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平安時代の建物の特徴は?寝殿造りとは?貴族と庶民では違った?有名な建物は?

平安時代(794(延暦13)〜12世紀末)は、桓武天皇が平安京に都を移してから、鎌倉幕府が成立するまでの約390年間のことです。

古代の末期とも、中世の萌芽期とも言われており、古代から中世の過渡期になる大事な時代に当たります。

そんな平安時代の建物にはどのような特徴があったのでしょうか?

現存する、有名な建物はあるのでしょうか?

この記事では、平安時代の建物について簡単に解説していきます。

平安時代の建物|貴族編

平安時代は、貴族と庶民で住んでいる建物が違いました。

貴族はどのような建物に住んでいたのでしょうか?

ここでは、平安時代の貴族が住んでいた建物について簡単に解説していきます。

貴族は寝殿造りに住んでいた

平安時代の貴族は、「寝殿造り」という建築様式の建物に住んでいました。

この寝殿造りの建築様式は、中国古来の宮殿建築をベースに、日本文化を取り入れたもので、10世紀頃にほぼ完成したと言われています。

寝殿造りの特徴とは?

寝殿造りの特徴は、「自然との調和」が挙げられます。

日本には昔から四季があり、湿気が多い気候という特徴があります。

そのため、寝殿造りでは、夏の強い日差しを遮ったり、湿気がこもらないように風通しが良かったりと様々な工夫がされています。

そのような工夫が施された上で、さらに四季の美しさを楽しむことが重要視されている、上品で繊細な建築様式だと言えるでしょう。

一般的な形式としては、

  • 大きな敷地内の中央に主人の住む「寝殿」が置かれている
  • 東西北の三方に家族の住む「対の屋」が置かれている
  • 寝殿と対の屋の間は「渡殿」や「透渡殿」という渡り廊下で結ばれている
  • 寝殿の南側には池や庭園が置かれている
  • 東西の対の屋の南には「釣殿」や「泉殿」が置かれている

以上のような配置でした。

ちなみに、お客をもてなしたり、儀式や行事をしたりした場所は、寝殿でした。

室内の特徴としては、ほとんど壁がないことが挙げられます。

屏風や布、衝立を用いて、自由にスペースを使っていました。

平安時代の建物|庶民編

平安時代の貴族は寝殿造りという建物に住んでいました。

では、庶民はどのような建物に住んでいたのでしょうか?

ここでは、平安時代の庶民の住んでいた建物について簡単に解説していきます。

京に住んでいた庶民は長屋に住んでいた?

庶民の中でも、京に住んでいた者と、地方の田舎にいた者とでは、住んでいる建物が違いました。

京に住んでいた庶民は、ほとんどの人が持ち家を持っておらず、「長屋」と呼ばれる建物に住んでいました。

長屋では、一つの建物に複数の家族が入居することで、土地や建築費を節約することができました。

しかし、当時の長屋は木造で、壁は藁や土で塗り固められていた関係で、火災や地震に弱かったり、衛生面にも問題があったりと、とても快適とは言えない建物であったと言えるでしょう。

地方の田舎にいた庶民は未だに竪穴式住居だった?

京に住んでいた庶民は、長屋に住んでいましたが、地方の田舎にいた庶民は、以前として「竪穴式住居」に住んでいました。

竪穴式住居は、旧石器時代や縄文時代などに作られた住まいで、地面を掘って窪みを作り、柱を立てて葦などの植物で屋根を覆っています。

ちなみに、東北地方では、室町時代までこの竪穴式住居に住んでいたと言われています。

平安時代の建物で現存する有名なものは?

平安時代にも、もちろん住居以外の建物も存在しています。

その中には、現存する建物があるのです。

ここでは、平安時代の建物で、現存する有名なものを簡単に解説していきます。

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂は、10円玉に描かれていることで知っているという方も多いのではないでしょうか?

現存する寝殿造りの建築物の中でも代表的なもので、1994年には「古都京都の文化財」の1つとして世界遺産に登録されています。

建設当時は、「阿弥陀堂」「御堂」などと呼ばれていましたが、後の時代になって、「鳳凰が羽を広げているような形状」ということから「鳳凰堂」と名付けられました。

また、平等院鳳凰堂は、元々寝殿造りで建てられた平等院という寺院の建物のうちの1つでした。しかし、平等院の鳳凰堂以外の建物は、戦乱や災害などによって滅失してしまったのです。

平等院鳳凰堂:京都府宇治蓮華116

平等院鳳凰堂の公式サイト>>

中尊寺金色堂

中尊寺は、現在の岩手県平泉町にある寺院です。

金色堂は平安時代後期を代表する建物で、国宝にも指定されています。

浄土教建築の寺院であり、内部は金箔で飾られて極楽浄土が表現されています。

また、金色堂を建てた藤原清衡のミイラ化した遺体が納められていることでも有名です。

中尊寺金色堂:岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202

中尊寺金色堂の公式サイト>>

醍醐寺 金堂

醍醐寺は、現在の京都市伏見区にある寺院です。こちらも平等院鳳凰堂と同じく、「古都京都の文化財」の1つとして世界遺産に登録されています。

当時は「釈迦堂」と言われていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。現存している金色堂は、豊臣秀吉の命によって紀州湯浅から移築が計画され、秀頼の時代に完成したものです。

醍醐寺:京都市伏見区醍醐東大路町22

醍醐寺の公式サイト>>

まとめ:平安時代の建物は上品かつ繊細な特徴をもつものが多く建てられていた

平安時代の建物は、身分によって住んでいる建物が違いました。また、貴族の住んでいた寝殿造りは、自然との調和を大事にしており、非常に上品で繊細という特徴を持っていました。

今回の内容をまとめると、

  • 平安時代は身分によって住んでいた建物が異なっていた
  • 平安時代の貴族は、寝殿造りに住んでいた
  • 寝殿造りは、上品で繊細な建物であった
  • 平安時代に、京にいた庶民は長屋に住んでいた
  • 平安時代に、地方の田舎にいた庶民は未だに竪穴式住居に住んでいた

平安時代の建物を代表とする「平等院鳳凰堂」は、普段私達が使う10円玉に描かれています。そのため、平安時代の建物のイメージは非常に湧きやすく、身近なものとして感じることができますね。

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