犬養毅の子孫は現在まで続いてる?家系図で簡単に解説!子孫には安藤和津も?

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犬養毅(1855(安政2)〜1932(昭和7))は、第29代内閣総理大臣などを務め、護憲運動に奔走し、国民主権の実現に貢献した日本の政治家です。五・一五事件で暗殺されたことでも有名な犬養毅ですが、その子孫は現在まで続いているのでしょうか?

この記事では、犬養毅の家系図を見ながら、その子孫は現在も続いているのか?簡単に解説していきます。

犬養毅の家系図をわかりやすく解説!

犬養毅の家系図

犬養毅の家族構成はどうだった?
【犬養毅のプロフィール】

犬養毅(いぬかいつよし)
1855年(安政2年)〜1932年(昭和7年) 享年:78歳
父:犬養源左衛門
母:嵯峨
妻:千代子
妾:斎藤仙
子:操、彰、健

犬養毅は、1855年(安政2年)に備中国(現在の岡山県)で、犬養源左衛門と嵯峨の次男として生まれました。その後、千代子と結婚し、子供を1人(操)授かります。

正妻との間には男児が生まれなかった犬養毅でしたが、妾との間には、2人の男児を授かります。
つまり、犬養毅の子供は3人いたということになります。

ちなみに、犬養毅の後家督を継ぐのは、長男である彰の予定でしたが、彰は妻・千代子とそりが合わず、廃嫡されてしまい、代わりに次男の健が家督を継ぐことになったのでした。

犬養毅の先祖は桃太郎の犬のモデルとなった人?

犬養毅の家系である犬養家の祖先はなんと、童話『桃太郎』の犬のモデルとなった人物だと言われています。

岡山の桃太郎伝説では、桃太郎が吉備津彦命(きびつひこのみこと)だとされています。

そして、その吉備津彦命の家臣に、犬飼部犬飼健命(いぬかいべのいぬかいたけるのみこと)、猿海部楽々森彦命(さるかいべのささきもりひこのみこと)、鳥飼部留玉臣(とりかいべのとりたまおみ)という3人が、桃太郎のお供の犬・猿・雉のモデルになったと言われています。

この犬飼部犬養健命こそが、犬飼家の祖先だとされているのです。

犬養家は、桃太郎伝説で有名な吉備津神社や吉備津彦神社と関わりが深いため、この説は有力であると言えるでしょう。

犬養毅自身は暗殺された

犬養毅は五・一五事件(1932年)にて、暗殺されてこの世を去りました。
そのときのエピソードが犬養毅の人柄をよく表しています。

その日、犬養毅は総理公邸で休日を過ごしていました。
そこに、ピストルを持った海軍の青年将校たちが乱入してきます。
犬養毅を見つけた襲撃犯の一人が即座に引き金を引きましたが、弾が入っておらず不発に終わりました。
その様子を見た犬養毅は、「撃つのはいつでも撃てる。あっちへ行って話を聞こう」と言って、応接室に一団を案内します。

応接室に案内した毅は、靴でも脱いだらどうだと言い、煙草まで勧めたと言われています。
しかし、話し合おうとした瞬間に、後続の4人が応接室に乱入し、「問答無用、撃て」の叫び声とともに発砲してしまいました。

犬養毅はそれが顔面に被弾して鼻から血を流していましたが、意識がはっきりとしていて、駆け寄ってきた女中に「呼んで来い、いまの若いモン、話して聞かせることがある」と命じたそうです。
その後、犬養毅は夜22時頃まで「心配するな」と口にするほど元気にしていましたが、23時頃には衰弱しきってしまい、そのまま亡くなってしまいました。

襲撃者に対して、怒るでもなく「話せば分かる!」と話し合いの姿勢を見せていた毅の、気概のようなものを感じるエピソードですね。

ちなみに、犬養毅の葬儀には、あの世界的に有名な喜劇王・チャーリー・チャップリンからも弔電があったそうです。いかに毅が世界に名を馳せていたかが伺えますね。

犬養毅の子孫は現在も続いている?

犬養毅には、子供が3人いました。それぞれが子供を残したわけですが、子孫は現在まで続いているのでしょうか?ここでは、犬養毅の子孫について簡単に解説していきます。

現在の当主・犬養拓さんは母方の祖先もすごい人?

犬養毅はその生涯で、3人の子供を残しました。

その後も犬養家は現在まで続いており、現当主は犬養拓さんという方です。

犬養拓さんは、ゲストハウス「有隣庵」、雑貨店「美観堂」、スイーツショップ「はれもけも」といった、岡山の人気スポットを多数経営している「株式会社有隣」の代表を務めていらっしゃいます。

拓さんの父方の曽祖父が毅にあたるのですが、実はこの方の母方の祖先もすごい人物なのです。

母方の曽祖父にあたる人物は、大原孫三郎さんで、この方は倉敷の実業家さんでした。

倉敷紡績、倉敷絹織(いずれも繊維・科学分野の一大企業)、中国合同銀行(現在の中国銀行)などの社長を務めたり、美術館や病院も建てたりしていました。

つまり、犬養拓さんはすごい実業家とすごい政治家の血を引いたサラブレッドということになります。

犬養毅の子孫の著名人たちを紹介

犬養毅の子孫の中には、著名人も数多く存在しています。
ここでは、犬養毅の子孫の主な著名人たちを簡単にご紹介していきます。

犬養毅の子孫「犬養健」さん

犬養毅の跡を継いだのは、犬養健さんです。

健さんは、東京帝国大学の哲学科(現在の東京大学)に進学したいわゆるエリートでした。

しかし、そこを中退し、雑誌「白樺」に所属する白樺派の作家となって、小説を執筆し始めます。
そして、30歳を超えてからは政治家として活動をしていきます。

1952年からは、第4次、第5次吉田茂内閣の法務大臣を務めましたが、吉田内閣が収賄事件「造船疑獄」によって崩壊すると、健さんも公職を追放されてしまいました。

犬養健さんも、犬養毅と同様に時代の混乱に巻き込まれてしまったというわけですね。

犬養毅の子孫「緒方貞子」さん

日本人として初の、国連難民高等弁務官やアフガニスタン支援政府特別代表を歴任された緒方貞子さんも犬養毅の子孫にあたります。

貞子さんの母親の恒子さんは、芳澤謙吉と毅の子供である操の子供なのです。
つまり、貞子さんの祖父が犬養毅になるということですね。

ちなみに、貞子さんの命名をしたのは犬養毅だったようです。

犬養毅の子孫「安藤和津」さん

犬養毅の子孫には、エッセイストやニュースキャスターとして活躍していらっしゃる安藤和津さんもいます。安藤和津さんは毅の次男である健さんの子供になります。

健さんには、妻の他にも愛人がおり、和津さんはその愛人との間に生まれ、非嫡出子でしたが、後に正式な子供として認められました。

和津さんは、上智大学文学部独文科へ進学し、その後イギリス留学を経て、エッセイストやニュースキャスターとして活躍することとなりました。

1979年には俳優の奥田瑛二さんと同棲をした後、結婚しています。

2人の間には2人の子供ができたのですが、その子供2人もすごい人物です。

長女の安藤桃子さんは、ロンドン大学およびニューヨーク大学を出て映画監督になり、次女の安藤サクラさんは、学習院女子大学を出て女優となりました。
サクラさんのデビュー作でもある『風の外側』は、父・奥田瑛二さんが監督を、姉の桃子さんが助監督を務め、母・和津さんも出演しているという家族総出で作り上げられた作品でした。

また、2014年には、桃子さんの小説『0.5ミリ』が映画化されたのですが、これは桃子さんが監督を務め、主演をサクラさんが演じるという姉妹で作り上げた作品となっています。

このように和津さんの家族はまさに芸能一家と言えるでしょう。

まとめ:犬養毅の子孫は現在まで続いていて、著名人も数多く存在していた

犬養毅は暗殺されてこの世を去ったが、子供を3人残していました。そして、そこから子孫は続いていき、現在まで毅の血は受け継がれています。

今回の内容をまとめると、

・犬養毅は正妻と愛人の間に子供を3人授かった

・毅自身は暗殺されて亡くなった

・毅の子孫は現在まで続いている

・子孫の中には、緒方貞子さんや安藤和津さんといった著名人が多数いる

犬養毅の子孫たちも、毅同様、自分の信念のために精力的に活動されている方が多くいらっしゃいました。それは、毅の血が「自分の信念は曲げずに貫き通せ」と動かしているのかもしれません。

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