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野口英世の死因は黄熱病?梅毒?それとも他殺?最後の言葉は?お墓はどこにある?

野口英世(1876(明治9)〜1928(昭和3))は、明治から昭和のはじめにかけて活躍した医師で細菌学者です。主に細菌学の研究に従事し、黄熱病や梅毒の研究によって世界的に有名になりました。

数々の感染病の研究をしていた野口英世ですが、その死因はどのようなものだったのでしょうか?
この記事では、野口英世の死因や最後の姿、またその墓所について簡単に解説していきます。

野口英世の死因は何?

野口英世の死因については、いくつか説があります。
それはどのようなものがあるのでしょうか?
ここでは、野口英世の死因について簡単に解説していきます。

野口英世の死因は黄熱病?

野口英世の死因で1番有力とされているのが、黄熱病によるものです。

野口英世は1926年に黄熱病の研究のためにガーナのアクラに向かいます。
そこで、自身が研究している黄熱病に感染してしまい、そのまま亡くなってしまいました。

本当に黄熱病かどうかというところは、しっかりと根拠があり、英世の死後、英世の血を実験用の猿に注射したところ、猿が黄熱病になったのです。
さらに、ロンドンの博物館にある英世の肝臓を調査した結果も、黄熱病であったと診断されています。このように、野口英世の死因は黄熱病であるという証拠が揃っているのです。

しかし、この黄熱病にかかった経緯ははっきりと判明していません。

普通に感染したのかと思いきや、英世がアフリカに乗り込んだときには、実はガーナではまだ黄熱病は流行っていなかったというのです。
それではどのように黄熱病にかかってしまったのでしょうか?

それは、突発的な事故であった可能性が指摘されています。

英世は黄熱病の研究をしている際、黄熱病の病原体を猿に注射して症状を観察していました。

そのため、その注射針を誤って自分に指してしまった、
もしくは、黄熱病になっていた猿を解剖したメスで自分の手を切ってしまったのではないか?
と言われているのです。

つまり、実験中の怪我により感染したのではないかということですね。

真相は今となってはわかりませんが、ガーナで黄熱病が流行っていなかった以上、事故であった可能性は十分高いでしょう。

野口英世の死因は梅毒?

野口英世の死因は黄熱病が有力とされているものの、他の説もいくつか考えられています。
そのうちの1つが梅毒によるものです。

これは、野口英世が梅毒の研究も行っていたことからきた説のようですね。

しかし、実際はこの説は野口英世の名誉を守ろうとしたことから浮上したのではないかと考えられています。

野口英世は晩年、黄熱病の研究に従事していましたが、後年にその研究結果は否定されることとなってしまいます。

黄熱病の研究により世界的に有名になり、大きな功績を残した英世が、実はなんの成果も得られておらず、さらに自身も黄熱病にかかって亡くなったとなっては、彼の名誉に傷がつくと考えたのでしょう。そのため、黄熱病ではなく、梅毒によって亡くなったという説が浮上した可能性が高いです。

野口英世の死因は他殺?

野口英世の死因として、なんと他殺だったのではないかという説もあります。

野口英世は研究結果によって世界的に有名になりました。

しかし、その才能に嫉妬する人や、野口英世を批判する人も現れてきたのです。

英世はその批判に負けず、執念を燃やし研究をし続けましたが、英世を否定する人たちにとってはそれが快く思わなかったのかもしれません。

そのような人たちのうちの誰かが、英世がラゴスの研究所を訪れた際に、黄熱病の病原体を英世に注射したのではないかと言われているのです。

この時代では、まだまだ東洋人への差別意識も高く、英世のことを快く思わなかった人がいたのも事実です。そのため、全くこの可能性がないというわけではないかもしれませんね。

野口英世は晩年をどう過ごした?

野口英世の死因としては、黄熱病の説が有力でした。
それでは、英世は亡くなる前、晩年をどう過ごしていたのでしょうか?

ここでは、野口英世の晩年について簡単に解説していきます。

野口英世は黄熱病の研究のためにアフリカへと行った?

野口英世が所属していたロックフェラー医学研究所では、黄熱病の研究に力を注いでいました。

その関係で、英世も晩年は黄熱病の研究をすることになります。

そして、ロックフェラー医学研究所は、アフリカでの黄熱病対策のため研究班をナイジェリアのラゴスに置いていました。

そこで、研究員の1人で英世の同僚であったストークスが黄熱病に感染し亡くなったことを英世は知り、英世は周囲の反対を押し切って、自身も黄熱病の研究をするためにアフリカに赴くことを決めるのです。

英世はそこで、なんと400匹以上の実験用の猿を使い、当初3ヶ月の滞在期間だった予定のところを、6ヶ月に延長し研究をし続けました。
そして、なんとか原因究明の目処をつけることに成功するのです。

しかし、そこで帰国しようとした矢先、野口英世は黄熱病に感染し、この世を去ることになってしまいました。享年53歳という早すぎる死に、全世界の多くの人が悲しみました。

野口英世の最後の言葉は?

野口英世は1928年の5月に黄熱病で亡くなった説が有力とされていますが、実は黄熱病に感染した同年の1月にも軽い黄熱病にかかっていたのです。

そのため、そこから回復した英世は、自分は黄熱病の終生免疫がついたと考えていました。

しかし、5月に黄熱病に感染してしまい、英世は終生免疫が続くはずなのに何故二度目にかかったのかと不思議に思っていたそうです。

そのため、黄熱病によりだんだん弱っていき、最後には、

「どうも私にはわからない」

という言葉を残して亡くなってしまいました。

黄熱病の研究に従事し、解決の目処がたっていただけに、本当に無念だったでしょう。

野口英世は何故2回も黄熱病にかかってしまったのでしょうか?

それは、最初にかかった黄熱病だと思っていたものが、実は黄熱病ではなかったのではないかという説があるのです。

他の医師によると、アメーバ赤痢、またはワイル病ではないかという診断がくだされていました。

違う病気であったのならば、英世が黄熱病の免疫を持っていなかったことも納得がいきます。

真相はわからないままですが、いずれにせよ野口英世の最後の言葉には、彼の無念さがとてもよく表れていますね。

野口英世の墓所は?

野口英世はアフリカで亡くなりました。しかし、その墓所は他の場所にあるのです。
野口英世の墓所はいったいどこにあるのでしょうか?

ここでは、英世の墓所について簡単に解説していきます。

野口英世の墓所はアメリカにある?

野口英世は、アフリカの地で亡くなりました。当時、伝染病で亡くなった患者は原則として火葬にするのが習わしでした。

しかし、野口英世の遺体は金属製で特注の棺に入れられ、密閉された状態でアメリカへと渡ります。

これは、英世の才能に惚れ込み特別な情熱を傾けていた、ロックフェラー・ジュニアの強い意志によるものでした。ロックフェラー・ジュニアは、ロックフェラー家など富豪や一流の文化人たちが眠るニューヨークのウッドローン墓地に、英世の墓所を買い入れてくれていたのです。

そこには、野口英世の故郷を代表する名山・磐梯山を模した個性的な形の墓石が立てられており、その墓石には英語で、

「HIDEYO NOGUCHI

BORN IN INAWASIRO JAPAN NOVEMBER 24 1876

DIED ON THE GOLD COAST AFRICA MAY 21 1928

MEMBER OF THE

ROCKEFELLER INSTITUTE FOR MEDICAL RESEARCH

THROUGH DEVOTION TO SCIENCE

HE LIVED AND DIED FOR HUMANITY」

(日本語訳)

「1876年11月24日 日本の猪苗代生まれ

1928年5月21日 アフリカのゴールドコーストで亡くなる

ロックフェラー医学研究所の研究員

科学への貢献を通して人類のために生き、亡くなった」

と記されています。

その墓所で、野口英世は妻のメリー夫人とともに眠っているのです。

ここには、今でも英世の墓所を見ようとする観光客や、お参りに来る英世ファンがかなりの数いるそうです。

野口英世の墓所は日本にも?

野口英世の遺体はアメリカに運ばれ、その遺体もアメリカの墓所に入っているのですが、実は日本にも英世の墓所が存在するのです。

それは、英世の菩提寺である長照寺にあります。

ここには、遺体ではなく遺髪が入っているようです。

こちらには、妻の墓の他にも、英世の両親の墓もあります。

また、近くには野口英世記念館もあるので、併せて行ってみるといいかもしれませんね。

大宮山 長照寺
住所:福島県耶麻郡猪苗代町大字三ツ和字三城潟982
営業時間:8:00〜17:00
休日:無休

まとめ:野口英世は努力の甲斐も虚しく、黄熱病により亡くなった

野口英世は、晩年黄熱病の研究に従事していましたが、ある程度の解決の目処がたったところで、自身も黄熱病により亡くなってしまいました。

今回の内容をまとめると、

  • ・野口英世の死因はいくつか説があるが、黄熱病により亡くなった説が有力である
  • ・英世は晩年、アフリカの黄熱病問題解決のため、周りの反対を押し切って現地に飛んだ
  • ・自身も黄熱病にかかり、最後はどうして自分が黄熱病にかかったのかわからないまま亡くなった
  • ・英世の墓所はアメリカと日本に存在する

野口英世は多くの命を救うために、自ら危険を冒してアフリカへと旅立ちました。しかし、最後は自分も黄熱病にかかってしまいます。解決の目処がたった矢先のことだったので、余計にその無念さが伺えますね。

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