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安倍晴明の伝説は本当?陰陽師として何をしていた?逸話を交えて簡単に解説!

安倍晴明(921(延喜21)〜1005(寛弘2))は、平安時代に活躍していた陰陽師です。1990〜2000年くらいの間に陰陽師ブームが到来し、様々なメディアで「陰陽師」が取り上げられました。

また、最近では、フィギュアスケート選手の羽生結弦さんが、陰陽師モチーフの曲で演技されていたことでも注目されていました。

このように、陰陽師という言葉を通して、安倍晴明のことを知っているという人も多いです。

そんな安倍晴明には、数々の伝説が残されています。

どのような伝説があるのでしょうか?

この記事では、安倍晴明の伝説について、エピソードを交えながら簡単に解説していきます。

安倍晴明の伝説|幼少期から才能があった?

安倍晴明は、陰陽師として活躍したことで知られています。

しかし、実はその才能は幼少期から発揮されていたのです。

ここでは、安倍晴明の幼少期の伝説について簡単に解説していきます。

安倍晴明の母親は妖狐?

安倍晴明の母親は、「葛の葉」という妖狐だという説話があります。

ある時、人間に追われていた葛の葉は、安倍晴明の父親に保護されることとなりました。そして、そのまま2人は結婚することとなり、その後生まれた子供が安倍晴明だと言うのです。

そのため、安倍晴明には半分妖狐の血が流れており、その影響で人が持たないような能力を持っていると考えられました。

また、この伝説を裏付けるかのようなエピソードがあります。

安倍晴明は、幼少期悪食でした。どういうことかというと、安倍晴明は4歳の頃になると、家で蜘蛛やゲジゲジを見つけたら口に入れ、田畑に出ればイナゴやムカデなどをそのまま食べてしまっていたのです。

また、4歳の子供であれば、普通恐れるような蛇を見ても、全く動じなかったという話もあります。

これは、幼少期の人間離れした安倍晴明のエピソードだと言えるでしょう。

安倍晴明は幼少期から鬼が見えた?

『今昔物語集』の記述によると、安倍晴明は幼少期から「鬼」が見えたと言われています。

この時代の陰陽師の仕事には、怨霊や鬼を退治することも含まれていましたから、陰陽師であれば鬼を見ることは可能でした。しかし、その鬼が見える陰陽師の人々も、陰陽師の術を習い、修行を重ねていった結果見えるようになるのであって、幼少期から見えたという人はいなかったのです。

その点を考えると、やはり幼少期から見えた安倍晴明は特殊だったのでしょう。

この伝説には、こんなエピソードがあります。

ある日、安倍晴明が陰陽師の師である賀茂忠行と共に、牛舎に乗って下京に向かったときのことです。

夜だったので、賀茂忠行は牛舎の中ですっかり眠っていました。

この時、安倍晴明は起きていたのですが、少し経ったところで、牛舎の前方から恐ろしい鬼がこちらに向かってくるのが見えたのです。

驚いた安倍晴明は、急いで賀茂忠行を起こし、その事実を伝えます。

そして、目を覚ました賀茂忠行が術を使って、一行の身を隠したため、全員命が助かりました。

この際、賀茂忠行はこんなに幼くても鬼の姿が見えた安倍晴明に才能を感じ、自分のもつすべての術を教え込もうと決意したと言われています。

このように、安倍晴明は幼少期から、陰陽師としての才能があったということですね。

安倍晴明の伝説|陰陽師として数々の伝説を残した?

安倍晴明は陰陽師として、天皇や貴族たちから非常に重用されていました。

具体的にはどのようなことをしていたのでしょうか?

ここでは、安倍晴明の陰陽師としての伝説を簡単に解説していきます。

安倍晴明は時の権力者藤原道長の命を何度も救った?

安倍晴明が活躍していた頃の時の権力者は、藤原道長でした。

実は、安倍晴明はこの藤原道長の命を何度も救っているのです。

その有名なエピソードが2つあります。

1つ目は、ある日藤原道長が外出しようとしたときのこと。

出かけようとする藤原道長を、愛犬たちが必死に止めようとするのです。

その様子を不審に思った藤原道長は、安倍晴明に相談。

すると、安倍晴明は

「蘆屋道満が藤原道長に呪いをかけようとしており、それを犬が察知して騒いでいた」

ということを告げました。

そして、その後安倍晴明は自身の式神を使って、蘆屋道満を捕縛します。

他者の呪術を跳ね除け、逆に捕縛してしまうというところに、安倍晴明の強さを感じ取れますね。

2つ目は、ある初夏のこと。

物忌み中の藤原道長のもとに早成の瓜が献上されてきました。

藤原道長はすぐにでも食べたいと思いましたが、物忌み中であったため、食べても大丈夫かどうかを安倍晴明に占ってもらうことにしました。

すると、ほとんどの瓜は「吉」と出ましたが、ただ1つの瓜だけは「凶」と出たのです。

そこで、その凶と出た瓜を、僧上観修が祈祷したところ、瓜は妖しくゆらゆらと動き始めました。

そして、藤原道長は丹波忠明に向かって「毒気を抑えるように」と命じます。

丹波忠明が、2ヶ所に針を立てると瓜が動かなくなったため、それを源義家が短刀で真っ二つに割りました。

割れた中からは、なんと小さな蛇がとぐろを巻いて出てきたのです。知らずに食べていたらと思うと、ゾッとしますね。

このように、権力者であった藤原道長は何度も命を狙われることがありましたが、それを安倍晴明が救っているのです。

藤原道長が、いかに安倍晴明に信頼を置いているというのもうなずけますよね。

安倍晴明は天皇の退位を防ごうとした?

安倍晴明が66歳のときのこと。

時の天皇、花山天皇は藤原道兼に唆され、天皇を退位することを決意してしまいます。

花山天皇が出家先の花山寺に向かう途中、安倍晴明邸の前を通りました。

その瞬間、安倍晴明は天体の動きから、花山天皇が退位することを察知します。

そして、式神を使って、花山天皇に騙されているということを伝えようとしますが、時すでに遅しで、止めることはできませんでした。

この際には間に合うことができませんでしたが、安倍晴明はこのように常日頃から天体を観測して、様々なことの吉凶を占っていたのです。

安倍晴明は天皇の病を治した?

安倍晴明は、医者でもないのに天皇の病を治したという伝説も残しています。

一条天皇が病に倒れた際には、安倍晴明が禊を行ったことでたちまち病状が回復したと言われています。

さらに、花山天皇が原因不明の頭痛に悩んでいた際にも、安倍晴明がそれを治しているのです。

安倍晴明は、花山天皇の前世を占い、

「不運なことに、前世の骸骨が岩の間に挟まったままでいます」

と告げます。

この骸骨が岩によって圧迫されると頭痛が起きるのだと言うので、花山天皇はその骸骨を岩の間から取り出すことにしました。

すると、その後から花山天皇の頭痛はピタッと起きなくなったということです。

このように、医者でも治せないような病を、安倍晴明が治していました。

安倍晴明の伝説|式神を利用していた?

陰陽師が使う術法の中に、「式神」があります。

式神は、陰陽師が「鬼神」を使役する際に使うものです。

安倍晴明も例に漏れず式神を利用していたと言います。

ここでは、安倍晴明と式神に関するエピソードを簡単に解説していきます。

安倍晴明は他人の式神を操ることもできた?

ある時、安倍晴明邸に老僧が2人の若い童を連れてやってきました。

この老僧は自分が陰陽師であることを隠した上で、安倍晴明の陰陽道について習いたいと言います。

しかし、実はこの老僧が連れてきた2人の童は、老僧の式神だったのです。

これを見抜いた安倍晴明は、老僧の式神を呪を用いて隠してしまいました。

式神を隠されてしまった老僧は、

「どうして人の共を隠してしまわれたのか」

と安倍晴明に問い詰めます。

そこで、安倍晴明は

「あなたが私のことを試そうとしたからだ。他の人であればその方法で試してもよいが、この晴明相手には通用しませんよ」

と諭すのです。

このやりとりで、老僧は安倍晴明には敵わないと感じ、改めて弟子入りすることを決めました。

式神と陰陽師の間には、何らかの契約関係があります。

相手の式神を隠すということは、式神を操っている術を破り、さらにその上で相手の式神に自分の言うことを聞かせるのですから、並大抵の術ではありません。

安倍晴明はそれを平然とやってのけているため、いかにすごい陰陽師であったかということが伺えますね。

安倍晴明は式神を使って蛙を殺してみせた?

陰陽師という存在は、当時の人々にとっても異質な存在で、その術を見てみたいと思う人が多かったようです。

『今昔物語集』には、以下のようなエピソードが書かれています。

ある日、安倍晴明が寺院を訪れると、ある僧から

「式神をお使いになられるなら、人を簡単に殺すこともできるのですか?」

と問われました。

それに対して、安倍晴明は

「力を入れれば殺すことは可能である。虫は少しの力で必ず殺せるが、生き返らせる方法を知らないので、たやすく殺せない」

と答えます。

しかし、ちょうどそこへ蛙が池のほとりへと飛び跳ねていくのが見えました。

それを見た僧たちは

「あの蛙を殺してみてください」

と言います。

安倍晴明は仕方なく、近くに生えていた草の葉を摘み切って、呪文を唱えるようにして蛙に投げました。

すると、その草の葉が蛙の上に乗った瞬間に、蛙はぺちゃんこに潰れて死んでしまったのです。

これを見た僧たちは顔色が変わり、あまりの恐ろしさにゾッとしたと言われています。

安倍晴明は家事などを式神にやらせていた?

式神の出番は、戦いや呪い、偵察などだけではありませんでした。

なんと陰陽師の家事の手伝いやおつかいをしていたこともあったのです。

安倍晴明ほどの優秀な陰陽師は非常に忙しい日々を送っていました。そのため、自分の身の回りのことをしている暇がありません。

そこを補ってくれていたのが式神です。

その影響か、安倍晴明の家の門は人が見えないのに、勝手に開閉しているという光景がよく見られたそうです。

ちなみに、安倍晴明の妻は式神の存在を怖がっていました。

そのため、安倍晴明は家とは別に小屋を作って、そこでひっそりと式神を住まわせていたようです。

まとめ:安倍晴明の伝説は安倍晴明のすごさを十分に表したものばかりだった

安倍晴明は、幼少期からその才能を発揮しており、陰陽師として活躍し始めてからも、普通の人にはできないようなことばかりやってのけていました。

今回の内容をまとめると、

  • 安倍晴明は幼少期から鬼が見えたりと、その才能を発揮していた
  • 安倍晴明は、陰陽師として、天皇や時の権力者などを何度も助けていた
  • 安倍晴明は、陰陽師の中でも非常に力が強く、一線を画していた

安倍晴明のように、これだけ強大な力を持つと、大抵の人は奢ったり、弱い者いじめをしたりなどしてしまうものです。しかし、安倍晴明はそのようなことはなく、その力をしっかりと制御し、他人のために使用し続けました。このようなところからも、安倍晴明が陰陽師としても、1人の人としても、いかに優秀な人物であったのかが伺えますね。

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