木戸孝允の子孫は?家系図からみる、妻や子供、現代に続く末裔たちについて解説

木戸孝允の子孫は?家系図からみる、妻や子供、現代に続く末裔たちについて解説

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木戸孝允:1833年(天保4年)8月11日〜1877年(明治10年)5月26日は、明治維新の指導者として、大久保利通、西郷隆盛とともに倒幕運動に力を注いだ、維新の三傑の一人。前名は桂小五郎で、その生涯で名前を何度も変えたことでも有名な人物です。
今回は、木戸孝允の子孫について、妻や子供が現代にも続いているのか?家系図を見ながら解説していきます。

木戸孝允の家系図を簡単に解説

木戸孝允の家系図を見ていきましょう。

木戸孝允の家系図

木戸孝允に子供は何人いた

木戸孝允には、3人の子供がいました。

  • 木戸好子(実子:前妻との間にできた子供)
  • 木戸正二郎(養子)
  • 木戸孝正(養子)

木戸孝允は前妻との間に女子を設けますが、若くしてなくなりました。のちに結婚した妻・松子(幾松)との間に、後継となる男子がいなかった木戸孝允は、その後2回養子を迎え入れています。

【木戸孝允の子供(実子)】 

・木戸好子
唯一の実子である木戸好子は、前妻との間にできた子と言われており、母親は不明。
のちに木戸孝允の養子となる木戸孝正と結婚するが、18歳の若さで病死しました。木戸孝正との間に子はおらず、木戸好子の死去により、木戸孝允の直系は途絶えてしまいました。

【木戸孝允の子供(養子)】

・木戸正二郎
妹・木戸治子の次男で、当時まだ10歳だった正二郎を養子に迎えます。
正二郎はとても優秀で、わずか12歳でロンドンへ留学し、帰国後、ドイツ留学までしていました。ドイツ留学の数年前、明治10年(1877年)5月26日に養父・木戸孝允が病死をしたため、同年8月7日に、16歳で木戸家の家督を継ぎました。しかし、ドイツ留学からの帰途、セイロン(現在のスリランカ)で肝臓病が悪化し、24歳の若さで亡くなりました。

・木戸孝正
木戸家の家督を継承した正二郎が死去したため、木戸家は正二郎の兄・彦太郎を養子として迎えました。
彦太郎は木戸家を継ぎ、木戸孝正を名乗りました。

木戸孝正は、1874(明治7年)にアメリカ留学から帰国後、帝国大学へ入学。共にアメリカから帰国した平岡煕、大久保利和、牧野伸顕らとアメリカで知ったベースボールを持ち込み、日本最初のクラブチーム「新橋アスレチッククラブ」を作ったと言われています。
1890年(明治23年)2月に貴族院侯爵議員に任じられ、死去するまで在任しました。

木戸孝允の子孫一覧

木戸孝允は、男子に恵まれなかったため、家督継承のために2人の養子を迎え入れています。木戸孝允の血を受け継ぐ娘の木戸好子も若くしてなくなったため、木戸孝允の直系の子孫は途絶えています。しかし、木戸孝允の養子(妹 木戸治子の息子)から子孫は続いています。

【木戸孝允の子供】

・木戸好子:1869年(明治2年) 12月24日〜1887年(明治20年)8月22日
木戸孝允の前妻との子で、後に木戸孝允の養子となり家督を継承した、木戸孝正と結婚。
18歳で死去し、木戸孝正との間には子はいない。

・木戸正二郎:1861年(文久元年)9月16日〜1884年(明治17年)10月28日
木戸孝允の妹・治子の次男として生まれ、10歳の時に木戸孝允の養子となる。
養父・木戸孝允の死去に伴い、16歳で木戸家の家督を継ぐが、ドイツ留学からの帰国途中、セイロン島付近の船中で肝臓病のため24歳で亡くなった。

・木戸孝正:1857年(安政4年)9月14日〜1917年(大正6年)8月10日
木戸正二郎の実兄であるが、正二郎の死去により、急遽、木戸家の養子となり家督を継承した。
幼名は彦太郎で、養子になり木戸孝正と名乗るようになった。木戸好子と結婚するが、木戸好子が18歳の若さで死去。2人の間には子はいなかった。その後、山尾庸三の長女・寿栄子と再婚し、4人の子供(2男2女)をもうけた。

【木戸孝允の孫】

・木戸幸一(木戸孝正の長男):1889年(明治22年)7月18日 〜1977年(昭和52年)4月6日)
官僚、政治家で、和天皇の側近の一人として東條英機を内閣総理大臣に推薦するなど、太平洋戦争前後の政治に関与した。妻・木戸ツルとの間に5人の子供(2男3女)をもうけた。

・和田 小六(木戸孝正の次男):1890年(明治23年)8月5日 〜1952年(昭和27年)6月11日)
工学者として、長距離飛行の世界記録を打ち立てた航研機の開発など、日本の航空工学の発展に貢献した。
妻との間に3人の子供(1男2女)をもうけた。

・兒玉八重子(木戸孝正の次女):生年月日、死亡年月日不明。
陸軍大佐・兒玉常雄と結婚。子供がいたかは不明。

【木戸孝允のひ孫】

・木戸孝澄(木戸幸一の長男):1917年(大正6年)〜
日本勧業角丸証券株式会社(現みずほ証券常務)

・木戸孝彦(木戸幸一の次男):1933年(大正12年)2月23日〜2000年(平成12年)8月15日
弁護士となり父の木戸幸一が、戦後の東京裁判でA級戦犯と判決が下るまで、その弁護にあたった。

・木戸由喜子(木戸幸一の長女):※詳細不明

・木戸笑子(木戸幸一の次女):※詳細不明

・木戸和子(木戸幸一の三女):※詳細不明

・和田昭允(和田小六の長男):1929年(昭和4年)6月28日〜
生物物理学者。東京大学名誉教授。 理化学研究所名誉研究員。お茶の水女子大学名誉学友。
妻との間に2男がいる。
長男の和田昭久さんは日本電気シニアエキスパート、NECドローン開発者。
次男の和田昭英さんは神戸大学教授。

・都留 正子((和田小六の長女):※詳細不明

・肥後 綾子((和田小六の次女):※詳細不明

木戸孝允は家の存続のために養子を迎えた

木戸孝允は、前妻との間に女子をもうけましたが、再婚した妻・松子(幾松)との間には子供ができませんでした。
そのため、実の妹の治子の次男・正二郎を養子に取り、正二郎が早くして亡くなると、木戸孝允の妹・治子の長男、孝正を養子にしました。
結果、妹・治子の嫁ぎ先である来原家は、完全に途絶えることになりました。

1885年(明治18年)7月17日、木戸家を継承した木戸孝正は、木戸孝允の実子・好子と結婚をします。
この結婚からも、木戸孝允の直系の血筋を後世に受け継ぎたいという強い思いが感じられます。

しかし、木戸好子は病のため18歳の若さで死去、木戸孝正との間に子供はいなかったため、木戸孝允の直系の血筋は完全に途絶えてしまいます。

木戸孝允の子孫は現在も続いている?

木戸孝允の直系の血筋は途絶えてしまいましたが、その子孫は現在も続いており、各方面で活躍されています。

木戸孝允の義理の孫である、官僚・政治家として活躍した木戸幸一さんや、鎌倉会議2016 プロデューサー/国際NGO世界連邦運動協会常務理事の木戸孝允から数えて6代目にあたる、木戸寛孝さんなどがいます。

木戸孝允の子孫|木戸幸一さん

1940年(昭和15年)6月から終戦後の1946年(昭和21年)まで、昭和天皇の側近の一人として東條英機を内閣総理大臣に推薦するなど、太平洋戦争前後の政治に関与しました。
敗戦後にGHQによって戦争犯罪容疑で逮捕され、極東国際軍事裁判において終身刑のA級戦犯となったが後に仮釈放されました。戦後東京裁判でA級戦犯と判決が下るまで、弁護士である次男の木戸孝彦が、その弁護にあたりました。

木戸孝允の子孫|木戸寛孝さん

・木戸寛孝さん:1969年(昭和44年)〜
木戸孝允のひ孫の孫にあたる。電通に勤務し、その後株式会社umari コンセプトデザイナーとして活躍。NPO法人 世界連邦21世紀フォーラム理事長。
国際NGO・World Federalist Movement of Japanの事務局長として、2002年オランダ・ハーグに常設された国際刑事裁判所(ICC)に日本政府が加盟するためのロビー活動において、中心的役割を果たした。
2006年からはコンセプターとして株式会社umariに参画。
コミュニティー事業(丸の内朝大学、六本木農園)、地域活性事業(三重県、島根県、宮崎県と神社を活用した地域交流プロジェクト)、東北震災復興事業(東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト、福島大学・ふくしま復興塾)におけるコンセプトワークや講師を行う。木戸孝允のひ孫の孫にあたるが、祖父母や両親、妻子についての情報は不明です。

まとめ:木戸孝允の直系の子孫は途絶えたが、木戸家は現在も続いている

木戸孝允の実子である木戸好子が早くに亡くなり、子がいなかったため、木戸孝允の直系が途絶えてしまったっています。しかし、養子として迎えた木戸孝正との子孫から、現在も木戸家は続いています。
今回の内容をまとめる、

  • 木戸孝允には実子は娘で、跡継ぎとなる男子はいなかった
  • 跡継ぎを得るため、実の妹の実子を養子にもらった
  • 唯一の実子である好子は、家督を継いだ木戸孝正と結婚したが、わずか18歳で死去した
  • 木戸好子と木戸孝正との間に子はおらず、好子の死去で、木戸孝允の直系は完全に途絶えた

幕末から明治の激動の時代を生き、現代日本の基礎をつくりあげた木戸孝允の子孫は、直系ではありませんが、現代にも続いていると思うと、歴史の重さを感じますね。

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