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野口英世の名言集|性格や人物像がわかるエピソードを交えて簡単に解説!

野口英世(1876(明治9)〜1928(昭和3))は、日本の医師で細菌学者です。

主に細菌学に従事し、黄熱病や梅毒の研究で世界的に有名になりました。

お札の肖像画に採用されてもいるので、見たことがあるという人も多いでしょう。

その野口英世はどのような名言を残したのでしょうか?

この記事では、野口英世の名言について、性格や人物像がわかるエピソードを交えながら簡単に解説していきます。

野口英世の名言1:家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない〜
野口英世の名言1

野口英世の名言1:
「家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである」

野口英世の家は非常に貧しい家でした。さらに、英世は赤ちゃんの頃に、誤って囲炉裏に落ちてしまい、手にひどいやけどを負ってしまうのです。

そんな大きなハンデを背負っていた野口英世でしたが、母親からの励ましもあり、ひたすら勉学に打ち込みます。そうして頑張っている英世の姿に感銘を受け、たくさんの人が英世のことを支援してくれていました。そして、最終的に世界的に有名になるくらいの大きな功績を残すことに成功するのです。どんなにつらい状況にあったとしても、自分の力で名誉を掴み取った英世だからこそ言える言葉でしょう。

野口英世の名言2:絶望のどん底にいると想像し、泣き言を言って絶望しているのは〜

野口英世の名言2:
「絶望のどん底にいると想像し、泣き言を言って絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ」

野口英世は幼少期のやけどにより、自分の家を継ぐことは難しくなってしまいました。(やけどの手では農作業は厳しいため)そのため、母親・シカは勉学で身を立てるしかないと英世に言い聞かせ、学校に通わせることにしました。しかし、当時学校に通っているのは富裕層ばかりで、英世のように貧困な家のものは馬鹿にされてしまいます。それに加えて手のひどいやけどもありましたから、それもからかわれてしまうのです。そのような状況だったので、英世は一時期不登校になってしまいます。

「どうして自分はこんな目に合わないといけないんだ」
と絶望していたのでしょう。

さらに、英世は高等小学校4年生の頃、「ぼくの左手」という自分の手への劣等感を抱く、複雑な思いを綴った作文を書きます。その作文の一部が以下のものです。

「僕はたとえ片手が不自由でも、きっと立派な人間になってみせるという、大きな希望を持っています。けれども時にはフト、こんなかたわの手では、いくら努力しても一人前になれないのではないかと考えると、目の前が真っ暗になるような気がします。……僕はどうかして物が握れるようになりたいと思います。いっそ自分の小刀で、この指を一本一本、切り離してやろうかと何度考えたかもしれません…」

ここからもわかるように、英世はずっと何度も何度も絶望を味わってきたのでしょう。

しかし、シカはひたすら英世のことを励まし続けます。

その自分のために必死になってくれている母親の姿を見た英世は、もっと頑張ろうと奮起したそうです。

絶望のどん底にいると思い込み、ふてくされるのは簡単なことです。

しかし、そうやって泣き言を言うだけでは、落ち込むばかりで、前を向こうとは思えないのです。絶望するだけではなく、周りに目を向け、冷静に自分のできることを着実にやっていく。そうすれば成功にいずれたどり着けるのだと、英世は自分の人生を通して教えてくれているのでしょう。

野口英世の名言3:人生最大の幸福は一家の和楽である〜

野口英世の名言3:
「人生最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない」

野口英世の人生は大きなハンデを背負ったものでしたが、その分多くの人に支えられた人生でした。

幼少期には母親、学生時代には恩師に、上京してからは血脇守之助などに、渡米してからはロックフェラー家などに支援されてきたのです。
このように、数え切れないほどの人たちの支えがあって英世の成功はあります。そのことにしっかりと感謝しているからこそ、このような言葉がでてきたのかもしれませんね。

野口英世の名言4:この母なくして医学者である自分はない

野口英世の名言4:
「この母なくして医学者である自分はない」

英世は名言1、名言2でもお伝えしたように、幼少期にひどいやけどを負ってしまいました。
そのため、母親・シカは、「自分の不注意で英世にやけどを負わせてしまった」という後悔をし続けていました。そして、農家を継げないのなら、何としても学問で身を立てさせてやらなければならないと考えたのです。

そこからは、シカは自らが人の何倍も働き、英世を家事から遠ざけ、勉強だけに集中できる環境づくりをしました。当時は、子供であっても、一家の貴重な労働力と考えられていたので、英世を一切の家事から遠ざけるシカの配慮をよく思わない人も周りにはいました。しかし、シカはそうした声に耐え、英世が勉強に集中できる環境を与え続けました。

また、勉強が思うように進まなかったり、いじめにあい不登校になったりして弱音を吐く英世に対しても、

「ゆるしておくれ。やけどをさせてしまったのはお母ちゃんのせいだ。辛いだろうがここで勉強をやめてしまったらせっかくの苦労も何にもならない。お前の勉強する姿を見ることだけが楽しみなんだ。我慢しておくれ」

と涙ながらに訴えたそうです。

このように、シカは英世が挫けそうになった時、何度も必死に支え続けました。このように、いつでも包み込むような母の愛に見守られ、英世は勉学に励んでいたのです。だからこそ、このような名言が自然と生まれたのでしょうね。

野口英世の名言5:努力だ、勉強だ、それが天才だ〜

野口英世の名言5:
「努力だ、勉強だ、それが天才だ。だれよりも、三倍、四倍、五倍、勉強する者、それが天才だ」

野口英世の生きていた19世紀から20世紀にかけては、細菌学が躍進している時代でした。

そのため、主要な病原体は有名な微生物学者によって発見され尽くされており、新たに病原体を証明するということは極めて困難なものでした。

しかし、英世は決して諦めることなく研究を続け、世界的に有名になるほどの功績を掴み取るのです。若い頃から勉学にひたすら励み続け、目的のためならどんなことでもする、そんな英世だからこそ言える名言でしょう。

野口英世の名言6:忍耐は苦し、されどその実は甘し

野口英世の名言6:
「忍耐は苦し、されどその実は甘し」

野口英世は24歳で渡米し、ロックフェラー財団の医学研究所に入所しました。

しかし、そこで正規研究員になるまではなんと14年もの歳月がかかりました。

名言5でもお伝えしたように、英世が新たな発見をするには相当な根気が必要でした。

どうしてなんの成果も挙げられないのだと嘆いたこともあったでしょう。

しかし、英世は苦難を耐え忍んで、やっと成果を得ることができたのです。

今を生きる私達の中にも、目的のために、今辛い思いをしている人はいるでしょう。しかし、英世のように耐え忍んでいけば、いずれ花開くときがくるかもしれません。未来に希望を抱かせてくれる名言です。

野口英世の名言7:私は少しも恐れるところがない〜

野口英世の名言7:
「私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ」

野口英世は「自分はなにかをするために生まれてきたのだ」と度々言っていました。

その原動力を元に、黄熱病をはじめ、世界に蔓延している病気と戦い続けたのです。

この強い意志があったからこそ、なかなか成果がでない研究も、諦めずにチャレンジし続けられたのでしょう。しかし、目的のためなら恐れるところがないといったところから、自分の命の危険を省みない行動をしてしまっていたのかもしれませんね。

野口英世の名言8:ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった〜

野口英世の名言8:
「ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼に成し得られる努力が、自分に成し得られぬはずがない」

かの有名なナポレオンが、夜3時間しか眠らなかったというのは有名ですが、これを受けて、英世は

「ナポレオンにできるのだから私にもできないはずがない」

として、1日3時間しか眠らなかったそうです。

そのため、英世がロックフェラー医学研究所で研究をしていた際、あまりにも眠らずに研究に没頭しているので、
「日本人は眠らないのか」
「日本人は2日に1度しか眠らなくても済む」
などと噂されていました。

野口英世がどのくらい研究に没頭していたのかがよくわかる名言です。

野口英世の最後の言葉:どうも私にはわからない

野口英世の最後の言葉:
「どうも私にはわからない」

野口英世は1928年の5月に黄熱病で亡くなった説が有力とされていますが、実は黄熱病に感染した同年の1月にも軽い黄熱病にかかっていたのです。

そのため、そこから回復した英世は
「自分は黄熱病の終生免疫がついた」
と考えていました。

しかし、5月に黄熱病に感染してしまい、英世は終生免疫が続くはずなのに何故二度目にかかったのかと不思議に思っていたそうです。

そのため、黄熱病によりだんだん弱っていき、最後には、
「どうも私にはわからない」
という言葉を残して亡くなってしまいました。
晩年黄熱病の研究に従事し、アフリカの黄熱病を解決する目処がたっていただけに、英世は本当に無念だったのでしょう。

まとめ:野口英世の名言からは母親の愛に応えて、なにかを成し遂げようとする強い意志が表れていた

野口英世は、幼少期にひどいやけどを負い、絶望をしていました。しかし、母親など様々な人に支えられ、前を向き勉学に励み続けた結果、世界的に有名になるほどの功績を残しました。そんな英世の名言からは、家族や周囲の人への愛や、努力することの大切さ、なにかを成し遂げようとする強い意志がよく表れていました。

今回の内容をまとめると、

  • 英世は幼少期にやけどを負い絶望していたが、それでは成功は掴み取れないと前を向いた
  • 英世の生涯を支え続けた母親には深く感謝をしており、母親なくして今の自分はいないと言うほどだった
  • 英世はなにかを成し遂げようとする強い情熱をもっていた
  • 最後は「わからない」と無念の言葉を残していた

野口英世の名言からは、周りの人に感謝すること、自分の信念を信じ突き進むこと、諦めずに努力することなど、今を生きる私達にとっても大事なことがたくさん詰め込まれています。

自分のやりたいことを頑張れなくなってしまったときや、人生に絶望してしまったときなどに、英世の名言を見てみると頑張る力がもらえるかもしれませんね。

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