福沢諭吉の出身地は中津ではない!?ゆかりの地をエピソードを交えてご紹介!
一万円札の顔として日本人に長く親しまれている福沢諭吉。
慶應義塾大学を設立したり「学問のすゝめ」を出版したり、数々の功績を残しています。
そんな福沢諭吉の出身地といえば、大分県中津市を思い浮かべる人も多いでしょう。
しかし、福澤諭吉の正確な出身地は中津市ではありません。
今回は福沢諭吉の出身地がどこなのか、福澤諭吉とゆかりの地をご紹介します。
目次
福沢諭吉の出身地は中津ではない!?
福沢諭吉といえば大分県中津市の偉人として知られています。
しかし、実際に生まれた場所は中津市ではありません。
ここでは、福沢諭吉の出身地について詳しく調べてみました。
福沢諭吉は大阪出身
福沢諭吉は1835年(天保5年)、摂津国大坂堂島新地五丁目(現・大阪府大阪市福島区福島一丁目)にある中津藩(現:大分県中津市)の蔵屋敷で福澤百助の次男として生まれました。
父親は武士ではあったものの、身分があまり高くない下級武士でした。
その父も福澤諭吉が1歳6ヶ月の時に亡くなり、母とともに中津に帰郷しています。
福沢諭吉は大阪で学問に励んだ
中津に帰った福澤諭吉の生活は、決して裕福ではありませんでした。
母親を助けるために内職を行いながらも勉学に励み、14、5歳のときに儒学者・白石照山の塾に入ります。
勉強を始めるとすぐに頭角を表し、兄の勧めもあり1854年(安政元年)、19歳の時に蘭学を学ぶため長崎に遊学しました。
翌年の1855年(安政2年)からは、大坂の緒方洪庵の適塾で猛勉強に励みました。
福沢諭吉は緒方洪庵の影響を多大に受けた
福沢諭吉は、緒方洪庵が開いた大阪の適塾で学び、多大な影響を受けました。
緒方洪庵は蘭学の第一人者であったため、福澤諭吉は適塾で生理学、医学、物理学、化学等の原書に触れることになります。
大阪で体調を崩した福澤諭吉は、一度中津に帰省しましたが、大阪で学ぶことを諦めきれず、家族の反対を押し切り、再度、適塾で学ぶようになります。
安政4年(1857年)、福澤諭吉は勉学に励んだ結果、最年少22歳で適塾の塾頭となりました。
適塾で医学や生理学に触れたことで、後に細菌学者・北里柴三郎を支援する事になったのかもしれません。
福沢諭吉は江戸でひらいた蘭学塾が慶應義塾大学の前身
1856年(安政3年)、福沢諭吉が再び大坂で学んでいたとき、兄・三之助が死に福沢家の家督を継ぐことになります。
1858(安政5)年には、藩の命令で江戸の中津藩中屋敷で蘭学塾を開きました。
この蘭学塾が、慶應義塾大学のはじまりです。
このとき福澤諭吉は25歳の若さでした。
福沢諭吉が蘭学塾をひらいた場所はどこ?
福沢諭吉が江戸で蘭学塾を開いたのは築地鉄砲洲(現:中央区明石町一帯)にあった奥平家の中屋敷でした。奥平家は中津藩家老の家柄です。
実は当時の当主・奥平 壱岐は諭吉のオランダ語の上達を妬むなど嫉妬心が強い人物でしたが、福沢諭吉の能力は認めており、後に福沢諭吉の門下に入門しています。
現在は、奥平家の中屋敷があった場所に「慶應義塾発祥の地記念碑」が建てられています。
福沢諭吉と大分の関係
福沢諭吉は大阪にある中津藩の蔵屋敷で生まれたため、出身地は大阪ということになります。
しかし、父・百介が亡くなった後は中津藩にもどっており、少年時代を大分で過ごしました。
もともと中津藩の武士であったため、大分は第二の故郷と言えるのかもしれません。
現在は中津市に福澤諭吉旧居・福澤記念館が建てられています。
福沢諭吉が最初に住んだ家は現存しませんが、宅跡として整備され見学することができます。
大分県中津市の福沢諭吉記念館にある1万円札の1号券
大分県中津市にある福沢諭吉記念館は諭吉の遺品・遺墨・書籍などの資料を展示しています。
福沢諭吉は、1万円の顔として有名ですが、その中でも貴重な1万円札の1号券が福沢諭吉記念館にあります。
日本銀行の好意により、福沢諭吉とゆかりのある中津市へ寄贈されたものだそうです。
〒871-0088 大分県中津市留守居町586
TEL:0979-25-0063
高校生以上 個人:400円/団体(20名以上):300円※事前予約制
中学生以下 個人:200円/団体(20名以上):150円※事前予約制
未就学児 無料
障がい者手帳をお持ちの方 無料
中津市在住の65歳以上の方 無料
開館時間:9:00~17:00(最終入館受付16:30まで)
大分県は日銀総裁を最も多く排出している
大分県は全国の都道府県の中でも、特に日本銀行と関わりが深いということをご存知でしょうか?
歴代の日本銀行総裁31代のうち、4人・5代を大分県出身者が占めています。
総裁経験者数(4名):全国1位(東京都と同率)
就任回数(5代):全国1位(単独1位)
特に、第5代日本銀行総裁の山本達雄氏は福沢諭吉に憧れ、3年間の教員生活を経て慶応義塾に入学し、福沢諭吉から英語を習ったそうです。
まとめ:福沢諭吉の出身は大阪。中津や江戸もゆかりの深い地だった。
大分県出身のイメージが強い福沢諭吉ですが、実は大阪が出身地でした。
また、日銀の総裁や1万円札の1号券などお金にゆかりのある人物ということもわかりました。
今回の記事をまとめると
- 福沢諭吉の出身地は大阪府
- 大分県中津市では幼少期を過ごし、福沢諭吉記念館もある
- 福沢諭吉は、蘭学の第一人者である緒方洪庵の影響を受けている
- 福沢諭吉は、江戸で蘭学の塾を開き、その塾が慶應義塾大学の前身となった
- 1万円札の1号券は大分県中津市の福沢諭吉記念館にある
- 大分県は日銀総裁を最も多く排出している
歴代の日銀総裁の中には福沢諭吉に学んだ人物もおり、福沢諭吉はお金に縁がある人物という印象を受けます。もしかしたら、これからも福沢諭吉に縁がある人が紙幣に登場するかもしれませんね。