徳川吉宗には妻が沢山いた?子供は何人?正室、側室、大奥のエピソードを解説!

徳川吉宗には妻が沢山いた?子供は何人?正室、側室、大奥のエピソードを解説!

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徳川吉宗とくがわよしむねは、江戸幕府8代将軍であり、享保の改革を行ったことで有名な人物です。
時代劇「暴れん坊将軍」のモデルとなった人物としても有名ですよね。

徳川吉宗には正室が1人、側室が6人で合計7人の妻がいたとされています。

徳川吉宗は、4人の子供の男子と1人の女子に恵まれ、養子も2人いました。

今回は、徳川吉宗には妻が何人いたのか?子供は何人だったのか?また、正室や側室、大奥でのエピソードを解説していきます。

徳川吉宗には妻が7人いた?

徳川吉宗の妻は、正室が1人、側室が6人、合計7人いたとされています。

【徳川吉宗の妻たち】

  • 正室:真宮理子女王さなのみやまさこじょおう
  • 側室:須磨すま・・・長男・徳川家重とくがわいえしげ(9代将軍)の母
  • 側室:古牟こん・・・二男・徳川宗武とくがわむねたけ(田安徳川家初代)の母
  • 側室:梅・・・三男・源三、四男・徳川宗尹とくがわむねただ(一橋徳川家初代)の母
  • 側室:久免くめ・・・長女・芳姫の母親
  • 側室:おさめ
  • 側室:お咲

徳川吉宗の正室は、真宮理子女王

徳川吉宗は、紀州藩第5代藩主だった頃の1706年(宝永3年)、皇族から真宮理子女王を正室に迎え入れました。

真宮理子女王は、結婚して2年後に懐妊しますが死産となり、産後の肥立ちが悪く、そのまま亡くなってしまいます。享年20才でした。

その後、徳川吉宗は第8代将軍の座についても、二度と正室を迎えることはなく、徳川吉宗の正室の座は空席のままでした。

徳川吉宗には6人の側室がいた?

徳川吉宗には、側室が6人いたと言われていますが、実際はそれよりも多くの女性と関わりがあったとも言われています。

徳川吉宗は、相当女性が好きな性格だったようで、将軍になる前の紀伊藩時代は、少しでも気に入る女性にはすぐに手をだしていたとのエピソードも存在するほどです。

徳川吉宗は、女性の好みの幅も広く、側室たちの容姿も性格も見事なほどにバラバラだったそうです。

徳川吉宗の妻で、最も長生きしたのは久免

徳川吉宗の妻たちの中で、最も長生きしたのは久免です。

平均寿命が30歳ともいわれている江戸時代で、久免はなんと81歳まで長生きしました。

徳川吉宗の他の妻たちは、20歳で亡くなった正室の清宮理子女王をはじめとして、久免以外の全員が20歳代で亡くなっています。

その死因の多くが産後の時期に亡くなっており、当時の出産が命がけだったことが伝わります。

子供も幼くして亡くなることも多く、久免が徳川吉宗との間に授かった芳姫も生まれた翌年には亡くなっています。

徳川吉宗の妻たちの享年と死因は以下の通りです。

【徳川吉宗の妻たちの、享年と死因】

  • 正室:真宮理子女王:1691年(元禄4年)誕生- 1710年(宝永7年)享年20歳
    産後の肥立ちが悪く亡くなる
  • 側室:須磨:1688年(元禄元年)誕生-1713年(正徳3年)享年26歳
    難産のため母子ともに亡くなる
  • 側室:古牟:1696年(元禄9年)誕生- 1723年(享保8年)享年28歳
    死因不明
  • 側室:梅:1700年(元禄13年)誕生-1721年(享保6年)享年22歳
    死因は不明だが、徳川宗尹を出産した年に亡くなっている
  • 側室:久免:1697年(元禄10年)誕生- 1777年(安永6年)享年81歳
  • 側室:おさめ:不明
  • 側室:お咲(さき)不明

徳川吉宗に、子供は何人いた?

徳川吉宗には、5人の子供がいたと言われています。

さらに、徳川吉宗は5人の子供に加えて、竹姫たけひめ利根姫とねひめを養女として迎え入れています。

徳川吉宗の子供たち

徳川吉宗の5人の子供は、男子が4人と女子が1人。
しかしながら、三男の源三と長女の芳姫は幼くして亡くなり、徳川吉宗の長男 徳川家重が次の将軍を継いでいます。

【徳川吉宗の子供たち】

  • 長男:徳川家重[江戸幕府9代将軍]
  • 次男:徳川宗武[田安徳川家初代]
  • 三男:源三
  • 四男:徳川宗尹[一橋徳川家初代]
  • 長女:芳姫

徳川吉宗の養子たち

徳川吉宗は竹姫と利根姫を養女として迎え入れています。

【徳川吉宗の養子】

  • 養女:竹姫
  • 養女:利根姫

徳川吉宗の養子となった悲劇の女性「竹姫」

徳川吉宗の養子の1人である竹姫は、運命と時代に翻弄された悲劇の女性としても有名です。

竹姫は、徳川幕府5代将軍の徳川綱吉の側室である寿光院じゅこういんの姪として生まれました。

徳川綱吉と寿光院には子供ができなかったため、当時4歳の竹姫を養女としました。

寿光院の養女となった竹姫は、さっそく会津藩主の嫡男と婚約します。
しかし、婚約したわずか5か月後に婚約者は亡くなってしまい、結婚することはできませんでした。

翌年、竹姫は皇族の有栖川宮正仁親王ありすがわのみやただひとしんのうと婚約を結びます。
結納まで済ませ、あとは輿入れするだけという時、またしても婚約者は亡くなってしまいます。

婚約者が続けて亡くなるという、それだけでも悲劇です。
しかし、竹姫の悲劇はまだ続くのです。

徳川吉宗が将軍の座につくと、竹姫を自分の養女として、新たな輿入れ先を探します。

竹姫を、徳川吉宗の正室へと推す力もありましたが、徳川吉宗にとって竹姫は大叔母にあたる存在です。
強力な反対意見により、この縁談も立ち消えたのでした。

2度も婚約者を亡くしたことで、不吉な噂が立ってしまった竹姫の婚姻相手探しは難航しました。

家の圧力をかけて、ようやく承諾を得られたのが薩摩藩主の島津継豊しまづつぐとよとの縁組でした。

竹姫と島津継豊の中は決してよかったとはいえませんでしたが、竹姫は生涯、島津家と徳川家の架け橋として尽力しました。

徳川吉宗の子供たちから生まれた「徳川御三卿」

徳川吉宗の子供たちから、徳川御三卿が生まれました。

【徳川御三卿】

  • 田安徳川家・・・次男 徳川宗武が祖
  • 一橋徳川家・・・四男 徳川宗尹が祖
  • 清水徳川家・・・長男 徳川家重の次男 徳川重好とくがわしげよし

徳川御三卿は、徳川将軍家や徳川御三家に後継ぎがいないときに、将軍家へ後継者を提供する役割を担っていました。

徳川吉宗の次男 宗武から分派した「田安徳川家」

徳川吉宗の次男である徳川宗武が設立したのが、田安徳川家です。

尾張徳川家12代・3代藩主、紀伊徳川家13代藩主、徳川宗家16代当主を輩出しています。

田安徳川家は現在も続いており、德川宗英とくがわむねふさ氏が11代当主に就いています。

徳川吉宗の四男 宗尹から分派した「一橋徳川家」

徳川吉宗の四男 徳川宗尹が設立したのが、一橋徳川家です。

江戸幕府11代将軍の徳川家斉とくがわいえなり、15代将軍の徳川慶喜とくがわよしのぶを輩出しています。

一橋徳川家も現在まで続いており、徳川宗親とくがわむねちか氏が14代当主に就いています。

徳川吉宗の孫 重好から分派した「清水徳川家」

徳川吉宗の長男 徳川家重の次男 徳川重好もが設立したのが、清水徳川家です。

紀伊徳川家11代・12代藩主、水戸徳川家11代藩主を輩出しています。

清水徳川家も現在まで続いており、徳川豪英氏とくがわたけひでが9代当主を務めています。

徳川吉宗と大奥の関係は?エピソードをご紹介!

徳川吉宗は、当時困窮していた幕府の財政の再建に取り組みました。
さまざまな再建のための政策を行いましたが、その中でも有名なのが、大奥の整備です。

徳川吉宗は、大奥の大幅なリストラを行った!?

当時の大奥には沢山の女性が住んでおり、その費用は当然のことながら幕府から出ていました。

徳川吉宗が第8代将軍に就任した頃、米の価格の下落などにより、江戸幕府は財政難に陥り困窮していました。
財政改革を進めたい徳川吉宗はが目をつけたのが大奥、そうして大奥の大幅なリストラを行ったのです。
そしてその方法は、徳川吉宗らしいユニークなものでした。

まず、徳川吉宗は大奥を訪れ、「美女を50人集めろ」と指示を出しました。

大奥に住む女性たちは、将軍の妻になれるチャンスと舞い上がったことでしょう。

しかし、集まった美女に対して徳川吉宗はリストラを宣告ます。

徳川吉宗は
「顔の美しい女性ならば、大奥をリストラされてもすぐに嫁ぎ先がみつかり、幸せな人生を送れるだろう」
と考え、美しい女性をまずリストラしたと言われています。

50人の美女が大奥から出されることで、そのお世話をしていた人々もリストラ対象になります。

こうして徳川吉宗は4,000人いた大奥の人数を、1,300人まで減らすことに成功したのでした。

「美しい女性は、嫁ぎ先が見つかりやすいだろう」という、理由でリストラの対象としていくあたり、徳川吉宗のスマートな発想ですね。

まとめ:徳川吉宗には妻が7人、子供も7人いた。その子供たちから分派して徳川御三卿が生まれた

徳川吉宗には正室が一人と側室が6人、子供も養子を併せて7人いました。
また、徳川吉宗の子供たちから派生して、徳川御三卿が設立されています。

今回の内容をまとめると、

  • 徳川吉宗は1人の正妻と6人の側室がいた
  • 徳川吉宗は5人の子供と2人の養子がいた
  • 徳川吉宗の子供や孫が、徳川御三卿を設立した。
  • 徳川吉宗は、大奥の大幅なリストラを行い、幕府の財政立て直しを図った

徳川吉宗の妻たちや子供、竹姫の婚約者などが次々に若くして亡くなっていることを知り、当時と現代の環境的な違いを強く感じることができますね。

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