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紫式部は何をした人?年表で簡単に解説!功績は?性格は?清少納言との関係は?

紫式部(生没年不詳)は、平安時代中期に活躍した歌人・作家です。

『源氏物語』や『紫式部日記』などの日本文学を代表するような作品を残したことで知られています。

そんな紫式部は、何をした人なのでしょうか?

この記事では、紫式部の年表を見ながら、その功績や性格などを簡単に解説していきます。

紫式部は何をした人?

紫式部といえば、『源氏物語』を書いたことで有名ですが、その他には何をしたのでしょうか?

ここでは、紫式部の年表を見ながら、何をした人なのかを簡単に解説していきます。

紫式部の年表

紫式部(むらさきしきぶ):生没年不詳

父:藤原為時/母:藤原為信女

夫:藤原宣孝

子:大弐三位

【紫式部の年表】

  • 970年頃
    藤原為時の娘として生まれる
  • 988年頃(長徳4年頃)
    親子ほども年の差がある藤原宣孝と結婚する
  • 999年頃(長保元年)
    藤原賢子(後の大弐三位)を産む
  • 1001年(長保3年)
    夫の藤原宣孝が亡くなる
    →『源氏物語』の執筆開始
  • 1006年頃(寛弘2年頃)
    一条天皇の后で藤原道長の娘・彰子に仕え始める
  • 1010年頃(寛弘6年頃)
    『源氏物語』完成
  • 1012年頃(寛弘8年頃)
    彰子のもとを去る
  • 1014年頃(長和2年頃)
    この年まで生存は確認できる
    以降の明確な記録がないためいつ亡くなったかは不明

紫式部のしたこととは?功績を簡単に解説!

紫式部は、その功績からお札の肖像画として選ばれています。

具体的には、どんな功績を残したのでしょうか?

ここでは、紫式部の功績を簡単に解説していきます。

紫式部の功績:『源氏物語』や『紫式部日記』などの数々の名作を生み出した

紫式部の功績として、まず挙げられるのが『源氏物語』や『紫式部日記』などの名作を生み出したことでしょう。

これらの作品は、当時の日本の様子を知るための貴重な資料となったり、作品の内容そのものも人間の普遍的なテーマについて描かれていることから、後世の多くの作家に影響を与えたりしました。

特に『源氏物語』は、日本文学を語る上で欠かせない、存在価値のある作品となっています。

紫式部の功績:藤原道長の娘・彰子の家庭教師をした

紫式部は、藤原道長の娘・彰子の家庭教師として採用されました。

そのため、彰子には漢詩などの学問はもちろんのこと、天皇を支える中宮としての立場を全うするための教えを諭していたようです。

11歳という若さで入内した彰子に紫式部が与えた影響は、かなり大きかったと推測されます。

実際、彰子は藤原氏全盛期を中宮として支え、政治的な発言力を持つ女性として成長しました。

そして、藤原実資の『小右記』には、彰子のことを「公平な決断のできる『賢后』」だと書き残されています。

これは、間違いなく紫式部の功績と言っても過言ではないでしょう。

紫式部の地位は?

紫式部は、藤原道長の娘の彰子に仕えて働いており、その当時の紫式部の役職は、女房という役職です。

女房は、貴族や朝廷に仕える女性使用人の役職の一つで、基本的には仕えている主人の身の回りの雑事などをこなします。

また、主人が幼かったり女性だったりした場合は、家庭教師役となって教養を学ばせる役割もありました。

紫式部も例に漏れず、彰子の家庭教師として色々と教えていたようです。

紫式部の性格を表すエピソードとは?

紫式部は、宮廷に仕えており、バリバリのキャリアウーマンのような生活を送っていました。
しかし、実際はそうではない時期もあったのです。

ここでは、紫式部の性格を表すエピソードを簡単に解説していきます。

紫式部は宮廷に仕えてすぐに引きこもった

紫式部は、宮廷に仕えてすぐに引きこもりになっていた時期があります。

その原因は、先輩女房たちからのいじめでした。紫式部が仲良くしてほしい旨の手紙を送っても、無視するなどの行為があったようです。

なぜ紫式部がいじめられていたのかと言うと、源氏物語で注目を浴びていたのが気に食わなかったという嫉妬心からでした。

このいじめがあったことと、元より宮廷に仕えることにあまり乗り気じゃなかったこともあり、紫式部は職場を放棄し実家に引きこもってしまいます。

そこで源氏物語の執筆を再開するのですが、5ヶ月後には何事もなかったかのように職場に復帰します。

なぜ戻ったのかはわかっていませんが、復帰した紫式部は、あえて自分を賢く見せないように振る舞うようになっていました。

すると、周囲からは「意外と親しみやすい人だった」と受け入れられるようになったのでした。

紫式部は幼少期に父親からひどい言葉を言われた

紫式部の父親は藤原為時です。
紫式部は、藤原為時からとても厳格に育てられました。

紫式部自身も好奇心旺盛な子であったため、時間を忘れるくらい勉学に励みました。

しかし、ある時のこと。

その日、藤原為時は、紫式部の弟に漢詩を教えていました。

それをそばで聞いていた紫式部は、なんと弟よりも先にそれを覚え暗唱してしまうのです。

本来であれば、漢詩の知識を吸収することは悪いことではなく、むしろ褒められるべきことです。

しかし、当時は漢詩は男性が身につけるもので、女性が嗜むものではないという常識がありました。

そのため、藤原為時は紫式部に向かって、

「残念だよ。お前が男に生まれてこなかったのが私の運の悪さだ…」

このように言い放ったのです。

紫式部は、このときのことを大人になってから日記に記しています。

それほどまでに、子供心に刺さる一言だったでしょう。

このような経緯があったため、紫式部は決して自身の知識をひけらかしたり、目立ったりはしないと心に決めたのかもしれません。

\紫式部の性格については、こちらの記事でも詳しく解説しております/

紫式部と清少納言の関係性は?

紫式部のライバルとして語られることが多いのが清少納言。

実際の2人の関係性はどのようなものだったのでしょうか?

ここでは、紫式部と清少納言の関係性について簡単に解説していきます。

紫式部と清少納言は直接面識はなかった?

紫式部と清少納言はライバルだったのではないかと考える人もいます。

それは、紫式部と清少納言の仕えていた人物が、政治的に対立するような関係性だったため、2人も対立していたのではないかと考えたわけです。

しかし、実は紫式部と清少納言の二人は、直接の面識はなかったようです。

清少納言は、紫式部が宮中に入る前に、そこから去っているので、微妙に宮仕えの時期がズレているのです。

そのため、後から宮中に入った紫式部は、同じような立場の清少納言のことを意識していたかもしれませんが、2人がバチバチに争っていたということはなかったということになります。

紫式部は日記で清少納言の悪口を言っていた?

清少納言について、紫式部は『紫式部日記』で以下のように述べています。

「清少納言は偉そうに定子に仕えていた人。頭がいい風を装って漢字を書きまくっているけれども、よく見たら幼稚な間違いもしている。男性の前ではちょっと頭が悪い感じに見せた方がいいのに、清少納言が私ならわかると得意げにしているのを見ると腹が立ってしょうがない。自分は特別だと思っているのかもしれないけれど、そういう人に限って偽の教養しかもちあわせていないもの。いつも気取っていて、あんな薄っぺらい態度をとるような人がいい人生を送れるだろうか、いや送れるはずがない」

以上のように、紫式部は清少納言について酷評しています。

清少納言は、比較されることが多かったり、自分が我慢していることを嬉々としてやっていたりと、紫式部としても相当鬱憤が溜まっていたのかもしれません。

しかし、このように清少納言の悪口を言っていた紫式部ですが、実はその後のページでは清少納言への悪口の倍くらい自虐をしているのです。

「こんなふうに人のことを評している私こそ、この先どうしよう…。まったく誇れる長所も自信もない。将来の希望もない。私なんて慰めの余地すらない。それでも、自分のことを寂しい女だと思いながら生きるのだけはやめよう。と、思いたい気持ちだけは、まだなくなっていないのだけれど…」

以上のように始まる自虐文には、紫式部の不安定な心の内がよく表れています。

「紫式部日記=清少納言の悪口」というイメージが世間に浸透していますが、紫式部は他人の悪口の100倍くらい、自分への悪口も書いていたのです。

\紫式部と清少納言の関係については、こちらの記事で詳しく解説しております/

まとめ:紫式部は数々の日本文学史に残る作品を生み出した女性だった

紫式部は、中宮・彰子の家庭教師として宮廷に仕える一方で、作家として『源氏物語』や『紫式部日記』といった名作を多く書き残しました。

  • 紫式部は、中宮・彰子の家庭教師として仕えていた
  • 紫式部は、『源氏物語』や『紫式部日記』といった名作を多く書き残した
  • 紫式部の作品は、日本文学を語る上で欠かせない存在となり、後世の作家に大きく影響を与えた

約1000年も前の作品であるにも関わらず、現在でも『源氏物語』を愛読している人は非常に多くいます。何千年と読み続けられる作品を書いた紫式部は、やはり日本が世界に誇るべき作家だと言えるでしょう。

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