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奈良時代の文化はどうだった?特徴は?有名な作品や建築はある?どんな暮らしをしていた?

奈良時代(710年(和銅3年)〜794年(延暦13年))は、元明天皇によって平城京に遷都されてから、桓武天皇によって平安京に遷都されるまでの84年間のことを指します。

「平城時代」とも呼ばれたこの時代では、天皇中心の中央集権国家が目指されていました。

そんな奈良時代では、どのような文化が栄えていたのでしょうか?

また、当時の人々はどのような暮らしをしていたのでしょうか?

この記事では、奈良時代の文化や暮らしについて簡単に解説していきます。

奈良時代の文化は天平文化?特徴は?

奈良時代の文化は、天平文化と呼ばれています。

天平文化はどのような文化だったのでしょうか?

ここでは、奈良時代の文化・天平文化の特徴について簡単に解説していきます。

天平文化の特徴は?

奈良時代は、遣唐使の影響などによって、国際色豊かな仏教文化が日本にもたらされました。

その結果、奈良時代の文化・天平文化は、唐を中心にペルシアやインドなど世界各地の影響を包含した文化となっています。

天平文化は、その名の通り聖武天皇が在位していた天平年間に最盛期を迎えます。

そのため、聖武天皇の仏教政策の影響を受け、国家仏教色が強いのも特徴の1つです。

そして、平城京を中心に、壮大で華麗な建造物や仏像などが次々と建てられました。

国史の編纂が始まった?

天平文化の特色の1つに国史の編纂が始まったことも挙げられます。

律令国家が形成されるにともなって、国家というものが強く意識されるようになり、国の成り立ちやその発展・経過を示すために国史の編纂が行われていったのです。

天武天皇の時代に開始された国史編纂事業は、奈良時代に『古事記』『日本書紀』として完成しました。この両者を合わせて『記紀』と言います。

天平文化の有名な作品や建築は?

奈良時代の文化・天平文化は、国際色豊かな仏教文化でした。

それでは、有名な作品や建築にはどのようなものがあるのでしょうか?

ここでは、奈良時代の文化・天平文化の有名な作品や建築などを簡単に解説していきます。

奈良田時代に編纂された歴史書

天平文化では、歴史書の編纂が行われていました。

国史を編纂するだけではなく、政府は地方にも歴史書を編纂するように命じました。

こうして、日本各地の歴史書が生まれていったのです。

・『古事記』

上・中・下の3巻からなり、天地創造、国生み、天孫降臨、神武天皇東征、日本武尊の神話など、全ての始まりから推古天皇までの物語を、漢字で表した国内向けの書物。

・『日本書紀』

全30巻からなり、中国の歴史書に習って時系列順に「編年体」で書かれた国外向けの書物。こちらは持統天皇までの歴史が書かれています。

・『風土記』

地方にそれぞれ伝わる歴史をまとめた書物。多くのものは散逸してしまいましたが、まとまったものとしては、常陸、出雲、播磨、豊後、肥前の5カ国の『風土記』が現在まで伝えられています。中でも、『出雲国風土記』は首尾完備した唯一の完本となっています。

奈良時代の文学作品

天平文化の間には、著名な歌人が多く生まれ、多くの優秀な作品が生まれました。

それらをまとめた作品は、日本文学の源流として時代を越えて読み継がれていき、後の時代の作品にも大きく影響を与えました。

・『万葉集』

全20巻からなる、幅広い身分・階層の人々によって詠まれた和歌を収録した歌集。上は天皇・貴族から、下は農民までが作者として名を連ねています。編者は判明していませんが、身分を問わずに約4500首以上も集めたのは、当時としては画期的な編纂方法でした。

・『懐風藻』

貴族や官人に漢詩文の教養が必要とされた結果、編纂されたのが『懐風藻』です。現存最古の漢詩集で、大友皇子、大津皇子、長屋王ら64人の漢詩・120編が収録されています。編者は判明していません。

奈良時代の建築

寺院や宮殿に礎石・瓦を用いた壮大な建物が多く建てられました。そのどれもが均整がとれた堂々とした造りとなっています。

ちなみに、この時代の寺院建築は、唐を手本としていたので、靴を履いたまま参観するものがほとんどでした。靴を脱いで中に入るようになったのは、文化の国風化が進んでからです。

  • 法隆寺伝法堂
  • 法隆寺夢殿
  • 唐招提寺講堂
  • 唐招提寺金堂
  • 東大寺法華堂
  • 東大寺転害門
  • 正倉院宝庫

奈良時代の彫刻

彫刻では、表情豊かで調和のとれた仏像が多く、以前からの金銅像や木像の他に、塑像や乾漆像の技法が発達していきました。

【塑像】

木を芯として、そこに縄を巻き、粘土をつきやすくした上で、粗い土から次第に細やかな土に代えて成形していく技法で作った仏像。粘土なので扱いやすく、失敗したとしてもすぐに作り直すことができ、値段も安く済ませることができるのが特徴です。

  • 東大寺法華堂日光・月光菩薩像
  • 東大寺法華堂執金剛神像
  • 東大寺戒壇院四天王像
  • 新薬師寺十二神将像

【乾漆像】

乾漆像には、原型の上に麻布を幾重にも巻いて漆で塗り固め、後で原型を抜き取る「脱活乾漆像」と、粗彫りした木彫を原型とした「木心乾漆像」の2種類があります。脱活乾漆像は、中身がない像なので非常に軽くできます。これに対して、木心乾漆像は中身が木なのでそれなりの重さになってしまうのが特徴です。

  • 東大寺法華堂不空羂索観音像
  • 興福寺八部衆像
  • 唐招提寺鑑真像

奈良時代の絵画

絵画の作例は少ないのですが、唐の影響を受けた豊満で華麗な表現が見られる絵画が多いです。また、絵巻物の源流と呼ばれるようなものも生まれました。

  • 正倉院鳥毛立女屏風
  • 薬師寺吉祥天像
  • 過去現在絵因果経

奈良時代の工芸品

工芸品としては、正倉院宝物が有名となっています。

これは、聖武天皇の死後、光明皇太后遺愛の品々を東大寺に寄進したものが中心です。

服飾から調度品、楽器、武具など、約1万点に及ぶ多種多様な工芸品が見られます。

  • 螺鈿紫檀五弦琵琶
  • 白瑠璃碗
  • 漆胡瓶
  • 百万塔陀羅尼

奈良時代の人々の暮らしはどうだった?

奈良時代の人々の暮らしは、貴族と庶民という身分によって大きく異なっていました。

それぞれどのような暮らしをしていたのでしょうか?

ここでは、奈良時代の人々の暮らしについて簡単に解説していきます。

奈良時代の人々の住居は?

・奈良時代の貴族の住居

貴族は、屋敷を囲い、敷地内に池や樹木を配した庭園を備えるのが一般的な造りでした。

建物は数棟存在し、赤や白を基調とした唐風建築が主流です。

身分が高くなればなるほど敷地面積が広くなり、平城宮に近い場所が邸宅地として支給されていました。

・奈良時代の庶民の住居

庶民の中でも平城京に住んでいた比較的裕福な人々は、掘立柱建物2、3棟に井戸や小さな畑を備える造りでした。

しかし、地方の農民は、昔ながらの竪穴式住居で暮らす有り様だったのです。

貧困層は、奈良時代に入っても、全く生活水準が上がりませんでした。

奈良時代の人々の食事は?

・奈良時代の貴族の食事

白米や椀物の他、タケノコや菜の花を中心とした野菜類、魚介類を用いたおかず、キュウリやナスの漬物などが並ぶ豪勢な献立でした。

また、この頃から牛乳で作った「蘇」と呼ばれるチーズ状の珍味も登場し、味から栄養面に至るまで、現代にも引けを取らない食膳だったのです。

・奈良時代の庶民の食事

農民をはじめとする庶民は、粟を主食として、野菜の小鉢や山菜入りの汁物が付くのみの食事でした。

さらに、不作に見舞われると、この食事にすらありつけない状況だったのです。

まとめ:奈良時代の文化・天平文化は国際色豊かな仏教文化だった

奈良時代の文化は、天平文化といい、遣唐使などの影響により、国際色豊かな仏教文化となりました。平城京を中心に栄えたため、地方の農民などはあまりその恩恵を受けませんでした。

今回の内容をまとめると、

  • 奈良時代の文化は天平文化
  • 奈良時代は、遣唐使などの影響により国際色豊かな仏教文化
  • 奈良田時代は、聖武天皇の頃に最盛期を迎えた
  • 奈良時代には、国史の編纂なども始まった

当時、世界各地の人や文化、モノなどはシルクロードにのって長安にやってくると言われていました。しかし、遣唐使などを通して、それらのものはやがて日本にもやってくるのです。その観点から見ると、シルクロードの終着点は日本であったと言っても過言ではないのかもしれませんね。

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