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足利尊氏の家紋は「丸に二つ引両」「五七桐」。その由来を徹底解説!

足利尊氏の家紋は「丸に二つ引両」「五七桐」。その由来を徹底解説!

室町幕府をひらいた足利尊氏。室町幕府は15代、約240年続きました。今回は、そんな室町幕府をひらいた足利尊氏がどんな家紋を使っていたのか?その由来を徹底解説していきます。

足利尊氏の家紋は2種類

家紋といえば、いわば家を表す紋章です。現代ではあまり意識することも少なくなっているとおもますが、大抵の家庭では家紋は1つです。
しかし、足利尊氏は2種類の家紋を使用していました。
足利尊氏が使用していた種類の家紋を解説してきます。

足利家の代表家紋「丸に二つ引両(足利二つ引)」

足利二つ引

足利尊氏、足利将軍家を代表する「丸に二つ引き両」の家紋。足利家の家紋は通常の「丸に二つ引両」とは少し形状が違い、「足利二つ引」というものです。
足利尊氏も使用していたこの「丸に二つ引き両」の家紋は、足利家の歴史が関わってきます。
足利家はもともと、清和源氏の流れを引く鎌倉時代からの名門の一族です。鎌倉時代も幕府の御家人だったほどの名家です。
この家紋は、鎌倉時代の初期、源頼朝が戦場で白旗を掲げていたため、同じデザインを使うのを遠慮し旗に二本の線を引いて、「二つ引き両」の旗を掲げたというところからきているといわれています。

丸に二つ引両


この引き両は「引き」とも呼ばれており、その起源についてははっきりしていません。
「竜の姿を表した」「霊を表した」など諸説ありますが、太い線が描かれた引き両紋は、武家の間で好まれて使用され、戦場で旗印として使用する武将も増え、家紋として定着していきました。
引両紋にはこの二つ引両紋の他にも、「一つ引両」や「三つ引両」など他にも種類があります。

足利尊氏と共に、鎌倉幕府の倒幕に活躍した新田義貞にったよしさだは「新田一つ引両(大中黒おおなかぐろ)」が家紋です。新田義貞も、元々は清和源氏を祖としており、足利一門といえば足利一門です。

この二つ引両の家紋は、足利家を代表する家紋として受け継がれていきます。

後醍醐天皇から賜った「五七桐」

五七桐

足利尊氏は、後醍醐天皇ごだいごてんのう新田義貞楠木正成くすのきまさしげらとともに鎌倉幕府の倒幕をしました。
そんな足利尊氏と後醍醐天皇は家紋でも繋がりがあります。
足利尊氏は後醍醐天皇から天皇の紋である、「菊紋」と「五七桐紋」を授けられています。
また、足利尊氏はもともと「高氏」と名乗っていましたが、後醍醐天皇の名前から「尊」の字を与えられ、尊氏と名乗るようになっています。後醍醐天皇と足利尊氏は非常に縁深いとことがわかりますね。

鎌倉幕府滅亡の後、後醍醐天皇と南北朝にわかれて争った足利尊氏ですが、この紋は返上せず、足利家を代表する家紋として定着していきました。
現在では桐紋は全国各地で使用されており、十大家紋の一つに数えられるほどです。
日本政府も桐紋を使用しており、「五七桐紋」「五三桐紋」を使用しています。パスポートやビザ、書類や硬貨などにあしらわれていたり、皇宮警察本部や法務省では「五三桐紋」が紋章として使用されています。

足利家の家紋は織田信長も家紋として使用していた

家紋は、天皇や将軍から褒美として授けられることもありました。
足利尊氏も、後醍醐天皇から「五七桐紋」を授けられています。
室町幕府の将軍は足利尊氏から始まり、15代の足利義昭まで約240年続きました。その間に、様々な経緯で足利家の家紋は戦国武将たちへと受け継がれていきました。
あの天下布武を掲げた、織田信長も「丸に二つ引両」の家紋を授かった一人です。

足利尊氏から家紋「丸に二つ引両」を授けられた武将たち

足利氏は、室町幕府の時代に様々な戦国武将たちに「丸に二つ引両」の家紋を授けています。

■「丸に二つ引両」の家紋を使用していた武将たち

  • 畠山氏
  • 斯波氏
  • 吉良氏
  • 細川氏
  • 今川氏
  • 織田氏

斯波しば吉良きら細川ほそかわ今川氏は、足利尊氏と同じ清和源氏の流れを汲む、いわば足利一門といっても良いでしょう。

織田信長は、第15代将軍 足利義昭が上洛するのを手助けしました。
義昭は、織田信長のおかげで将軍になれたようなものです。
当時の足利義昭は信長に非常に感謝し、「丸に二つ引き両」の家紋を授けたという逸話が残っています。

また、織田信長は天皇から「五三桐」も授けられており、織田信長の肖像画では、五三桐を施した装いが残されています。

織田信長の肖像画

豊臣秀吉も、天皇から桐紋を賜っており、その桐紋を前面に押し出したことで、「秀吉=桐紋」とのイメージが定着したほどです。
特に、秀吉は織田信長などとは違って農民の出、いわば素性が定かでない家系の出身です。名家に何代も受け継がれた家紋を持たない秀吉は、賜った桐紋をあたかも自分の家系の家紋のように活用していました。
さらに秀吉は、手柄を立てた武将や家臣たちに惜しみなく桐紋を授けていました。
そのことから桐紋は全国的に普及していきました。

まとめ:足利尊氏の家紋は2種類。武将たちへ褒美として授けられ引き継がれていった

室町幕府をひらいた足利尊氏は、2種類の家紋をつかっていました。
一つは、足利家の象徴ともいえる「丸に二つ引両」と、そして「五七桐」。
どちらの家紋もその後、手柄を立てたり功績を残した戦国大名たちに引き継がれていきました。
織田信長も使用していた「丸に二つ引両」は、足利尊氏の代から続く家紋だったなんて意外ですね。

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