福沢諭吉は心訓七則の作者ではない?本当の作者は誰?どう作られたのか?

福沢諭吉は心訓七則の作者ではない?本当の作者は誰?どう作られたのか?

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福沢諭吉は、幕末から明治にかけて活躍した教育者です。
慶應義塾大学の創設などにより、独立自尊の精神の尊さを日本人に広め、日本の発展に大きく貢献した人物です。
現在の一万円札の肖像画としても有名ですよね。

福沢諭吉が著したものとして、「心訓七則」というものが広く知られています。
しかし、この「心訓七則」の作者は福沢諭吉ではないというのが今では定説となっています。
では、「心訓七則」の本当の作者は誰なのでしょうか。今回は、心訓七則の作者は誰なのか?一体どうやって作られたのか?について簡単に解説していきます。

福沢諭吉の心訓七則

福沢諭吉の「心訓七則」は、
「福澤心訓」「福沢諭吉翁心訓」「福沢諭吉翁心訓」、「福沢心訓七則」、「諭吉心訓」、「心訓」、「七則」など、さまざまな呼び名でよばれています。

心訓七則は簡単にいうと、人が生きる上で大切な7条を示した教訓です。
シンプルでわかりやすい表現で書かれており、座右の銘として人生の指針とする人や、額に入れて飾っているひとも少なくありません。

【福沢諭吉の心訓七則】

  • 世の中で一番楽しく立派なことは、一生を貫く仕事を持つことです
  • 世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです
  • 世の中で一番さびいしことは、する仕事のないことです
  • 世の中で一番みにくいことは、他人の生活をうらやむことです
  • 世の中で一番尊いことは、人に奉仕して決して恩を着せないことです
  • 世の中で一番美しいことは、すべてのものに愛情を持つことです
  • 世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことです

単純な繰り返しの言葉なのに、良い言葉だなと心に染みるものがありますよね。

他人をうらやまず一生懸命に勉強をして、世のため人のためになる仕事をしようと背筋が伸びる気持ちになります。

自他の尊厳を守り、自分の判断や責任で行動を起こす「独立自尊」の精神の大切さを日本人に広めた福沢諭吉らしい格言と納得できるものです。

しかしながら、この心訓七則は、福沢諭吉が作成したものではないことが、公式に示されています。

心訓七則の作者は誰?

読む人の心に染みる「福沢諭吉の心訓七則」ですが、福沢諭吉が作者ではないと言われています。

「心訓七則」は昭和30年頃に作られたものといわれており、実際に作った人物は不明とのことです。
福沢諭吉が亡くなった1901年(明治34年)から50年以上たった後にできたものというわけですね。

では、心訓七則をつくった謎の人物は、どうして福沢諭吉のものとしたのでしょうか。

福沢諭吉の著書「ひびのおしえ」の中に、心訓七則の元となったものが存在していることから、理由を推測することができます。

七訓七則をつくった謎の人物は、

福沢諭吉が子供向けに書いた「ひびのおしえ」に感銘を受け、大人向けの言葉にアレンジしたのではないでしょうか。

そして、これは福沢諭吉の書いた内容をもとにしたものだと言っていたものが、だんだんと福沢諭吉の「著した」ものと転じてしまったのではないかという説が存在しています。

本当の理由は謎の中ですが、せっかく心に染みる良い格言なのですから、つくられた経緯もこのような悪意がないものだったならばよいですよね。

福沢諭吉の「ひびのおしえ」が原本?

「心訓七則」は福沢諭吉が作成したものではありませんが、参考にされたものは、福沢諭吉が記した「ひびのおしえ」にある「おさだめ」なのではないかといわれています。

「ひびのおしえ」は、福澤諭吉が子息の一太郎と捨次郎の兄弟のために、書き与えた教訓集です。
正式名称は「ひゞのをしへ」といいます。

福沢諭吉は1871年(明治4年)10月14日から11月にかけて、半紙を四つ折にした帳面を作り、8歳と6歳の子供に向けて、家庭での約束や決まり事を毎日ひとつずつ書いて与えていたといいます。
当時の福沢諭吉の年齢は38歳。
子煩悩だったことでも知られる福沢諭吉の、よい父親像が浮かぶほっこりするエピソードですよね。

「ひびのおしえ」は、大きく一篇と二篇に分かれており、それぞれの冒頭で「おさだめ(たいせつな事)」が示されています。この「おさだめ」の部分が、「心訓七則」の元になったというのです。

【「ひびのおしえ」第一編「おさだめ」(七つのたいせつなこと)】

  • 一、うそをつくべからず。
  • 一、ものをひらふべからず。
  • 一、父母(ちゝはゝ)にきかずしてものをもらふべからず。
  • 一、ごうじやうをはるべからず。
  • 一、兄弟けんくわかたくむよふ。
  • 一、人のうはさかたくむよふ。
  • 一、ひとのものをうらやむべからず。

現代訳:

  • 一、ウソをついてはいけません。
  • 一、物を拾って帰ってはいけません。
  • 一、両親に承諾を得ずに、人から物をもらってはいけません。
  • 一、強情を張らないようにしましょう。
  • 一、兄弟げんかは絶対にしてはいけないものです。
  • 一、人の噂は絶対にしてはいけません。
  • 一、人のものを羨ましがってはいけません。

【「ひびのおしえ」第二篇「おさだめ」(六つのたいせつなこと)】

  • 第一、 てんとうさまをおそれ、これをうやまい、そのこゝろにしたがふべし。たゞしこゝにいふてんとうさまとは、にちりんのことにはあらず、西洋のことばにてごつどゝいひ、にほんのことばにほんやくすれば、ざうぶつしやといふものなり。
  • 第二、 ちゝはゝをうやまい、これをしたしみ、そのこゝろにしたがふべし。
  • 第三 、ひとをころすべからず。けものをむごくとりあつかひ、むしけらをむゑきにころすべからず。
  • 第四、 ぬすみすべからず。ひとのおとしたるものをひらふべからず。
  • 第五、いつはるべからず。うそをついて、ひとのじやまをすべからず。
  • 第六、 むさぼるべからず。むやみによくばりて、ひとのものをほしがるべからず。

現代訳:

  • 第一、お天道様を恐れ敬い、その御心に従いなさい。ただし、この「お天道様」とは、西洋の言葉で「ゴッド」といい、日本の言葉に訳すと「創造者」というものです。
  • 第二、両親を敬い従いなさい。
  • 第三、人を殺してはいけません。獣を残酷に扱ったり、虫を無益に殺してはいけません。
  • 第四、盗みをしてはいけません。ヒトのおとしたものを拾ってはいけません。
  • 第五、だましてはいけません。嘘をついて、人の邪魔をしてはいけません。
  • 第六、欲深くなってはいけません。むやみに欲張って、人の物を欲しがってはいけません。

心訓七則と比べると、内容が実によく似ていると思いませんか?
ちなみに、この「おさだめ」も、福沢諭吉自身がオリジナルで作り出したものではなく、キリスト教のプロテスタントの区別における、「モーセの十戒」の第一戒、第五戒、第六戒、第八戒、第九戒、第十戒にほぼ相当するものがあるといわれています。

福沢諭吉が「ひびのおしえ」を書いたとされる1871年(明治4年)は、日本ではキリスト教がまだ禁制になっていた時代です。

そのような時代に、キリスト教の十戒を子供に教えたというのは、大変驚くべきことといえるでしょう。
しかし、福沢諭吉はキリスト教を信仰していたわけではなかったようです。

福沢諭吉は、宗教は子供のような未発達段階においては、有効な存在であると考えていたようです。

物事を万事、人間的成長のために必要なものかどうかとの尺度でとらえるドライさは、啓蒙思想家らしいなと感じました。

福沢諭吉が創立した慶應義塾大学のコメントは?

福沢諭吉が創立した慶應義塾大学も、きっぱりと
「心訓七則は福沢諭吉が作ったものではない」
とのコメントをホームページに記載しています。

【大学のホームページの内容を抜粋・要約】

・「福澤心訓(心訓七則)」というものがあるが、福澤先生の言葉ではない。どこかの智恵者が勝手に作り上げ、それをさも先生の発言であるかのように銘打ったにすぎない真赤な偽作である。

・塾内の福澤関係者は、労をいとわず「偽物」と訴えつづけてきた。『福澤諭吉全集』第20巻の附録で断定したり、新聞、雑誌でこの心訓を福澤の言葉として引用された記述にぶつかるとその都度、筆者にあてて偽作であることをお知しらせしたりしている。

・しかしながら、これを福澤先生の言葉として受けとめて座右の銘にまでして下さる奇特な人の方が、偽作だとする関係者の否定をはるかに上廻っているのが現状で、いささかお手上げといったところである。

・少なくとも塾生のご父母・塾員諸兄姉にだけは、「福澤心訓」は偽作であることを今一度あらためて指摘しておきたい。

慶應義塾大学HPより抜粋

しっかりと否定してはいますが、何気なく褒めている感じもあり、コメントとしては絶妙ですね。

まとめ:福沢諭吉の心訓七則の作者は不明だが、原作らしいものはあった

心訓七則は、福沢諭吉のものではないことがわかりました。
福沢諭吉の心訓七則の作者は不明ですが、もとになったと考えられるものは、福沢諭吉の著したものだと考えられています。

今回の内容をまとめると、

  • 心訓七則の作者は、福沢諭吉ではない。
  • 心訓七則の作者は、不明。福沢諭吉が亡くなってから50年以上も後に作られたと考えられている。
  • 心訓七則の元になったのは、福沢諭吉の「ひびのおしえ」といわれている。
  • 心訓七則が福沢諭吉のものではないことは、慶應義塾大学も断言している。

心訓七則はシンプルでわかりやすい表現であることから、学校の道徳の授業や会社の研修などで、自分なりの「心訓七則」を作る教材としても使われているようです。

「世の中で一番楽しく立派な事は○○な事です」の「○○」に当てはまることをそれぞれ考え、自分の心訓七則をつくることで、自分にとって生きるうえで大切なことが明確になり、自分専用の人生の指針が出来上がるというわけです。
福沢諭吉がつくったものならば、変えるのは恐れ多い気持ちになりますが、作者不詳のものならば、気兼ねなく自分なりの心訓七則が作れそうですよね。
福沢諭吉のものではない事をきちんと把握しつつ、良い教訓であるなぁと味わえたら良いのかもしれません。

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