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細川ガラシャの子孫は現代も続いている?天皇家や政治家にもいるって本当!?

細川ガラシャの子孫は現代にも続いている?天皇や政治家にもいるって本当?

細川ガラシャと言えば、本能寺の変を起こした明智光秀の娘(子孫)として有名です。
戦国時代を代表する美人だったこと、キリスト教を信仰したことでも有名です。
そんな細川ガラシャの子孫は、現代にも続いており、天皇家にも繋がっていることはご存知でしょうか?
今回は細川ガラシャの子孫は、どのようにして現代にまで続いているのか?細川ガラシャの血を引く人物は誰がいるのか?をみていきたいと思います。

細川ガラシャの子孫

細川忠興と細川ガラシャの間に生まれた子供は、3男2女(3男3女とも)といわれています。

・長女:御長おちょう
 前田景定まえだかげさだの正室

・長男:忠隆ただたか
 細川ガラシャ自決後、忠興により廃嫡された

・次男:興秋おきあき
 弟・忠利が嫡子となったため出奔した

・三男:忠利ただとし
 忠隆に代わって細川家の家督を継ぎ、初代肥後熊本藩主となる

・次女:多羅
 稲葉一通いなばかずみちの正室

本能寺の変の後、細川ガラシャの子孫はどこへ行った?

1582(天正10)年、明智光秀が本能寺の変を起こしました。
主君である織田信長を、本能寺で討つといういわゆる謀反起こしました。
その動機は謎のままで、日本史上最大のミステリーとして知られています。
そんな謀反人となった明智光秀の娘である細川ガラシャは、本能寺の変の後、夫の細川忠興により幽閉されます。
当時は、主君を裏切った裏切り者の家系ですので、その風当たりは非常に厳しく生存することすら困難な時期だったようです。

細川ガラシャの子供達は、謀反人の孫として、本能寺の変の後どのような人生を歩んだのでしょうか?それぞれみていきます。

・長女:御長
 ガラシャが幽閉されていた間は、母と離れて育ちました。当時は3~5歳だったようです。
その後、1591(天正19年)年13歳で前田景定の正室となりました。
夫 前田景定は、秀吉の怒りをかい自害しますが、その際、細川家の尽力で離縁し出家したといわれています。

・長男:忠隆
 ガラシャが幽閉されている間は、母と離れて育ちました。当時は2~4歳だったようです。
ガラシャが自決した際、20歳の忠隆は父・忠興と共に遠征に出ていました。
正室の千世が細川ガラシャを置いて逃亡したため、忠興の不信をかい、そのことが原因で離縁を当時の妻と離縁を求められました。
しかし、忠興の要求に応じなかったため1604年(慶長9)年に廃嫡されました。

・次男:興秋
 ガラシャが幽閉されている間に誕生しました。1600年細川ガラシャが自決した時は17歳で、忠興・忠隆と関ヶ原の戦いに共に出陣していました。
1605年(慶長10年)弟・忠利が嫡子となったため、忠利に代わり徳川氏の江戸人質に向かう途中で出奔しゅっぱんしました。
その後、大坂夏の陣では豊臣方に味方し、奮戦しますが豊臣方の敗北により離脱、その後切腹しました。

・三男:忠利
ガラシャが幽閉生活を終え、大阪の屋敷に戻ってから誕生しました。
病弱だったため、細川ガラシャが洗礼を受けさせたと言われています。
1600年(慶長5年)正月から徳川氏の江戸人質になり、ガラシャが自決した当時は屋敷にいませんでした。
長男・忠隆に代わって細川家の家督を継ぎ、初代肥後熊本藩主となります。

・次女:多羅
ガラシャが洗礼を受けた後に生まれました。
多羅も洗礼を受けたとも言われていますが、その生い立ちは定かでありません。1602(慶長7)年、稲葉一通の正室になりました。

細川ガラシャの子孫は現代にも続いているのか?

現代に続くガラシャの子孫と言われている人物は、以下の通りです。

  • 今上天皇きんじょうてんのう
  • 竹田恒泰たけだつねやすさん
  • 細川隆元ほそかわたかちかさん
  • 細川隆一郎ほそかわりゅういちろうさん
  • 細川護熙ほそかわもりひろさん
  • クリス・ペプラーさん

今上天皇(1960年2月23日‐)
今上天皇は、細川ガラシャの長男・忠隆の子孫です。
忠隆と正室の千世には、娘の徳がいました。その徳の子孫が正親町実光おおぎまちさねみつであり、その娘の正親町 雅子おおぎまちなおこ孝明天皇こうめいてんのうの母親です。


細川ガラシャ → 忠隆 → 徳 → 正親町実光 → 正親町雅子 → 孝明天皇 → 今上天皇

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である、明智光秀から繋がり、細川ガラシャの血を引いているのが、現在の今生天皇というのは、不思議な繋がりを感じますね。

竹田恒泰さん(1975年‐)
政治評論家・作家として活躍している竹田恒泰さんは、旧竹田家の出身です。
今上天皇の説明で登場した正親町 実光(おおぎまち さねみつ)の血統は旧皇族の竹田宮家にも繋がっています。つまり、竹田恒泰さんもガラシャの子孫の一人なんです。

細川ガラシャ → 忠隆 → 徳 → 正親町実光 → 光子(竹田宮恒徳王妃)→ 竹田恒泰さん

細川隆元さん(1900年1月17日‐1994年12月19日)
 細川隆一郎さん(1919年1月1日‐2009年8月25日)
政治評論家で元衆議院議員の細川隆元さんや、その甥で政治記者の細川隆一郎さんも、忠隆の系譜に連なる細川ガラシャの子孫です。

細川護熙さん(1938年1月14日‐)
第79代内閣総理大臣・細川護熙さんも、細川ガラシャの子孫として名を連ねることがあります。
しかし、細川護熙さんは肥後細川家の第18代当主ではありますが、細川ガラシャ血を引く直系の子孫ではありません。
細川ガラシャが自決した際、忠隆の正室である千世は屋敷から逃亡しました。
このことが忠興の怒りに触れ、忠隆は細川家から廃嫡されてしまいます。
その後、細川ガラシャの三男・忠利は、廃嫡された忠隆に代わって細川家の家督を譲られ、初代の肥後熊本藩主となりました。
忠利の子孫は繁栄していきますが、七代藩主の細川治年ほそかわはるとしは子どもがおらず、養子が藩主を継ぐことになったため、ガラシャの血統はここで途絶えてしまっています。
 よって細川 護熙さんはガラシャの直系の子孫ではありません。
細川護熙さんの祖母が、忠隆の血筋ではないか?という説があるようですが、定かではないようです。

クリス・ペプラーさん(1957年10月22日‐)
タレント・声優・ナレーターとして活躍中のクリス・ペプラーさんは、明智光秀の子孫の可能性があります。
明智光秀の出自は諸説ありますが、土岐氏から派生したとされており、クリス・ペプラーさんの母方が土岐氏の子孫だそうです。
「土岐氏の子孫=明智光秀の子孫」とは断定できませんが、細川ガラシャにも繋がっているのでは?という可能性を思うと、歴史のロマンを感じますね。

まとめ:細川ガラシャの子孫は、現代にも続いている

熊本城

戦国一の美女ともいわれ、父明智光秀が起こした謀反によって汚名を着せられながらも強く生き、最期は誇り高く自決した細川ガラシャ。
そんな細川ガラシャの子孫は、現代にも続いていました。
簡単にまとめると、

  • 細川ガラシャの子孫は現代にも続いている
  • 現在の今生天皇も系図を辿ると、細川ガラシャの血を引いている
  • 細川護煕さんは、細川ガラシャの子孫でない可能性が高い

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公である明智光秀の娘、細川ガラシャの血が現代にも続いているなんて、歴史ロマンを感じますね。

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