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黒田官兵衛の名言集|性格や人物像がわかるエピソードを交えて簡単に解説!

黒田官兵衛(1546(天文15)〜1604(慶長9))は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武将で、軍事的才能に優れており、竹中半兵衛と共に豊臣秀吉の参謀としても有名です。
そんな黒田官兵衛はいくつかの名言を残しています。
この記事では、黒田官兵衛の性格や人物像がわかるエピソードを交えながら、簡単にその名言について解説していきます。

黒田官兵衛の名言1:その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが〜

黒田官兵衛の名言:
「その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。目利きの違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い」

現代語訳:
職務を果たせなかったりミスをした人をすぐに罰しているけれど、よく考えてみればその職を与えたのは主君である。適所を与えられなかった主君の罪は、ミスをした家臣よりも重いのだ

未熟なところのある部下にその仕事を任せたのは上司ですよね。

普通であれば、部下は上司に逆らうことができませんから、たとえ不得意な仕事であっても一生懸命こなそうとするはずです。

それでも、やはり不得意なことに失敗はつきもの。

その部下の失敗に対して、怒ったり罰を与えたりすることは容易いかもしれませんが、よくよく考えてみると自分の管理能力不足を披露しているようなものなのです。

つまり、この名言から黒田官兵衛は、人の上に立つのならば、部下の得意不得意を把握し、適材適所に人員配置するくらいの気配りが必要だということを言っているわけですね。
部下の全ての責任を背負う必要はありませんが、人の上に立つのであればそのくらいの心構えは持っておきたいですね。

黒田官兵衛の名言2:神の罰より主君の罰おそるべし〜

黒田官兵衛の名言:
「神の罰より主君の罰おそるべし。主君の罰より臣下の罰おそるべし。そのゆえは神の罰は祈りてもまぬるべし。主君の罰は託言して謝すべし。ただ臣下百姓にうとまれては必ず国を失う。ゆえに祈りても託言してもその罰はまぬかれがたし。ゆえに神の罰、主君の罰より臣下万民の罰はもっとも恐れるべし」

現代語訳:
神の罰よりも主君の罰よりも、何よりも気をつけなければならないのは臣下による罰である。
神には祈ることで許される。主君に対しても、心から詫びれば許しを請うこともできるだろう。
しかし、部下や民衆に一度でも恨まれれば国を失うことになる。
祈っても詫びても許しを得られる機会などもうないのだから、下の者達の恨みを買うことのないように配慮すべきだ

神様へは、クリスチャンであれば懺悔をして許される機会などがありますよね。
主君にも、厳しい状況であっても、心から謝罪すれば言い分を聞いてもらえるチャンスはあるでしょう。しかし、自分が上の立場である場合はどうでしょうか?
なかなか立場上、臣下や民衆に頭を下げるということはしづらくなります。
そのため、一度でも恨まれてしまうと、許してもらえるチャンスが非常に少ないわけです。

自分の領地を支えてくれているのは、他でもない領民であり、臣下たちです。
「臣下たちを敵に回すということは、自分の国を失うことになるから、普段からそこまで気を配れ」
とこの名言は伝えてくれているのですね。また、この名言で、神の名が出てくるのも、熱心なクリスチャンだった黒田官兵衛らしいです。

黒田官兵衛の名言3:お前は時々、部下を夏の火鉢や〜

黒田官兵衛の名言:
「お前は時々、部下を夏の火鉢や日照りの雨傘にしている。改めよ」

現代語訳:
お前(長政)は時々、自分の部下を夏の暑い日に使う火鉢や、晴れている日の雨傘のように部下を無駄に使っているから改めなさい

これは、黒田官兵衛が息子・長政に言った名言です。
暑い日の火鉢や晴れている日の雨傘ほど無用なものはありませんよね。それと同じように、いくら優秀な部下であっても、適所に配置しなければ役に立たない存在になってしまうのだとこの名言は言っているのです。

名言1でもあったように、上の立場になるのであれば、部下の能力を把握し、それを最大限に引き出せる場所に配置してあげる必要があります。
息子にかける言葉としては少々厳しい気もしますが、それほどまでに伝えたい大事なことだったのでしょうね。

黒田官兵衛の名言4:戦いは考えすぎては勝機を逸する〜

黒田官兵衛の名言:
「戦いは考えすぎては勝機を逸する。すぐに駆け出すほどの決断が大切だ」

現代語訳:
戦いにおいて、考えすぎると勝機を逃してしまう。そのため、すぐに駆け出すことを決めるくらいの決断が大切である

この名言は、少し勘違いしてしまうかもしれませんが、「考えずに思ったままに行動しろ」と言っているわけではありません。
黒田官兵衛は、
「日頃から情報収集やいろんな事態を想定したシュミレーションをし、いざ戦場に立った時にそれを元に素早く決断をしなさい」
と言っているのです。

この名言を裏打ちする最もいい例が中国大返しです。
本能寺の変で織田信長が討たれ、周りが冷静さを失い慌てふためく中、官兵衛だけは冷静でした。そして、うろたえる秀吉に向けて「天下を取るなら今です」と進言するのです。
その結果、秀吉は見事に信長の仇をとり、天下統一に大きく近づきました。

どんなときでも、事態を冷静に見極めることができるのは、日頃から様々なシュミレーションをしていたからでしょう。黒田官兵衛の日頃の努力が垣間見える名言ですね。

黒田官兵衛の名言5:これはそち(長政)のためにしているのだ。乱心ではない〜

黒田官兵衛の名言:
「これはそち(長政)のためにしているのだ。乱心ではない。これはわしが諸臣に嫌がられて、一日も早く長政の代になるとよいと思わせるためだ。」

現代語訳:
これはお前を思ってのこと。気が狂ったわけではない。これは、私が家臣に嫌われ、1日も早く黒田長政の代になると良いと思わせるためにしたのだ。

黒田官兵衛は死ぬ間際に家臣たちを急に罵り始めたことがありました。
それまで官兵衛の家臣たちからの信頼は厚いものでした。そのため、突然の乱心に動揺も大きかったようで、病気のせいでおかしくなってしまったと考えた家臣がほとんどでした。

しかし、これは実は官兵衛の作戦だったのです。
官兵衛が死んでしまったら、当然次は息子・長政が家を継ぐことになります。
しかし、中には官兵衛への信頼が厚い故に、「長政に任せて大丈夫なのか…?」と不安になってしまう家臣もいました。「やはり官兵衛じゃないと…」と家臣たちに言わせないためにはどうしたらよいのかと官兵衛は考えた結果が、家臣たちをひたすら罵るという行動だったのです。

それをすることによって、官兵衛への信頼はガタ落ちし、中には官兵衛のことを嫌う家臣もでてきました。官兵衛は自分の名誉や評価を犠牲に、息子へスムーズに代替わりできるようにしたのです。

この名言は、家臣たちから官兵衛をどうにかしてくれと頼まれた長政が、「もう少しだけ寛容な態度をとってほしい」と官兵衛にお願いしに来たときに言った言葉だと言われています。
息子への愛を感じることのできる名言ですね。

黒田官兵衛の名言6:さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心のままに成たり

黒田官兵衛の名言:

「さてさて天の加護を得させ給ひ、もはや御心のままに成たり」

現代語訳:
天の加護を得て、天下はもはや秀吉様の御心のままになりますね

これは、本能寺の変で織田信長が討たれた直後、黒田官兵衛が秀吉に向けて言った名言です。

この言葉を言われた際、秀吉は主君が討たれたことに戸惑いつつも、天下をとれるチャンスだとも考えていました。しかし、その考えを伝えていないのにも関わらず、その心中を見透かされたような官兵衛の言葉に、秀吉は気味の悪さを感じたと言われています。

これ以降、秀吉は官兵衛には野心があると考え、官兵衛に対して心を開くことをやめました。
官兵衛は忠義に厚い人でしたから、心の底から秀吉の天下統一を望んでこの言葉を言ったのでしょうが、それがかえって秀吉を警戒させ、官兵衛を遠ざけることになってしまいました。
先見の明があったことがよくわかる名言ですが、頭が良すぎるのも少し問題があったようですね。

黒田官兵衛の名言7:我人に媚びず、富貴を望まず

黒田官兵衛の名言:

「我人に媚びず、富貴を望まず」

現代語訳:
私は人に媚びることをせず、富などを望みません

普通出世するためには、上司に媚びを売ったりしますよね。しかし、黒田官兵衛は媚びることを良しとしなかったため、主君であっても間違っていたらしっかりと指摘することをしていました。

普通であれば、部下から指摘されたら上司も気分があまりよくないでしょう。
しかし、黒田官兵衛の指摘は間違いが少ないからこそ、上司も指摘されても信頼をおけたのかもしれません。

また、名言6でもお伝えしたように、主君である秀吉は官兵衛に心を開くことは有りませんでした。
そのため、官兵衛の功績に対して不当な褒美しか与えなかったのです。しかし、官兵衛は富などのために秀吉に仕えているわけではなく、忠義で仕えていたので、それに対して文句を言うことはありませんでした。

「媚びない」「富はいらない」というスタンスを取っていたからこそ、官兵衛は最期まで秀吉に仕えることができていたのかもしれませんね。

黒田官兵衛の名言8:世の中で、主のために追腹を切るということぐらいつまらぬことはない〜

黒田官兵衛の名言:
「世の中で、主のために追腹を切るということぐらいつまらぬことはない。腹を切って死んだとしても、わしにしたがって地獄・極楽を駆けめぐるわけではあるまい。わしはただ立派な士を一人でも多く命を延ばして、大切に思う子(長政)に譲りたいのだ。かならず殉死を禁ぜよ」

現代語訳:
世の中において、主君のために自ら腹を切って殉死を選ぶことほどくだらないことはない。たとえ腹を切って死んだとしても、私と一緒に地獄や極楽を巡れるわけではないのだ。それならば、私は優秀な家臣が1人でも多く生き延びてくれて、大切な息子の力になってくれる方がよい。必ず殉死をしてはなりません

自らは主君のために命をかけて忠義を尽くした黒田官兵衛でしたが、家臣には自分の後を追って殉死することを禁じました。そこには、自分の愛する息子のために、少しでも優秀な家臣を残しておいてやりたいという父親としての思いがありました。

黒田官兵衛は、この名言によって殉死を禁止し、さらには名言5でもあったように家臣を罵り自分が嫌われるように行動しました。これら全ては、大事な息子や家臣を守るための行動でした。官兵衛がいかに愛情深い人物であったかということがわかりますね。

黒田官兵衛の「水五訓」とは?

黒田官兵衛には、「水五訓」という「水というものを通して、人間としての生き方」を説いた言葉があります。五訓とあるように、それは5つの文章で構成されています。

【黒田官兵衛の水五訓】

1.自ら活動して他を動かしむるは水なり

2.常に己の進路を求めて止まざるは水なり

3.障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり

4.自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり

5.洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり
 雪と変じ霰(あられ)と化し凝しては玲瓏たる鏡となりたえるも
 其性を失はざるは水なり

1は、「率先垂範」、つまりまずは自分で手本を見せろということです。
水は自らが動くことで周りのものを動かし、運んでいきます。
人間も、ただ命令されるだけでは誰も動こうとはしませんよね。自らが率先して手本を見せるからこそ、周囲を牽引していけるのだということです。

2は、「自ら考えて道を拓くことを心がけよ」ということです。
水はどんな環境であっても、その流れを止めることなく流れていきます。
何かを失敗した時、他人のせいにしてしまうこともあるかもしれません。
しかし、自ら考えて努力し、自分で道を切り拓いていくことが大事だということです。

3は、「諦めることからはなにも生まれない」ということです。
順調に流れているように見える水も、時にはダムによって止められることもあるでしょう。
そんなとき、水はダムに溜まっていきますね。
そして、ダムが開放された時、水は巨大なエネルギーをもって流れていくのです。
人は困難に直面した時、諦めたくなってしまうかもしれません。しかし、この水のように、苦しいときもじっと耐えて努力を重ねていけば、いつか大きな力となってかえってくるということです。

4は、「人を追いやることをせずに、共に頑張ろう」ということです。
川は、脇から濁った水が入ってきても、それを追い出すようなことはしません。
むしろ受け入れ、より大きな存在になっていきますよね。
人間は、それぞれ色んな個性を持っています。その中にはもちろん合わない人もいるでしょう。しかし、この川の水のように、合わない人を排除するのではなく、長所を見つけてそれを生かすような動きをして、全てを自分の糧にするのです。
大きな器をもった人間になろうということですね。

5は、「常に自然の理に沿って物事を考えよ」ということです。
水は、温度の変化や器の形によって、次々と形を変えていきます。しかし、その本質は変わることはありませんよね。
私達人間も本質を簡単に変えることはできないかもしれません。
しかし、変化に柔軟に対応できるようになれば、新しい道が開ける可能性は高いです。このように、与えられた環境の中で、いかにして最大の努力が行えるのかが大切ということです。

黒田官兵衛の辞世の句:おもひおく 言の葉なくて つひにゆく〜

黒田官兵衛の辞世の句:
「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」

現代語訳:
この世に残しておくような言葉はもうない。今はあの世への道も迷うことなく、心静かに旅立つだけである

早くに母親を亡くしたり、幽閉されたりなど波乱万丈な人生を送った黒田官兵衛でしたが、この辞世の句からもわかるように死ぬ間際はとても落ち着いた心境だったようです。
きっと、自分のやれることはできる限りやりきったのでしょう。充実した人生を生ききった官兵衛の気持ちがよく表れている辞世の句ですね。

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