清少納言の作品一覧!代表作は『枕草子』?和歌もある?作品名と特徴を簡単に解説!
清少納言(966(康保3)〜1025(万寿2))は、平安時代中期に活躍した歌人・作家です。
2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、ファーストサマーウイカさんが演じられることでも話題となっています。
そんな清少納言はどのような作品を残したのでしょうか?
この記事では、清少納言の作品について簡単に解説していきます。
目次
清少納言の作品を一覧で解説!
清少納言は、幼少期から和歌と漢詩の英才教育を受けて育ってきました。
そのため、数々の作品を残しています。
ここでは、清少納言の有名な作品を一覧で簡単に解説していきます。
清少納言の有名な和歌一覧
清少納言の有名な和歌を現代語訳とともにご紹介していきます。
「言の葉は つゆ掛くべくも なかりしを 風に枝折ると 花を聞くかな」
(現代語訳)
あだっぽい言葉を交わすなど、全く思いもよりませんでしたのに、今あなたが女たちを残らずなびかせていると、まぁ、華やかな噂を耳にしましたよ。
「身を知らず 誰かは人を 恨みまし 契らでつらき 心なりせば」
(現代語訳)
身をわきまえずに一体誰が約束もしていない相手の薄情を恨んだりするでしょうか。(あなたに恨まれる筋合いはありません。)
「我ながら わが心をも 知らずして また逢ひ見じと 誓ひけるかな」
(現代語訳)
私は自分で自分の気持ちが分からずに、貴方とはもう二度と逢わないと約束をしてしまったのですよ。
「恋しさに まだ夜を籠めて 出でたれば 尋ねぞ来たる 鞍馬山まで」
(現代語訳)
貴方が恋しくてまだ夜深いうちに寺を出たら、なんと貴方が鞍馬山まで訪ねて来てくれたのですね。
「いつしかと 花の梢は 遥かにて 空に嵐の 吹くをこそ待て」
(現代語訳)
いつだろうかと、咲く盛りを楽しみにしている花の梢は、遥か手の届かないところ。それで私は、花を吹き寄せる嵐頼みという心境です。あてにせずに待つしかありません。
「たよりある 風もや吹くと 松島に 寄せて久しき 海人のはし舟」
(現代語訳)
頼みの風が吹くだろうかと、貴方にお目にかかる機会が来るだろうかと、長い間お慕いして待ち続けている、切ない海人の小舟のような私です。
「これを見よ 上はつれなき 夏草も 下はかくこそ 思ひ乱るれ」
(現代語訳)
どうぞこれをご覧ください。上辺は何事もなくて平気な様子の夏草も、その下の方はこのように色が変わり乱れているのです。(これが私の姿です。)
「あらたまる しるしもなくて 思ほゆる 古りにし世のみ 恋ひらるるかな」
(現代語訳)
世の中は新しく変わる気配もなく、私はただあの過ぎ去った懐かしい時代ばかりが恋しくてならない。
「風のまに 散る淡雪の はかなくて ところどころに 降るぞわびしき」
(現代語訳)
まるで、風に吹かれて散る淡雪のように儚く心細く、みながあちらこちらに離れて暮らしていることこそ、本当にわびしいものです。
「忘らるる 身のことわりと 知りながら 思ひあへぬは 涙なりけり」
(現代語訳)
貴方に忘れられてしまっても仕方がないとわかっていながら、それでもこらえきれないのはわが涙なのでした。
「憂き身をば やるべき方も なきものを いづくと知りて 出ずる涙ぞ」
(現代語訳)
つらいことの多いこの身をどうすることもできないのに、どこに行けば良いと知って、次々と流れ出てくる涙なのであろうか。
清少納言は実は和歌は苦手だった?
先程お伝えしたように、清少納言は数々の素晴らしい和歌を残していました。
しかし、実は清少納言は和歌が苦手だったと言われています。
清少納言の父親は清原元輔という人物で、和歌の名手でした。
さらに曽祖父も、清原深養父という人物で、『古今和歌集』に収録されていたほどの代表的な歌人でした。
そのような偉大な父と曽祖父がいたため、清少納言は気後れしてしまっていたのです。
ある定子が催した歌会の際のことです。
定子が、清少納言に
「元輔の子のあなたが、なぜ今夜の歌会に加わらないのですか?」
と訪ねました。
すると、清少納言は
「歌人の娘と言われない立場であれば、真っ先に詠んでみせます」
と回答したのです。
このように、和歌については父や曽祖父のせいで苦手意識があったようですね。
清少納言の作品で最も有名なのは『枕草子』
清少納言は和歌もたくさん残してきましたが、最も有名な作品は『枕草子』という作品です。
学校で学んだことがあるという人も多いのではないでしょうか?
ここでは、清少納言の『枕草子』という作品について簡単に解説していきます。
清少納言の作品『枕草子』とはどんな作品?
清少納言の作品で最も有名なものと言えば、『枕草子』です。
この枕草子は「随筆」というジャンルの作品になります。
そして、「日本最古の随筆」「世界最古のエッセイ文学」とも言われており、日本三大随筆の1つにも選ばれているのです。
内容は基本的に清少納言の身に実際起こったことや、清少納言自身が感じたことなどを中心に書かれています。
約300の章段から成り、大きく分けると下記の3種類に分類されます。
1、「虫は」「木の花は」「すさまじきもの」「うつくしきもの」などと言ったものに代表される「ものづくし」の類聚章段
2、日常生活や四季の自然を観察した随想章段
3、清少納言が出仕していた定子周辺の宮廷社会を振り返った回想章段(日記章段)
この3つの中でも特に特徴的なのが、類聚章段です。
ここは、他の文学作品に類を見ないくらい同じ種類の事柄を集めた章段となっています。
名詞がひたすら綴られていくのですが、その言葉選びから、清少納言の鋭い感性や、知性の高さが伺える文章となっています。
\ 清少納言の作品「枕草子」に関しては、こちらの記事で詳しく解説しております/
清少納言の『枕草子』の内容の特徴は?紫式部の作品とどう違う?
先程もお伝えしたように、枕草子の内容は、基本的に清少納言の身に実際起こったことや、清少納言自身が感じたことなどを中心に書かれています。
また、同時代の文学作品に、紫式部が著した『源氏物語』があるのでよく比較されます。
この2つの違いとしては、源氏物語は「あはれ」の文学であると言われるのに対して、枕草子は「をかし」の文学であることです。
ここでの「をかし」とは、清少納言の独特の美的感覚を指します。
私達は朝焼けや夕暮れ、蛍が飛び交うのを見ると、「あぁ、きれいだなぁ」と感じて終わる人がほとんどでしょう。
しかし、清少納言はそれを一度頭で考えて、知的な美や楽しみを見出し表現しているのです。
このように、清少納言の知性の高さを感じることができる、それが枕草子なのです。
\ 清少納言と紫式部との関係に関しては、こちらの記事で詳しく解説しております /
清少納言の和歌が百人一首にも選ばれている?
数々の有名な和歌の作品や、『枕草子』のような随筆作品を残していた清少納言ですが、実は百人一首に選ばれた歌があるのです。
ここでは、清少納言の百人一首に選ばれている歌を簡単に解説していきます。
清少納言の百人一首に選ばれている歌は?現代語訳は?
清少納言の百人一首に選ばれている歌
「夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
(現代語訳)
「夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き声を真似して夜が明けたと人をだまそうとしても、そんな嘘は通用しませんよ。(中国の)函谷関ならいざ知らず、あなたとわたしの間にあるこの逢坂の関は、決して許すことはありません」
清少納言の歌は、百人一首の第62番目の歌で、『後拾遺集』より出典されています。
この歌は、清少納言と親しい間柄であった藤原行成との間でやり取りされたものだと言われています。
清少納言の百人一首の歌の背景エピソードは?
清少納言の百人一首に選ばれている歌には、詠まれた背景エピソードが存在します。それは、藤原行成とのやり取りです。
ある夜、清少納言の元にやってきた藤原行成はしばらく話をしていましたが、
「宮中に物忌があるから…」
と言って、早々と帰ってしまいました。
翌朝、
「鶏の鳴き声に急かされてしまって…」
と言い訳の文を藤原行成が送ってきます。
それに対して、清少納言は、
「嘘おっしゃい。中国の函谷関(かんこくかん)の故事のような、鶏の空鳴きでしょう」
と答えるのです。
この「函谷関の故事」というのは、中国の史記にある孟嘗君の話のことになります。秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げる時、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせたのでした。
このように故事を用いながら、清少納言は、
「どうせあなたのいいわけでしょう?」
と言いたかったわけです。
それに対して、藤原行成は
「関は関でも、あなたに逢いたい逢坂の関ですよ」
と弁解します。
そこで歌われたのが、この百人一首の歌なのです。
「鶏の鳴き真似でごまかそうとしても、この逢坂の関は絶対に開きませんよ」
と、清少納言はきっぱりと拒否したわけですね。
即座にこれだけの教養を盛り込んだ歌を返したところに、清少納言のすごさを感じますね。
\ 清少納言の百人一首の歌に関しては、こちらの記事で詳しく解説しております /
まとめ:清少納言はその教養の高さを活かした素敵な作品を数々残していた
清少納言は、幼少期から和歌や漢詩の英才教育を受けて育ったため、教養が非常に高い女性でした。そのため、その教養の高さを活かした素敵な作品を数々残していたのでした。
今回の内容をまとめると、
- 清少納言は幼少期から英才教育を受けてきたため教養が非常に高かった
- 清少納言は、その教養の高さを活かした作品を数々残していた
- 清少納言の最も有名な作品は『枕草子』という随筆
- 清少納言の和歌の中には、百人一首に選ばれた作品も存在する
『枕草子』の中では、比較的清少納言の明るい性格が押し出されていました。
しかし、有名な和歌を見ていくと、非常にいじらしい女性像が描かれています。
清少納言は数々の男性から言い寄られていたようで、それは、このようなギャップにやられていたのかもしれないですね。