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野口英世の子孫は現在まで続いてる?家系図で簡単に解説!妻はアメリカ人?

野口英世(1876(明治9)〜1928(昭和3))は、日本の医師で細菌学者です。主に細菌学に従事し、黄熱病や梅毒の研究で世界的に有名になりました。お札にもなっているため、その顔を知っている人も多いでしょう。そんな野口英世の子孫は現在まで続いているのでしょうか?この記事では、野口英世の子孫について家系図を見ながら、簡単に解説していきます。

野口英世の家系図をわかりやすく解説!

野口英世の家系図

野口英世の家族構成は?

【野口英世のプロフィール】

野口英世(のぐちひでよ):1876年(明治9年)〜1928年(昭和3年)
享年:53歳
出身地:福島県耶麻郡三ツ和村(現在の猪苗代町)
父:野口佐代助 / 母:シカ
妻:メリー・ロレッタ・ダージス
養子:栄

野口英世は、1876年に福島県耶麻郡三ツ和村にて、野口佐代助とシカの長男として生まれました。
兄弟は、姉のイヌと弟の清三の3人兄弟でした。

そして後に、アメリカに渡った英世は、メリー夫人と結婚。
メリー夫人との間に子供はできませんでしたが、イヌの子・栄を養子にもらっています。

野口英世は本当は4人兄弟だった?

野口英世は、姉と弟がいる3人兄弟でした。しかし、実は4人兄弟だったのです。
それはどういうことかと言うと、姉のイヌが実は双子だったのです。
しかし、1人は生まれてまもなく亡くなってしまいまったため、英世は3人兄弟になったというわけですね。

また、弟の清三という名前から、野口英世は、2人目の男児ではないということが伺えます。
それは、実はシカは最初に授かった子供である男児を死産してしまっているのです。
そのため、英世は実質的には次男、清三は3人目の男児ということなのでしょう。

みんな無事に生きていれば、英世は5人兄弟になっていたかもしれませんね。

野口英世は実はメリー夫人以外に婚約者がいた?

野口英世は渡米後にメリー夫人と結婚したのですが、実は渡米前に婚約者がいました。

それは、英世が渡米を考え始めたときのこと。

渡米費用が足りないと考えた英世は、箱根の温泉地にて知り合った斉藤文雄という富豪男性から、支援金を受け取ることに成功します。

英世はこの際、
「帰国した後にあなたの姪と結婚する」

という約束もしていました。

つまり、斎藤文夫の姪と婚約した状態で渡米したわけですね。

しかし、英世はアメリカで結婚し、斉藤の姪との婚約を勝手に破棄してしまうのです。

当然、斉藤は怒り狂います。

ここで現れたのが、血脇守之助です。

血脇は、英世が上京した後ずっと英世の金銭面の支援をしてくれていた人物です。

血脇は、英世が借りた分のお金を斉藤に代わりに返してくれたのです。

そのおかげで婚約者問題は、事なきを得ました。

野口英世の子孫は現在まで続いている?

野口英世には子供こそできなかったものの、姉の子を養子に迎え入れていました。

血は繋がってはいませんでしたが、子供はいたわけです。

そんな英世の子孫は現在まで続いていったのでしょうか?

ここでは、英世の子孫について簡単に解説していきます。

野口英世の子孫は途絶えてしまった?

野口英世とメリー夫人の間には子供はできませんでした。

しかし、姉の子である栄を養子として迎え入れていましたので、家系図の上では栄が子供ということになるのですが、残念ながら子の世代から先の情報は判明していません。

しかし、野口英世の子孫を名乗る人がいないことから、途絶えてしまったと考えるのが妥当でしょう。

野口家の血筋は現在まで続いている?

野口英世の血筋は途絶えてしまったのですが、英世の生家である野口家はどうなったのでしょうか?

野口家は、英世が継げなかったため、姉のイヌが継いでいます。

イヌは、山口善吾という人物を婿養子にもらい、四男一女をもうけ、その長男は、英世の養子になっています。

イヌの他の子供は、代々続いていき、現在まで続いているようです。

中でも、イヌの唯一の女児・雪の子孫は、野口英世記念館のすぐ脇にある場所で、食堂兼お土産屋さんを営んでいます。そこで、野口英世の素晴らしさを語り継いでいるようです。

野口英世の最後の姿は?

野口英世は53歳という若さで亡くなってしまいました。
どのような原因で亡くなってしまったのでしょうか?
ここでは、英世の死因や最後の姿などを簡単に解説していきます。

野口英世は黄熱病によって亡くなった?

野口英世の死因ははっきりと解明されておらず、様々な説があります。

【野口英世の死因と考えられているもの】

  • 黄熱病
  • 梅毒
  • 他殺

その中でも1番有力とされているのが、黄熱病によるものです。

英世は1926年に黄熱病の研究のためにガーナのアクラに向かいます。
そこで、自身が研究している黄熱病に感染してしまい、そのまま亡くなってしまいました。

実は英世は黄熱病に感染した同年の1月にも軽い黄熱病にかかっていました。

そのため、そこから回復した英世は、自分は黄熱病の終生免疫がついたと考えますが、5月に黄熱病に感染してしまい、

「終生免疫が続くはずなのに何故二度目にかかったのか?」
と不思議に思っていたそうです。

黄熱病によりだんだん弱っていった英世は、最後に

「どうも私にはわからない」

という言葉を残して亡くなりました。

黄熱病の研究に従事し、その解決の目処がたっていただけに、本当に無念だったことでしょう。

\ 野口英世の死因については、こちらの記事で詳しく解説しております /

野口英世のお墓はアメリカと日本の2箇所にある?

野口英世は、アフリカの地で亡くなりました。

当時は、伝染病で亡くなった患者は原則として火葬にするのが習わしでしたが、英世の遺体は金属製で特注の棺に入れられ、密閉された状態でアメリカへと渡ります。

これは、英世の才能に惚れ込み特別な情熱を傾けていた、ロックフェラー・ジュニアの強い意志によるものでした。

ロックフェラー・ジュニアは、ロックフェラー家など富豪や一流の文化人たちが眠るニューヨークのウッドローン墓地に、英世の墓所を買い入れてくれていたのです。
そのため、そこには英世の墓石が立てられています。英世はそこでメリー夫人とともに眠っているのです。

また、英世の遺体はアメリカに運ばれ、遺体もアメリカの墓所に入っているのですが、実は日本にも英世の墓所は存在します。

それは、英世の菩提寺である長照寺です。

ここには、遺体ではなく遺髪が入っているようです。

さらにこちらには、妻の墓の他にも、英世の両親の墓もあります。

このように、英世の墓所は、アメリカと日本の2箇所にあるのです。

野口英世を支えた家族のエピソードを簡単に解説!

英世は世界的に有名になるくらいの功績を残しましたが、その功績を掴むまでには、家族の様々な支えがあったからこそなのです。ここでは、英世を支えた家族のエピソードを簡単に解説していきます。

野口英世の功績は母親・シカなくして成し得なかった?

野口英世の偉大な功績は、母親であるシカがいなくては到底達成できるものではありませんでした。

英世は幼少期に囲炉裏に落ちてひどい火傷を負ってしまいます。
シカは、「自分の不注意で英世にやけどを負わせてしまった」という後悔をし続けていました。

そのため、農家を継げないのなら、何としても学問で身を立てさせてやらなければならないと考え、自らが人の何倍も働き、英世を家事から遠ざけ、勉強だけに集中できる環境づくりをしました。

当時は、子供であっても、一家の貴重な労働力と考えられていたので、英世を一切の家事から遠ざけるシカの配慮をよく思わない人も周りにはいました。しかし、シカはそうした声に耐え、英世が勉強に集中できる環境を与え続けました。

また、勉強が思うように進まず、周りからいじめられ、不登校になってしまった英世に対しても、

「ゆるしておくれ。やけどをさせてしまったのはお母ちゃんのせいだ。辛いだろうがここで勉強をやめてしまったらせっかくの苦労も何にもならない。お前の勉強する姿を見ることだけが楽しみなんだ。我慢しておくれ」

「学問で身を立てなければ、お前は生きていくことができないのだよ」

などとやさしく言い聞かせ続けたそうです。

このように、シカは英世が挫けそうになっても必死に支え続けたのでした。

後に英世は、自分を責め続けた母に対し、

「この母なくして医学者である自分はない」

と語っています。それくらい、シカの深い愛は英世のことを支え続けたのでしょう。

野口英世の姉・イヌは英世のために家を継いだ?

シカは野口家の跡継ぎをどうするか決めかねていました。

本来であれば、長男である英世が継ぐことになるのですが、英世は手が不自由で農業ができる状態ではありませんでした。

そのため、当時18歳だったイヌを嫁がせ、養子を迎えて相続させようと考えました。

そのことを相談した際、イヌは
「長男の清作(英世)を差し置いて家を相続することはできない」と拒否。
そればかりか、家を出て猪苗代町の塩谷家に奉公人として住み込んでしまいました。

これに困ったシカは、やはり英世に家を継がせようと嫁をもらうことにしました。

しかし、英世はまだまだ自分のやりたいことがあり、結婚にはあまり乗り気ではありませんでした。

そこで英世は、何度もイヌの元へと行き、

「俺が医者になって成功し、姉ちゃんや母ちゃんを楽にすっから」

と説き伏せました。

こうして、イヌは実家に戻り家を継ぐことになるのです。英世の夢のために、自分が家を継いであげたわけですね。

また、イヌは、英世が上京するときや、渡米するときなどに、自分も決して裕福なわけではなかったのですが、わずかなお金を餞別として送っています。それほどまでにイヌは英世の夢を応援してくれていたのです。

このこともあり、英世は自分が成功した後は、イヌに約束通り仕送りをしています。

その仕送りは、英世が亡くなった後も、メリー夫人が継続してくれていたようです。

メリー夫人にも姉のしてくれたことをよく言い聞かせていたのかもしれませんね。

また、イヌは英世が亡くなった後、野口英世記念館の仕事に携わり、晩年には訪れた人たちとの記念写真に応じるなどしていたようです。生涯にわたり、英世を支え続けてくれた人物と言えるでしょう。

野口英世は弟・清三を大変かわいがっていた?

野口英世と弟の清三は、年の差が11もありました。

そのため、よく英世が子守をしていました。

時には、清三を背負って学校に行くこともあったようです。

そして、英世はそんな清三のことを非常にかわいがっていました。幼少期の辛い時期に、弟の笑顔を見て癒やされた日もあったかもしれません。

そんな清三は、成長した後、北海道に移住します。

そして、同じ会津出身の遠藤房吉の養子になり、娘・サイと結婚し、3男1女をもうけます。

当時、政府は北海道開拓のため、家族が5人いると五町歩の農地を提供していました。

そのため、父・佐代助は清三に土地を持たせようと、清三が結婚した後、間もなく自分も北海道に移住しました。その後、シカも北海道に渡っています。

英世が両親の面倒を見てあげれなかった分、清三が親孝行してくれていたわけですね。

ちなみに、英世が一時帰国した際、清三は鉄道の仕事中に怪我をしてしまい、故郷に帰ることができませんでした。そのため、清三は英世に会うことができなかったのです。

大好きな兄に会えなかったのは清三の心残りだったことでしょう。

まとめ:野口英世の子孫は途絶えてしまったが、野口家の血筋は現在まで続いている

野口英世にはメリー夫人との間に子供ができず、姉のイヌの子を養子にもらいましたが、その後子孫が続いていくことはありませんでした。
しかし、野口家の血筋は、イヌの子が代々受け継いでおり、現在まで続いています。

今回の内容をまとめると、

  • 野口英世は53歳という若さで亡くなってしまった
  • 野口英世はメリー夫人との間に子供はできなかった
  • 野口英世は、姉・イヌの子を養子にもらったが、子孫が続くことはなかった
  • 野口家はイヌが継いで、現在まで続いている
  • 野口英世は家族に支えられ、世界的に有名になるほどの功績を掴んだ

英世はただでさえ研究に追われる日々を送っていたのに、家に研究を持ち込んでいたこともあったそうです。あまり多くはかまってもらえない状況であったにも関わらず、それに対して少しの文句も言わずに支え続けたメリー夫人はまさに良妻賢母と言えるでしょう。

しかし、子供がもっといたらメリー夫人も寂しい思いをしなかったのではないかと思わずにはいられません。

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