由を常とおもへば不足なし
こころに望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし
堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思へ
勝事ばかり知て負くることをしらざれば害其身に至る
おのれを責て人をせむるな
及ばざるは過ぎたるよりまされり現代訳:
「人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
不自由が当たり前だと考えれば、不満は生じない。
心に欲が起きたときには、苦しかったときを思い出すといい。
我慢することが無事に長く安らかにいられる基礎で、怒りは敵と思いなさい。
勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
自分の行動について反省し、人の責任を責めてはいけない。
足りないほうが、やり過ぎてしまっているより優れているのだ。
この遺訓は徳川家康が自分の人生を振り返りながら語ったものです。
この遺訓には、徳川家康が気をつけていたことが詰まっているのでしょう。幼い頃から人質にされたり、天下を取るまでに時間がかかったりと苦労をしてきた徳川家康だからこその名言ですね。
徳川家康の最後の言葉|
最後の言葉というと、辞世の句が挙げられます。辞世の句とは、自分の死を目の前にしたときに詠む句のことです。徳川家康の辞世の句は2つあります。
嬉しやと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空」
現代訳:
「嬉しいことだ。最後かと思い目を閉じたが、また目が覚めた。この世で見る夢は、暁の夜明けのように美しい。さて、もう一眠りするとしよう」
数々の困難を乗り越えて、なんとか天下をとった徳川家康は、その後江戸幕府の礎を築き、徳川家の地盤を固めます。そのような徳川家康だからこそ、死を目前にしても「もう思い残すことはない」と言わんばかりのこのような明るく清々しい辞世の句を詠めたのかもしれません。
先にゆき あとに残るも 同じこと つれて行けぬを 別とぞ思う
現代訳:
「たとえ先にあの世へ行こうとも、この世に残ることになる者たちと、所詮は同じ世界にいるようなものなのだ。遅かれ早かれ人はだれでも死ぬのだから、あの世とこの世の違いなんてほとんどないのだよ。たとえ私が死ぬとしても、誰一人として連れて行こうとは思わない。さらばだ」
この句で重要なポイントは、「つれて行けぬ」というところ。
この頃、武士の世界では殉死が流行っていました。殉死とは、主君が死んだ際に家臣が後を追って腹を切ることを言います。当時はそれが「あっぱれな忠義」のような美徳だとされていました。
しかし、徳川家康はこの風潮が嫌いだったのです。
「死ぬほどに主人を大事に思うのであれば、生きて後継者にも忠義を尽くし、万が一のときには一命を投げうつのが真の忠義である」というのが、徳川家康の考えです。徳川家康は殉死をやめさせるために、将軍に掛け合ったり、自分からも文書を出したりしていました。
そのような徳川家康だったからこそ、この「つれて行けぬ」という言葉を最後に使ったのでしょう。家臣を犬死させることなく、大事にしたいという優しい気持ちがよく現れている句ですね。
徳川家康の名言3|不自由を常と
不自由を常と思えば不足なし
現代訳:
「不自由な生活が当たり前であれば、何も不満を感じることはない」
徳川家康は質素倹約をモットーとしていました。それは、贅沢な暮らしをした瞬間に危機感を覚えるほどのものでした。
人間は贅沢を覚えてしまうと、あれもこれもとどんどんと欲が生まれてきてしまいます。贅沢をしすぎず、あえて不自由な暮らしをすることで不満は起きなくなると家康は言っているのです。不自由な暮らしをしていると、その不自由さをできる範囲でどうにかしようという知恵がつく可能性もありますね。
徳川家康の名言4|勝つことばかり知りて
勝つことばかり知りて負くるを知らざれば害その身に至る
現代訳:
「勝ってばかりで負けを知らないと、逆境に陥ったときに乗り越えられない。だから負けることも大切なのである」
これは、武田信玄と戦って惨敗したときに放った名言です。
ちなみに、徳川家康はこの惨敗した自分の情けない姿を肖像画にして、常に持ち歩き戒めにしていたというほど、この敗戦を悔しがっていたようです。
負けを知らずにずっと勝ち続けていると、次第に慢心が生まれてきます。すると、負けたときに挫折してしまったり、勝つための戦略を練ることを怠けてしまったりする可能性がでてきます。そうならないためにも、負ける経験は必要だと徳川家康は言っているのです。負けることは必ずしも悪いことではないですね。
徳川家康の名言5|心に望みおこらば
心に望みおこらば困窮し足る時を思い出すべし
現代訳:
「心に欲が生まれたときは、貧しく苦しかった時を思い出すと良い」
これは、遺訓の中にもあった「不自由を常と思えば不足なし」という言葉に通じるものがありますね。
もし心に欲が生まれてしまったときには、貧しく苦しかった時を思い出せば、あの頃に比べれば今は恵まれているのだから、贅沢は言っていられないと自分を戒めることができます。今は恵まれているということに気づくために、徳川家康はこの名言を放ったのでしょう。
また、徳川家康は幼少期に人質にされるなど苦労することも多かったので、欲を出しすぎるとその頃の苦労が無駄になると考えていたのかもしれません。
徳川家康の名言6|滅びる原因は
滅びる原因は自らの内にある
現代訳:
「滅びる原因は、自分の心や味方の中から起こる油断や裏切りである」
この名言は、武田信玄が病死した際に、徳川家康が発したものです。
徳川家康の軍は、武田信玄がいたからこそずっといい緊張状態が保たれ、緩むことがありませんでした。
その武田信玄がいなくなった時、緊張状態が解かれ、味方から裏切りがでるかもしれないと徳川家康は危惧したのでしょう。
この言葉を言うことによって、徳川家康は驕り高ぶることなく、滅ぶ原因を自分の中に作らないようにしていたのです。自分のことを厳しく律していた徳川家康だからこそ出てきた言葉だと言えるでしょう。
徳川家康の名言7|水よく船を浮かべ
水よく船を浮かべ水よく船を覆す
現代訳:
「主君が家臣に愛情深く接していれば、家臣はそれに応えようと働いてくれる。しかし、不当な扱いを受けていると、たちまち家臣は謀反などを起こし、主君を裏切るようなこともしてくるのだ」
この名言の中にある、水は家臣のこと、船は主君のことを指します。
主君の座に胡座をかいて、家臣たちのことを不当に扱っていては、いずれ自分の身を滅ぼすことになるということを、徳川家康はわかっていたのでしょう。幼い頃から誰かに仕えて、その後に主君となった徳川家康だからこそ、それを常に意識するようにしていたのかもしれませんね。
徳川家康の名言8|得意絶頂のときこそ
得意絶頂のときこそ隙ができることを知れ
現代訳:
「絶好調のときほど、人には隙ができるものだ」
この言葉は、徳川家康が討ち取った敵に向けて言われたものとされています。何事も成功していて絶好調のときほど、物事を甘く捕らえてしまいがちです。すると、そこには隙が生まれます。つまり、絶好調のときほど油断していては、ピンチに陥りやすくなるということです。
徳川家康はそのことを心得ていたので、油断することはありませんでしたし、逆にそれを利用して敵の隙を巧みについて、勝利を収めた戦もありました。成功しているときほど冷静な対応が求められるということを教えてくれる名言です。
徳川家康の名言9|我がために悪しきことは
我がために悪しきことは、ひとのためにも悪しきぞ
現代訳:
「自分のためにならないことは、他人にしてはいけない。自分のために良いと思うことを他人にもすべきなのです。この心がけが人助けにつながるはずですよ」
徳川家康が、いかに人と人との繋がりを大事にしていたのかが読み取れる名言ですね。
徳川家康の名言10|堪忍は無事長久の
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え
現代訳:
「我慢することが無事に長く安らかにいられる基礎で、怒りは敵と思いなさい」
徳川家康を表す言葉として、「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」というものがあります。
これは、徳川家康が我慢強く、好機がくるのをじっと待つことができ、そしてそのチャンスをしっかりと掴み取れることを表しています。
徳川家康がこのように表されることになったのは、この名言のように、我慢することを常に意識し、怒りに身を任せることなく冷静な判断をしていたからなのでしょう。
徳川家康の名言11|戦いでは強い者が勝つ
戦いでは強い者が勝つ。辛抱の強い者が。
現代訳:
「戦場で勝利を収めるのは、力の強い者ではなく、辛抱強い者である」という意味の名言です。この名言も、辛抱強く好機を待てる家康だからこそ放つことのできる言葉と言えるでしょう。
戦において、もちろん力の強さというのは大事です。しかし、勝機というものは時の運ということもあるので、必ずしも力の強さだけで道が切り開けるということはないのです。勝利を手にするためには、好機を逃さないことが大事だと家康は考えていたのでしょう。焦らずに好機をじっと待つことのできる者が、勝利を手にすることができるのです。
まとめ:徳川家康の名言には、自分を律することの大切さが込められていた
徳川家康の名言には、どれも家康の人柄や信条がよく現れていましたね。天下をとったにも関わらず、慢心することがなかったのは、これらのことを常に意識していたからなのかもしれません。
今回の内容をまとめると、
- 徳川家康の辞世の句2つある
- 徳川家康は、辛抱強く好機を待つことが大事としていた
- 徳川家康の名言から、人や家臣を大切に扱っていたことが伺える
- 徳川家康は自分の幼少期の苦労した時代を忘れることなく、その経験をもって天下を収めた
人は成功が続くとつい調子に乗ってしまいがちです。しかし、そこで油断せずに慢心しないからこそ、徳川家康は天下泰平を築き上げることができたのでしょう。この考えは現代を生きる私達にも活かすことができますね。自分を律したいときなどに、徳川家康の名言を思い出すといいかもしれません。