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紫式部はお札になったのはいつから?二千円札に採用された理由を簡単に解説!

紫式部(生没年不詳)は、平安時代中期に活躍した歌人・作家です。

『源氏物語』や『紫式部日記』などの数々の名作品を残したことで知られています。

そんな紫式部は、実はお札の肖像画に選ばれているのです。

それは、いつから、どのような理由で選ばれたのでしょうか?
この記事では、紫式部のお札について簡単に解説していきます。

紫式部のお札は何?

紫式部はお札の肖像画として採用されているのですが、それはいくらのお札なのでしょうか?

また、いつから発行されているのでしょうか?

ここでは、紫式部のお札について簡単に解説していきます。

紫式部のお札は二千円札!いつから発行されてる?

紫式部が採用されているお札は二千円札です。

この二千円札は、2000年(平成12年)から発行されています。

そして、現在も流通はストップしておらず、2024年(令和6年)の紙幣デザイン変更時にも、そのまま同じデザインが継続されることとなっています。

二千円札には、左側に『源氏物語絵巻』第三十八帖「鈴虫」その二の絵の一部分に、同帖の詞書の冒頭部分を重ね合わせたものを配し、右側には、『紫式部日記絵巻』の一場面にて描かれている紫式部の絵が配されています。

紫式部のお札の表面には守礼門が描かれている?

紫式部の肖像画が描かれている場所は、実はお札の裏面となっています。

二千円札の表面には、沖縄の守礼門が描かれています。

通常、お札の表面には偉人の肖像画が描かれていますが、なぜ二千円札には守礼門が描かれているのでしょうか?

それは、二千円札が発行された2000年が、九州・沖縄サミットの年だったからです。

九州・沖縄サミットを記念し、また、その年が2000年であることから、戦後初めて「2」のつく単位の通常紙幣として発行されたのが、二千円札なのです。

紫式部がお札になった理由は?

紫式部は、二千円札の裏側に印刷されています。

それでは、なぜお札の肖像画として選ばれたのでしょうか?

ここでは、紫式部がお札になった理由を簡単に解説していきます。

お札の顔の選定基準は?

お札の顔の選定基準は、大きく分けると2つあります。

  • 日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること
  • 偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること

つまり、一般的によく知られていて、顔立ちに特徴のある人が選ばれるということです。

紫式部は源氏物語を書いたから選ばれた?

紫式部をお札に採用した理由を、財務省は以下のように説明しています。

「源氏物語が、今からおよそ千年前の平安時代中期、紫式部により書かれた、我が国が世界に誇るべき文学作品であることから、採用したものです。なお、『鈴虫』の詞書については、絵の場面とは異なりますが、『鈴虫』の冒頭にあたり、『すずむし』の文字が見られ、また、文字の美しさという点で評価が高いことなどから採用したものです」

つまり、紫式部は源氏物語という世界に誇るべき文学作品を残したため、お札の肖像画として採用されたというわけです。

紫式部のお札に書かれた歌の意味は?

紫式部の二千円札には、紫式部の肖像画と共に、歌が描かれています。

その歌の意味はどのようなものなのでしょうか?

ここでは、紫式部のお札に書かれた歌の意味を簡単に解説していきます。

紫式部のお札に書かれた歌は詞書の一部分だけ?

紫式部のお札には、『源氏物語絵巻』第三十八帖「鈴虫」その二の絵の一部分に、同帖の詞書の冒頭部分を重ね合わせたものが描かれています。

つまり、詞書の一部分だけが載っているというわけですね。

こちらの詞書の原文は以下のとおりです。

すゝむし
十五夜のゆふくれに仏のおまへ
に宮おはしてはしちかくなかめ
たまひつゝ念珠したまふわかき
あまきみたち二三人はなたてま
つるとてならすあかつきのおとみつ
のけはひなときこゆさまかはりたる
いとなみにいそきあへるいとあわれな
るにれいのわたりたまひてむしのね

(現代語訳)

十五夜の月がまだ影を隠している夕暮れに、佛の御前にお宮がおいでになりまして、端近くお眺めになりながら念誦していらっしゃいます。若い尼たちが二三人、花を奉ろうとして閼伽坏(あかつき)の音や水の音などをさせて、世間離れのした仕事を忙しそうにしていますのも、たいそう哀れなのですが、例のお越しになりまして、「虫の音がしげく鳴きみだれる夕ぐれですね」と、……

これは、八月十五夜の夕暮れ時に、女三宮が庵で仏に念珠し、側の尼たちが仏に具える花や水などの仕事を忙しげにしているところに、光源氏が訪れ、暫く鈴虫、松虫の談義をし、互いの断ち切り難い想いを歌で交わすというシーンです。

このシーンが選ばれた理由は、『すずむし』の文字の美しさが挙げられています。

紫式部のお札に描かれた絵は歌とは違う場面?

先程もお伝えしたように、紫式部のお札に書かれた詞書は、「鈴虫」の帖「その一」のシーンでした。

しかし、それと一緒に描かれている絵は、実は違う場面のものなのです。

描かれているのは、「鈴虫」の帖「その二」のシーンです。

これは、「その一」と同日の夜、光源氏が冷泉院から、十五夜の月を一緒に見たいとの呼び出しを受け、上座(絵の左側)に冷泉院が、下座(絵の右側)に光源氏が座り、親子対面をする場面を表しています。

ちなみに、この二千円札に描かれている絵は、国宝に指定されており、五島美術館に所蔵されています。

二千円札が消えた理由は?

二千円札は現在も流通しているのですが、あまり見かけないなと感じる人が多いのではないでしょうか?

中には「もう二千円札は消えた?」と思っている人がいてもおかしくないくらいです。

どうしてそんなに二千円札の存在が薄いのかと言うと、そもそもの流通量が少ないからです。

二千円札の流通量は、紙幣全体から見るとわずか0.7%に留まります。

この理由としては、対応しているATMが少ないなどが挙げられます。
しかし、その流通量が少ないが故に、偽造のリスクが低いとされ、2024年の紙幣デザイン変更の際にも、現状のものが継続ということになりました。
そのため、紫式部のお札はまだまだ見かける機会がありそうですね。

まとめ:紫式部は世界に誇れる文学作品『源氏物語』を書いたため二千円札に採用された

紫式部は、『源氏物語』という世界に誇るべき文学作品を書いたため、二千円札の肖像画として採用されました。そして、2024年の紙幣デザイン変更後も、そのデザインは継続されることとなっています。

今回の内容をまとめると、

  • 紫式部の描かれているお札は、二千円札
  • 2千円札の表面には守礼門が描かれ、裏面に『源氏物語絵巻』の一部と『紫式部日記絵巻』の紫式部の肖像画が描かれている
  • 二千円札は、流通量が少ないため見かけることは少ないが、2024年の紙幣デザイン変更なしで継続される

千年以上経っても語り継がれるような素晴らしい作品が描かれている紙幣なので、もっと流通量が増えればいいのにと、思わずにはいられません。

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